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三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

「植栽を使った建築」的な庭園

2011年10月11日 05時35分15秒 | Weblog





仙台の街を作った伊達藩は
その家系の躍進者である伊達政宗が藩主のときに
領内にその家系を伝えるべく、いくつかの純粋培養領を作っている。
そのひとつが、古川に隣接する「岩出山」。
先日の出張の折、時間を見てその遺構を見てきました。
有備館という藩の子弟のための教育施設が
観光施設としても有名なのですが、
東日本大震災で、もののみごとにぺしゃんこになってしまった。
たぶん、礎石から土台がはずれて、
柱が四方にはずれ、屋根がくずれたものと推測されます。
なのですが、庭園の方は問題なく存続しています。
こちらのほうは、

正徳5年(1715)に仙台藩石州流茶道三代清水道竿によって作庭された回遊式池泉庭園で借景として岩出山城の岩肌を見せ、池の中には茶島を中心として鶴島、亀島、兜島などを配しています。庭園の特徴として石や燈篭を使わず、自然物だけで構成している点が上げられ、大名庭園として旧態を保っているのは、ここと会津若松市の「御薬園」しかないと言われています。昭和8年に有備館は地方領主が建てた最古の学問所として国指定史跡に、庭園は国指定名勝となっています。

というものであります。
この写真は、竹の屏風の先に岩出山城の岩肌を見たところ。
特に予備知識なく行ったのですが、
この光景は、たいへん「建築的」で、
庭園という概念が、良く伝わってくる気持ちがいたしました。
大名庭園って、いったいなんの意味があるのだろうと、
ずっと思っているのですが、
このように建築的なたたずまいとして見せられると
作庭の意図とかがわかりやすく示されていると思われます。
で、こういう植栽をあたかも建築材料のように使うのは
自然な感じがしてきます。
日本人の造る庭って、こういった創作活動なのでしょうね。
創作活動ではあるけれど、
自然物を使っているので、
結局は素材の力が勝っていって、最後は自然に戻っていく。
そういうプロセスの中間に、人間の考え方が遺される。
そういうことではないのかなぁと、
そんな思念にとらわれておりました。
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北の国から30周年

2011年10月10日 06時36分28秒 | Weblog




きのう、ようやく札幌に帰ってきたのですが、
夕方から再び富良野で要件があって、往復であります。
表題のようなことで、倉本聰さんが記念講演会を行うということで
お話を聞いて参りました。
富良野にとって倉本聰さんの存在は、地域のプライド。
今回の一連のイベントは、根強いファン層の存在をあらためて示したものでした。
講演では、原発災害を大きな契機として
それでも便利さを捨てずにリスクを覚悟しながらいままでの道を行くのか、
それとも便利さを抑制する覚悟を持って新しい道を行くのか、
そういった二者択一が社会に科せられていると主張されていました。
倉本さんが講演などでいろいろな地域でこうしたアンケートを採ると、
明確に世代間でくっきりと相違が浮かび上がるのだそうで、
中高年世代では圧倒的に後者を選択するけれど、
若い年代のみなさんからは、前者の考えが示されるのだそうです。
「覚悟を持っているかどうか」は別としても、
これまで享受してきた「便利さ」を捨てるというアプローチは
想像することが出来ない、という「恐怖心」を若い年代のひとに
強く感じさせるのでしょうね。

さて。
閑話休題。
その後、食事会が始まりまして、
昼食をあんまり食べていなかったので、おいしそうなフルコースの
メニュー書きが胃袋直撃であります(笑)。
けっしてこの食事目当てで来たわけではないのですが、
そしてそのために昼食を取らなかったわけではないのですが、
(って、ずいぶん言い訳じみておりますが)
まぁ、ずいぶん食べました・・・。

新富良野プリンスさん、なかなかやりますね。


って、次は海の幸のマリネ。
つい写真を忘れて、一番上に乗っていたカニは食べたあと(笑)。



で、その次も食べてから気付いたパイの包み焼き。
季節のキノコなどが中に入っておりました。


まぁこうなってくると、何が何だか忘れましたが、
めちゃんこ、おいしい。このほかにもう1点あったはずです。



で、こちらがメーンディッシュですが、
牛肉のほっぺたのステーキであります。
頭のなかは、茫然自失でただただ、ナイフとフォークに神経は集中。
このほかに、牛肉の切り落としもサービスがありました。



で、夫婦で分担して帰りの運転をするので
お酒抜きということで、ふたり分のデザート(笑)。
まぁ、倉本さんのお話をしっかり聞けて、しかもこんなおいしい料理をいただいて、
表題のお祝いに、ちゃっかりあやからせていただいた次第。
あ、会費はきちんと払っております(笑)。
帰り道、運転しながら、
お腹の満足感で、幸せいっぱいの1日でありました。
あ~~~おいしかった。
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木造応急仮設を建てた職人さんたち

2011年10月09日 12時46分04秒 | Weblog






きのうは福島県須賀川市で、板倉工法の主唱者で開発者の安藤邦博先生の講演会を取材。
先生は、仙台市生まれで現在、筑波大学の教授。
今回震災ではつくば市で地震に直面し、
かなり大きな被害も出たと言うことですが、
身の回りの復旧がメドが立って、それからは東北のことが頭から離れなかったといいます。
それまでも伝統木工法の研究者として、
多くの古民家が残る福島県とは縁があり、
震災に加え、原発災害まで折り重なる福島県をなんとか支援したいと考えたそうです。
で、木造での応急仮設住宅の実現に大きく尽力されました。

詳細については、
この秋11月に発行予定の「東北の住まい再生」2で発表いたしますが、
最後に見せられた職人さんたちの、
仕事をやり遂げたあとの清々しい笑顔のスライド写真が
そのすべてを語っていると思います。
復興するんだ、という精神は、まず建築がその心意気を見せなければならない。
そういう気持ちが、木造を作った職人さんたちの表情に満ちている。
そう感じたのはわたしひとりではないと思います。

さて、そうなんですが、
そこからの帰り道が大変でした(笑)。
先生の話が、長い長い・・・。
まぁ、ものすごくいいお話しで、わたしも席を離れられない。
でも、1時間以上オーバー、3時半には終わる予定が、ほぼ5時まで終わらない。
わたし、仙台からフェリーで夜7時半には出港しなければならない。
おいおい、であります。
泣きそうなんですが、先生のお話は本当に素晴らしい・・・。
あぁどうしよう、であります。
ようやく終わって、先生にお疲れさまでした、とても素晴らしかったです、
この間、先生の仮設住宅取材した三木ですわたし、
この内容をまとめて雑誌で発表させてください、よろしく。
と、マシンガンのように先生に伝えて、
「あぁ、あなたですね、ハイわかりました」と言っていただいて、
確認を済ませたあと、即ハンドルを握って総距離170kmを発車。
いまの東北道は、例の無料走行制度もあって、2車線とも走行車線になっていて
ずっと渋滞が続いております。
ハラハラドキドキですが、まぁとにかく安全運転と、
疲労を最小化させるように努力しながら、ひたすら、走行。
さすがに140km以上来たあたりで、
疲労もあってややフラフラするので、パーキングでかけそばを一杯。
10分ほどの休憩後、再び走行開始。
最後の、仙台東から仙台港北インター間が渋滞という情報を受けて
仙台東で下りて一般道へ。
最後の最後で、道をちょっと間違えましたが、
滑り込みで、フェリー受付へ。
今回はクルマは残して、カラダひとつだったのでギリギリ間に合いました。
でもさすがにどっと疲れが出てそのまま、夜7時半からベッドで即死状態(笑)。
でもまぁ、なんとか深夜3時前に気絶から復活。
4時過ぎから原稿まとめに入って、こうしてブログも書き上げました。
その後、フェリー埠頭に迎えに来てもらって、わが家到着です。
でも、これからまた夜遅くまで出掛けなければならない(泣)。

それにしても、いい講演を聴くことが出来ました。
安藤先生、ありがとうございました。
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建築探偵団・都市計画

2011年10月08日 06時31分58秒 | Weblog





青森県の住宅をあるひとと一緒に見て回っておりました。
その地域らしい特徴的な住宅を見て、
お互いに建築の専門的な知見を交換しながら、
鑑定団のように、いや、探偵団のように、
あちこち見て回った次第であります。

写真は、青森県弘前市の旧商店街の一角。
街は歴史的に意味があって作られ、そこにひとが住み継いでいく。
最初は城下町であったり、門前町であったり、
いろいろにするわけですが、
結局は「町家」という形式にたどりつく。
日本的な都市建築は、おおむねそういうことです。
しかし、現在一般的に「新興住宅地」と言われている考え方は、
欧米的価値観での「都市計画」に準拠していると思います。
都市を、その機能性で仕分けして、「住宅地」とか「商業地」とか、
そのように仕分けしていっている。
しかし、この写真のような、江戸期、あるいはそれ以前からの
「街割り」も混在していて、明瞭な計画性というのは
現代の都市にはなかなか感じられない。
また、そのような「計画性」というものも永続性があるとも思われない。
町家という形式は、
武家などの権力階級が都市庶民から住民税を収奪するときに
その外観性という一般的にわかりやすい認識項目に準拠することから始まった。
いわゆる「間口」ごとに税金の基準を定めたのですね。
ただ、民衆の側はそれに対して
ウナギの寝床のような住居形式で知恵を絞って対抗した。
そういうことの妥協の産物で出来上がった「都市計画」だった。
そういうものに対しては、現代のクルマ社会への対応だけを考えたような
敷地割りの「住宅地」もそれなりには意味があるのかも知れないけれど、
勢い、古くからの都市性とは相容れない部分があるので、
日本の多くの地方都市では、徒歩圏での都市機能の集約性があったのに、
それらがおおむね、クルマ移動中心の都市計画、商業施設中心の
そういった都市、人間行動を誘発して、中心部の過疎化が進行し、
幹線道路周辺部の都市化にチェンジされていっている。

いま、東北の沿岸地域では、
さまざまな「地域計画」が論議されているけれど、
なかなか地域住民の「コンセンサス」形成がむずかしい局面を迎えている。
先の「復興大臣」さんの発言って、
こういうコンセンサス形成を自治体側に委ねていることを
つい反発を招くような言い方になってしまったということだと思います。
結局、現代で、街はどうあるべきかなんて、
そういう根底的な論議を導き出せるような共有認識など存在しないのではないか。
そのような絶望感が、ひしひしと迫ってくる気がします。
で、こういうテーマについて、いま、生活自体の根底が揺らいでいる
ひとたちが、考えなければならないことになっている。
確かにそれは、「地方自治」ではあるでしょうが、かなり難しいことを丸投げしている。
この点について、みなさんいかが考えられるでしょうか?
あんまり論議が出てきませんが、大きな疑問を感じております。
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スズメバチと「管理責任」

2011年10月07日 07時13分21秒 | Weblog





わたしはいまは、仙台におりまして札幌を留守していますが、
メールその他をチェックしていたら、
事務所からメールが来ておりまして、
どうも、植え込んでいるヤマボウシに寄ってくる羽虫たちのなかに
ちょっと歓迎したくないスズメバチがいまして、
それに恐怖しているスタッフが、専門家に相談したようなのです。
で、家の虫問題の相談者になっていただいている
(株)青山プリザーブ 前林 十三男さんから親切なアドバイスをいただいたので
ご紹介したいと思います。

いつもおせわになっております。
以下の件、
ご近所に巣があると思いますが、探知することはほぼ不可能です。
南向きの建物で日だまりになる雰囲気のようですから、
この時期、死を待つばかりの彼らにとってわずかな暖かさのあるところに集い
盛夏を懐かしんで、
「次に生まれるときもハチがいいよね。」
などど余生を語り合っているのかもしれません。
この夏、運よく駆除されずに、一生懸命に生き抜いてきた者たちの生き残りです。
ひとを刺しにくることはない個体だと思います。
見逃してやってください。
対策にはなりませんが、、、
またよろしくお願いします。前林

っていう、心温まるお便りでした。
当社の周辺には広い庭を持ったお宅もありまして、
どこかに巣があるのでしょう。
わたしも、事務所の周囲を気をつけてみてはいるのですが、
わが社の近く、目に見える範囲には巣は確認できませんでした。
「管理責任」
という、倉本聰さんに言わせると
「いちばん、きらいな言葉」なんだそうですが、
そういうことからいえば、無視してはいられないことであるのですが、
このアドバイスのような考え方が至当のような気がします。

この「管理責任」というものが
現在の日本の状況の出口なしを、かなり形成していることかも知れません。
社会全体が、大きな決断を下すような構造を拒否し、
目先の「管理責任」というものに振り回されて
もっと大きな責任というモノに対して、
そんなものどうせ理解できないのだから、ということで、
ほんのささいなことばかりに血道を上げる人間を大量生産している。
ちょっとしたことしか理解しようとしない体質を作っている、
どうもそんな気がしています。
そういう「ささいなことに優秀な人間」が、たとえばマスコミなどで
きわめて矮小な価値観を振り回して独走している。
また、証拠がないのに推定だけでひとを有罪にした司法判断の状況など、
おかしなことが多すぎる。

今日の日本の危機の本質は、実はそういうことなのではないか、
遅々として進まない東北の状況報告を聞きながら、
重ね合わせて考え続けていました。
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熱中症と漬け物文化

2011年10月06日 05時38分35秒 | Weblog





きのう、青森に移動してきました。
進行中の案件、大きなものが2件あり、
その企画打合せその他での出張であります。
で、弘前が本拠の設計者・佐々木秀男さんと青森市内で打合せ。
四方山のお話し中、気になることを聞き及びました。

最近は、東北でも塩分の取り過ぎへの注意が行き届いて
脳卒中などは減少してきたというのですが、
一方で、熱中症で亡くなるという方が増えてきている。
その原因に、塩分をあまり取らなくなったのに、
夏には、水分を大量に補給するようにという啓蒙も普及してきた。
しかし、これは、体の中の塩分濃度を低下させるようになって、
それが熱中症になりやすい原因を形成している、という説を唱えている
お医者さんの先生がいる、ということ。
へぇ~~、という説を聞いて目を丸くした次第。
脳卒中というのは、東北に限らず、
全国的に、冬期の家の中の過酷な温度差、
暖房室から、非暖房室への移動で、カラダがついていけずに、
とくにトイレやお風呂などで血圧が限度を超えてしまうことで
傷ましい事故に繋がるわけですが、
その主因として、体の側では塩分の取りすぎ、という指摘が
ずっと主流になっていたわけです。
でもこれは本来、住宅の側の断熱欠損、不足ということが解決すべきテーマ。
本来日本人が持っていた生活文化、
写真のような漬け物文化を否定的に捉える必要はないハズなんですね。
かねがね、そんなことを思っていたモノですから、
こういう説を聞いて、さらに思いが強まった次第。

写真は、ある古民家展示で出されていた漬け物+お茶のサービス。
農家住宅の囲炉裏端などで、
こういうもてなしを受けるのは、無上の楽しさでありますね(笑)。
漬け物は、その周辺で採れる野菜類の滋味を存分に、
ようするに「その土地らしさ」を存分に味わわせてくれるモノ。
塩分がどうこうとか、どうもそういう考え方はわたし、あんまり同意できません。
庶民の生活の基盤にあった自宅で作る漬け物文化は、
民族の宝物として、未来に繋いでいってほしいものと思います。

さてさて、本日はやや強行日程であります。
がんばるぞ、っと。
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東京の「ふるさと性」

2011年10月05日 04時59分46秒 | Weblog





こういう書き方をしてみて
なかなかに違和感があることに気付きますね。
しかし、「地域性」という書き方では、よく伝わらないような部分の考察です。
東京には、ふるさととしてのどんな印象が存続しているのかいないのか、
っていうことについて、考えてみるということです。
それは地域性と住宅っていうことから、
当然に考えていかなければならない問題でもある。

以前、倉本聰さんにインタビューしたときに
不思議と記憶していることがらに、
自分が生まれ育った「田舎としての東京」の風景がどんどん喪失する感覚、
っていう言葉を聞いたことがあります。
倉本さんは、戦前生まれで杉並区善福寺周辺が「故郷」なのだそうですが、
いまは、行くたびに風景が破壊されて
町としての記憶痕跡が、ほぼ無に帰していくプロセスを経験しているのだとか。
そういう感覚が、一時期ではあれ、住んだことがある人間として
ある部分、共有できるモノがありました。
倉本さんが北海道に移住してきた根底に
そういった故郷喪失者としての思いが存在しているのかも知れない・・・。

東京は、その開闢が徳川家康による新都市開発であって、
それ以前からあった「都市性」っていうのは、
隅田川の河畔に成立した民間信仰としての浅草寺くらいしかなかったといわれる。
浅草寺の縁起書きにはそんなことが記されている。
権力による計画都市、というのが東京の起源に近い。
で、幕末まで続く江戸という消費型都市が基本になって、
その後、戦前までの「東京」としての歴史時間が積み重なる。
たぶん、倉本さんの記憶の中のふるさとは、そういう残影だったのでしょう。
そこに戦争の結果としての大空襲、焼け野原があって、
そこからの一直線が、いまの首都機能を構成している。
京都という街は、戦争による焼け野原というのは同じように何回も経験していて
いまに続いてきた街は、基本的に秀吉による街割りなんだそうです。
そう考えれば、どこに歴史時間の基軸を置くかによって、
「ふるさと」性も変化するモノでしょうね。
わたしたちが、「京都らしい」と思っていることも、
そのように考えると、たかだか400~500年のことなんでしょう。
それ以前のことはどうなるんだ、という気もしてきます。
人間の記憶の継続性を尺度にして、
いま生きている人間から計算するくらいしか、
こういった「都市性」を計量することは不可能でしょう。

なんか、面白いんですが、
とても断片的なブログでは書ききれないテーマのようです。
しかし、住宅は抜けがたく「地域性」とともに存続するというものなので、
こういった考察からは逃れられないでしょうね。
これから、いろいろに考えを進めていきたいと思います。

<写真は江戸から続く都市文化としての銭湯。>
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東京と北海道の気質

2011年10月04日 05時25分47秒 | Weblog






きのう、津軽と北海道のことを書いたら、
ふと、同じ雪国同士という関係性よりも、むしろ在地性の乏しさという意味で
北海道はむしろ、東京の気質に近くなるのではないかと気付かされました。
北海道移民の歴史みたいな本、さっぱり読み進められなかったのですが、
そういうなかでも、北海道にはそれこそ日本中から集まってきた様子は
確実に見て取れる。
で、それぞれの背負っている在地性が違うので、
正月のモチひとつとっても、北海道にはあまり統一性がない。
まぁ、そういうなかではだんだん、合理性の方が、
日本の地域性が集合する中で、日本インターナショナルな(ってへンな言い方)
方向性の方が強くなっていって、
それは段々受容されるようになっていく。
日ハム(最近、ファンとして辛いけれど)が来る前まで、
北海道は巨人ファンが圧倒的だったのには、そういう下地があったのかも知れない。
テレビとか、そういった「文化性」のほうが、
伝統的「地域性」のない北海道では、より強まる、という側面があります。

一方、東京も全国からの流入によって
たぶん、人口の3/4以上が占められていると思われる社会。
一応、「江戸っ子」という在地性はあるようだけれど、
それも、首都機能を果たすようになってからの、
いわば、他地域出身者への差別を正当化するための優越感情が基本だと思う。
東京の笑いは、関西と違ってひとをけなす方向性がきわめて強い。
「笑点」なんかの笑いは、あれは差別感情が抜けがたく基底にある。
地方出身者としては、あんまりあの笑いには付いていきたくない気分がある。
まぁ、そういう部分は別にすると東京の、
日本各地からの混在性は、
北海道の混在性と、やはり極めて似た部分があると思う。
このことと、どう関係するかはわからないのだけれど、
東京の人間から、っていうか、かれの出身は関東と言うことで
東京ではないのだけれど、
「おまえ、北海道みたいな田舎から出てきているのに、訛りに劣等感持たないのか?」
っていわれたことがあります。
たとえば、東北出身者は、注意深くめったに方言を東京では使わない。
それなのに、それ以上に(笑)田舎の北海道から来て
平気で「そうだべさ」みたいなことを言っている。
まぁ、本人はそれなりに標準語は意識してはいても、
そう北海道弁に劣等意識は感じていないのは事実でした。
あれは一体何だったのかと思うと、
やはり、東京の空気感に地域混在性を強く感じていて、
北海道人であるという意識をほとんど感じる必要がなかったということだったのか?
それとも、わたしがきわめて鈍感な感受性を持っていたのか(笑)
まぁ、後者の要素が強いとはいえ、前者の部分も大きいだろうと思います。

まぁそうはいいながら、
最近の日ハムの北海道への根付きぶりと、巨人軍の不人気ぶりをつぶさに見ると、
やはり北海道も、歴史時間とともに、
日本の中のひとつの地方性として強まってくるのかも知れないと
そんな感じもしてきてはおります。
ただ、そういう熟成に遙かに優先して、
テレビなどの全国共通性文化の伝播性の方が、なだれのように
すべてを押し流していくのかも知れません。
文化の地方性、これからは、さて?
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雪国的な色彩感覚

2011年10月03日 08時49分57秒 | Weblog




写真は、杜の湖畔公園の「津軽の家」で見たスライドより。
津軽の暮らしを、子どもの視点で紹介していました。
北海道も雪国ですが、
まだ「民俗」と呼べるような生活文化の伝統性は
生み出せていないと思います。
というか、江戸期のような地方文化の純粋培養期が
北海道は、歴史的に経験していないので、
ほかに行きようのない「土着性」に人々の意識が向かっていない。
むしろ、明治の開拓期からずっと、
いわゆる生活文化の定常性がなく、常に進歩発展が行われてきたので、
むしろそういう変化に、柔軟になっていった。
「こだわりのなさ」っていう生活文化を生み出してきているかも知れない。
住宅のことで言えば、
津軽は最北で日本文化を受容したけれど、
北海道では、結果的に日本ではない方向に向かったのかも知れない。
そう考えると、高断熱高気密住宅は北海道が生み出した
最大の「文化」であるのかも知れませんね。

で、津軽の文化であります。
ご覧のような色彩感覚に、ネイティブを感じる次第なのですが、
ねぷた的とも言えるし、棟方志功的とも感じる。
五所川原や弘前などのねぷたの極彩色感覚があって、
線の大胆さは、やはりその底に三内や縄文的な力強さを感じる。
そうでありながら、この絵では、
きっと外は雪であって、
家の中で3代とおぼしき女性たちのやさしさの情景が展開する。
そういう「雪国」の一瞬の光芒がまばゆい。
津軽の色彩感覚には、
やはり雪国であるというその底があるように思います。
雪に閉ざされるからこそ、
色彩への圧倒的な渇望があって、
そういう内面世界を反映するように色が重ねられていく。
以前、スウェーデンに行ったときにも、
彼の地のガラス製品の色遣いに、北国とは思えない
むしろ地中海的な色彩感覚を見て、驚いた経験がありますが、
どうもそういう感覚と相通じるモノがある。
こういう感覚は、正直に言って
北海道人として、無条件に降伏する部分があります。
大好きです、津軽、っていう思いですね。
わたしたちにはまだ、そこまでの思いの蓄積がないのだけれど、
心理の奥底に、やがてこうなると思える情景が見えてくる。

わたし以外の北海道のひとは、さてどう思うのでしょうか?
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Pocket_WiFiほかお買い物

2011年10月02日 06時39分02秒 | Weblog



きのうは休日でしたが、
一昨日から取り組んでいる移動時通信環境構築、
Pocket_WiFii移行計画のためにお買い物であります。
わたしの住む札幌にはヨドバシカメラがあるので、
行って参りました。
先日、下調べしておいたので、まっすぐその購入コーナーへ。
で、そこからの説明タイムが長い・・・。
なにやら、5980円の月額契約料金が3980円になる特別サービスをやっている。
ついては、それは「2年契約」が前提のプランです。
ふむふむ、それはわかっています。
で、それはヨドバシカメラの2000円クーポンがそれに充当されて
その値段になっている。
あとで、値引き処理されます。
ハイハイ、そういうことなんですね、了解。
で、こういうキャンペーンを構成しているのには
ほかに2社のサービスが抱き合わせ的になっている。
???。
それは、「驚きの価格のワイヤレスゲート、月額280円」と
OCNモバイルポケットというクラウド型データ保守サービス月額630円です。
ほうほうほう・・・。
「で、ここからは、内緒ですが・・・」
ガバッと、身を乗り出さざるを得ない。
「この2つのサービスは、まぁ、すぐにも解約していただいて結構です」
オイオイオイ、であります。
「わたしなんか、契約してその帰り道にケータイからキャンセルしましたよ(笑)」
あはは、いいのかよ、そんな不義理な。
「ということで、最初の月だけは多少金額がかかりますが、
すぐに総額出費は抑えられます」
っていうような、なんだか、
「越前屋、おぬしも悪よのう、ぬふふ・・・」みたいな展開。
最近の商法なんでしょうか、ワケわかんないような手の込みよう。
で、こういう説明に当たって、
こちらに書類を見せながら行うのですが、
わたしのほうに書類を向けながら、適時、書面に文字やマークを書き込んでくる。
かれから見て反対向きなので、
ちょうど鏡文字のような感じで、器用に書いておりまして、
へえ~、って舌を巻きましたね。
人間、練習すると、っていうか、毎日同じことを繰り返すと、
やれば出来るモノだなぁと、そういうどうでもいいことを
頭に浮かばせながら、ほぼ「上の空」で説明を聞いておりました(笑)。
いいんだろうか、これで。まぁいいっしょ、であります。
で、かれこれ1時間後、
手続きが完了したあと、写真のiPadとなりのPocket_WiFiが
手元にやって参りました。
これから、説明書を読んで、セットアップに挑戦であります。
さてどうなっかなぁ?



で、その後、今度は
JRの駅窓口で、5日からの出張のチケット購入作業。
実は、青森へわたしと別のスタッフとの連携で動くのですが、
時間差があり、なお、先にわたしがレンタカーを借り上げて
翌日にはわたしは昼過ぎに青森県を離れて仙台に向かい、
残ったスタッフは、青森県内をロケハンしながら、
7日にレンタカーを返却して、札幌に戻る、そのチケットを購入するのです。
で、わたしの仙台行きは、青森からになるのか、八戸からになるのか、
予定がまだハッキリしない、っていう予定のチケット購入です。
わたしのような数学あんまり派には、ややこんがらかったお話しなので、
直接、スタッフと駅で合流して
打ち合わせしながら、確認しながら購入した次第です。
なんとか希望条件が明確な日程になってクリア。
ふ~~、やれやれ、っていうところであります。
さてこれで、お仕事頑張るぞ、っていうお買い物サタデーでした。
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