三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

【WEB会議システムは音声ですね】

2018年11月10日 06時20分21秒 | Weblog
全国の中小企業のご同輩のみなさん、
事業所間の意思疎通、どうやっていますか?

パソコンがビジネスツールとして基本インフラになって以来、
企業活動、経済活動は大きく変化してきただろうと思います。
便利にはなったけれど、いろいろと悩ましいこともたくさんになった(泣)。
いまはパソコン導入とほぼ同時に「社内情報環境」が導入された
そのシステムがなかなか更新できないという問題が大きくなっている。
わが社だけの問題だろうかと悩んでいたところ、
どうも国を挙げての大問題になってきているとされています。
重厚長大な設備設計仕様がだんだんと間尺に合わなくなってきているけれど、
それをどう改善するかとなると費用が掛かりすぎるのと、
そもそも「どう直せばいいか」についての意志決定がむずかしい。

事業所どちらにもPCに精通したスタッフがいれば容易にはなるけれど、
そういった条件が整うというのは中小ではあり得ない。
忘れた頃に出張時、こうしようと決めていて他用で忙しくて忘れる、
っていうような情けないことも頻発する(泣)。
今回もある機器を持参していたのに、仙台事務所に渡すのを忘れた(!)
っていうボケという人間の根本問題は置いといても、
けっこう大きな悩みは社内でのWEB会議の環境構築。
対面でというか、PC同士1対1の打合せはほとんど問題はないけれど、
問題は多人数での会議の「会話音声」の品質問題であります。
送り手側と受け手側の双方向でのチェックが必要なので、
その間には数百キロの距離があるのですぐに修正ということが効かない。
基本対策は「大きい声でしゃべれ!」という命令になるのですが(笑)
しかしまぁ、それでは思考回路的に困難という個人事情も発生する。
もう数年、こういった問題と格闘してきていて
マイクやスピーカー、それとWEBブラウザの相性など検討して
ある到達点には達していて、それほど問題のないレベルにはなっている。
先日も東大・前准教授からの申し出での「授業参加」機会にも
この基本システムは画像伝達手段としては活用できた。
ただ、やはり音声については急な相互接続環境では同期がむずかしかった。
このときには、やはり音声品質管理ではスマホが
もっとも簡便で優越性があるので、それを活用しました。
ただ、これも多人数の音声をきちんと拾うというのは困難。
特定の数人間では有効性が高いというように言えるでしょうね。

写真はパソコンを2台使ってお互いにデータを参照しながら
画面と音声で札幌ー仙台で会話している様子であります。
まぁなかなか困難はありますが、こうした環境が実現すると
もう後戻りだけは出来ませんね。前に向かっていくしかありません。
便利が生み出すあらたな不便、困難。
なんか、ITという巨大詐欺に世界中が引っかかっているのかも(笑)。
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【現代の「住宅業」は製造業か流通業か?】

2018年11月09日 07時49分40秒 | Weblog
きのうある住宅企業の社長さんと会話していて
深く思い至るところを感じさせられていた。
それはその企業が深く「製造業」志向で住宅を「作ってきた」ということ。
われわれ住宅のメディア人間としても、その取材対象の住宅をリスペクトし
その「作られた意図、目的意識のありか」を「表現」しようと務める。
できる限り空間の質を豊かに表現して
雑誌紙面やWEBマガジンサイトで読者が「追体験」できるように
情報を再構成しようと考える。
そういう意味でその情報のモトとして「製造者」の取材は欠かせない。
ところが、こういうことにあらためて気付くほどに
必ずしも「製造業者」である立場を自覚している人間が
この業界でもいまや必ずしも多くはないことに思いが至ったのです。
製造業と言うよりもむしろ「流通業」としての部分の方が
最近はより強くなってきているのではないか。扱うモノは「商品」であり、
その最大メリットを訴求するのがテーマ、みたいな。
そういうふうにとらえ直してみることができるのではないか、
そんな気付きであります。

たしかに住宅はオーナーとして個人があって、
その思いというモノが基本にあると思います。そのため、
住宅を作っていくときに個人の思いを十分に把握して作る必要がある。
その手段として「思いを汲み取る」必要がある。
そこでは柔軟な「情報のやり取り」流通業の側面は強く存在する。
しかしいまの住宅事業ではむしろ「商品」の流通という流れが強まっている。
現代ではマンションというレディメイドな住宅選択もあり、
そちらの方は、こういった「販売方法」が主流であり
当然ながら大きな資本を必要とする事業の性格から大手企業が介在し
そのような事業体の合理的なビジネス感覚が反映され、
住宅「流通」という考え方が次第に業界でのエリアを広げている。
そういう「販売スタイル」の方が現代資本主義には適合しているのかも知れない。
しかし、戸建て注文住宅ではやはり製造業の世界観が根強い。
そこに土地や地域性という「流通」的とは言えない絶対的条件も存在する。
やはりひとつひとつ丹念につくる価値感が優越する世界も存在する。

さてこういった違いのある業界だと思いますが、
ひるがえってユーザー側にとってはどういうことが最適解であるのか、
AEONがもたらす全国どこでも同じような商品構成ということが生む
現代的な「安心感」というような部分もある。
一方でそういう「快適」に拒否反応を持つ層も存在するでしょう。
いわば「やすらぎ」の価値感は万人共通ではないのでしょうし、
やはり価値感は多様化している、というようになるのでしょうね。
ただ、こういった大きな流れの中で「揺れ動き」はつねに顕在化する。
そういう部分をしっかり把握していく必要があると思います。
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【性能向上と「地域らしい魅力」の再発掘へ】

2018年11月08日 05時58分12秒 | Weblog
今週も岩手に来ています。岩手というと宮澤賢治ですね。
先週も「イーハトーブな家づくり」みたいなことを書きましたが、
宮澤さんのああいった「夢想世界」についてだんだん背景がおぼろげに
見えてくるような気がしています。
それって、やはり寒冷という地域らしい条件がまずあって、
そういう環境条件の中で夢想・妄想をふくらませていく、
心理過程を想起すると北海道人として激しく通底する部分が見えてくる。
凍てつく寒さの中で暮らしていて、満天の星空を見上げたとき、
「銀河鉄道」という夢想を持つには寒冷が大きくメンタル支配したと知れる。
たしかに寒冷は人間にとってキビシイ条件ではあるのだけれど、
同時に人間の想像力、創造力にとってある豊かな表現を生む機縁になっている。
その内的世界の共有感を、宮澤さんの世界観に持たされるのですね。
そしてこういう「地域らしい文化・内面世界」的なものも
一般人には体験できることは少ない家づくりという創造の機会で、
やはりきわめて重要なファクターとして考えたいと思い至る。
そういう文化に寄り添って内面が豊かになれるような暮らし。
寒冷であるとか、蒸暑であるとかの自然条件にできるだけパッシブに
十分に対応させることはもちろんの前提条件として、
そこからさらに文化性、内面生活的豊かさが喚起される、
そういった「地域らしさ」というものも大きくあると思います。
ひとが、他のどこでもない「その場所」に住みたいという心理には
こういった内面的な部分の充足感もきわめて大きい。

もちろん、現代世界のなかでの最新の世界観を共有したい
というような価値感も同時にあると思います。
人類進歩の最新の到達地点ということへの強い興味は当然でしょう。
最先端のライフスタイルの革新に「繋がっていたい」ことは当然の欲求。
このことは長く空間的な「中央」への拝跪を押しつけてきた。
ニッポンで言えばTOKYOという存在がある文化的中央性を
強く地域に対して強制し続けても来たのだと思う。
そういう中央が生み出した生活文化的「最新性」もあったと思う。
しかし現代社会が過密化をどんどんと進展させ続けて
いまや、TOKYOがライフスタイル的に魅力的かと言えばそうとも言えない。
街や文化カルチャーとしては魅力は持っているだろうけれど、
「暮らしのいごこち」というような居住皮膚感覚については、
むしろ北海道などの寒冷気候対応を技術進化させた地域の方が
より世界の最先端、あるいはごく近しいレベルに到達している。
箱としての内部気候、暮らしのイレモノとしては地方の方が進化している。
今の時代は、住宅文化についてそういった局面になっているのではないか。

そういうなかで「中央」勢力とでもいえるハウスメーカーの一端でも
こうした「いごこち」品質を謳う企業も出てきている。
そういったなかで、さらに地域の作り手たちが存在感を高めるには
こうした地域らしさということの再発掘が欠かせないのではないか。
ほかのどこでもないこの場所らしい魅力を感じられる家づくり。
地域の作り手には、いまそういった感受性が求められていると思う。

<写真はReplanWEBマガジンより>
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【人口減少と地方インフラのスマートシュリンク】

2018年11月07日 07時17分53秒 | Weblog
人口減少期に入ったニッポン。
これからの国土をどう設計していくべきか、難問がたくさん控えている。
そのなかでも北海道地域は「課題の最先進地域」とまで言われている。
そういった側面を今回の北海道地震はみごとに照射させたともいえる。
先行する事例としては、JR北海道の経営困難という事態もある。
関東の倍以上の面積の地域で、人口は約1/5程度。
電力会社の売上で言ったら東電が6兆円の売上に対して
1/10にも満たない5,500億円ほどが北海道電力の売上とされている。
こういった条件から費用対効果はどうやっても良くない環境。
そこに少子化・高齢化の波が容赦なく押し寄せてくる。
たぶん加速度的に人口収縮がこれから起こってくることは自明。
安倍政権はなんとか全国のGDPを拡大させてきて、
人口減少社会でもニッポンの活力を維持しようとしてきたけれど、
今後また揺り戻しの政権ができることも考えられる。
そういった環境を勘案していけば
「収縮させる」未来像を予測しておく必要性は高い。
人口増加を前提としたインフラ基盤の拡大にはおのずと限界があり、
賢くたたむ、スマートシュリンクの考え方が導入されていく必然性がある。

人口動態を淵源にもつ事柄なので、
この流れ自体は抗うことができないでしょう。
ただし、このスマートシュリンクについて広範に論じることは、
なかなかにむずかしいだろうと思われます。
単純に言って、これまで電気や水道などの基本インフラは拡大し続けるという
そういった常識化のもとで社会は営まれてきた。
東大生から「どうしてこんな気候の厳しい北海道に住み続けるのですか」
という質問があったとお伝えしましたが、
その底意には、たぶんこうしたスマートシュリンクの考えがあることはわかる。
巨視的に見れば、明治以来、人口拡大基調での国策として
北海道の開拓・開発が国是とされてきたけれど、
人口減少期に差し掛かってきて、その基本インフラの限界策定局面になれば、
その考え方が180度方向転換せざるを得ないということだろうか。
JR北海道や北海道電力の危機は今後の社会変動の前触れなのかもしれない。

こういうインフラの縮小について
しかし社会合意はきわめて困難だろうことは明白。
少なくとも政治はサイレント政策でしかやりようがないだろう。
政治というのは人間の情動に大きく左右されるものだから、
痛みを強制するような不人気施策を堂々と謳えるわけがない。
そう考えれば、現状のままでの「放置」が至上の作戦かもしれない。
市場原理的に不整合な事業や企業の「自然淘汰」。
スマートシュリンクという日本の必然策はどう展開してくるのか、
リアルに見続けている必要があるのでしょうね。
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【東大工学部学生さんから北海道住宅への提案】

2018年11月06日 07時15分06秒 | Weblog
先般来、東大・前真之准教授の授業では
北海道全域ブラックアウトという過酷な現実を踏まえて、
「エネルギー×家」というテーマの追求が行われてきているようです。
日本の住宅は具体的にどういう「志向性」を持って作って行くべきか、
具体的な地域ごとの気候的条件設定をもとに学生さんたちが
あるべき住宅の方向性への「提案」を行って、
それに対して全国の現場の一線の住宅設計者が意見を添えるというカタチで
授業の進行が行われてきている。
前回の授業参加がきっかけでわたしどもにもこの推移をお知らせいただきました。
いまはすべてを読み込む時間的余裕がこちらになかなかないのですが、
それでもちらっと読んだ範囲でも、内容はなかなか刺激的であります。

工学というのは、いわゆる研究のための研究にはなりきれない領域。
つねに「いま、どうつくるか」ということが問われる。
とくに東大工学部という存在は、日本をどうつくるか、が、
先験的な大テーマとしてある存在なのだろうと思います。
現代社会が置かれている状況への基本的認識がまずあって、
それへの最適解に向かって身に付けた知見を具体的に活かしていく。
若い世代の人たちにとって、このような認識はごく自然にあるのでしょう。
そういった人たちになるべくリアルな状況を伝え続けることはオトナの責務。
一種の「世代間対話」の具体的なカタチでもあり、
わたし自身も若い人の意見を聞くことができて非常に勉強になります。
まずは「エネルギー×家」というテーマ設定が非常にイマドキ的慧眼。
学生さんからの具体的提案のなかに、響いたあるフレーズがあった。
「そもそもエネルギーを必要としないカタチ」というコトバ。
現代から未来へのひとつの「ものづくり」の基本的思想として
こと住宅領域が最大限に考えていかなければならないコトバですね。
もちろん建設から最終的廃棄にいたるまでの間で、エネルギーが必要とならない
そういうことは現実にはあり得ないけれど、
しかし、基本的志向性としてはまったく同意できる考え方。
そして人類的な根源的テーマと言えるでしょう。
そういう考え方でこのメンドイ北の大地での家づくりの方向性を
再計画して行く必要性はその通りだろうと思います。
時間を見つけてそれぞれの具体論をじっくり読み込みたいと思っています。
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【記憶になっていく災害 木造応急仮設in住田】

2018年11月05日 07時49分42秒 | Weblog


先日、企画の関係で訪れた陸前高田ですが、
沿岸の陸前高田には、高速東北道から釜石道に道をとり
遠野を抜けて、住田を経由してたどりつく。
途中なんども既視感が蘇っていましたが、
そうです、東日本大震災の時に特別の情報誌を作って
その取材でなんどか通った「住田」のことが思い出されていた。
そして道路沿いにこれも見学していた「木造応急仮設住宅」の
中上団地が独特の道路標識とともに見つけられた。
あのころからすでに7年以上が経過していることが信じられない思い。

住田町は陸前高田、大船渡と隣接し、広域的に「気仙」と呼称された。
森林資源に恵まれて、古くから「気仙大工」の伝統が根付いている。
2011年の震災、大津波に際して全的被災にあった陸前高田の人々に対して
最初に自然発生的に仮設住宅提供を申し入れしかも地域の
住文化を同じくする同胞の感覚もあって「木造で」と申し入れた。
「仮設住宅」といえば戦後の工業化政策を推進してきた行政府側常識として
「工場生産されパネル化住宅」が常識となっていたのに対して、
地域としての「異議申し立て」を明確に打ち出したと思われた。
そういう地域としての気仙の意気のような部分をそこに読み取り
そうした思いに呼応するように、その後、福島県でも大量の木造仮設が作られた。
そういった一種の「記念碑」的な存在が住田町のこの住宅群なのです。

気仙大工という存在がどういった存在であるのか、詳しくは知りません。
ただ、奥州平泉にあれだけの仏閣を造作した集団があったことは間違いが無く、
それくらいの時代からなんらかの大工集団はあったのではと想像します。
住田は森林資源も豊富でこういった木材加工の技術が積層されても不思議はない。
一度、住田町で大きな伝統木造系の住宅研究団体の大会が開かれ
大人数だったので、わたしはホテル宿泊ではなく民宿させていただけた。
客間としての床の間付きの和室で起居させていただいた。
それほど寒冷の時期では無かったけれど、朝方の冷え込みようは格別で(笑)
むしろ日が昇ってからは暖気をもとめて散歩に出掛けた記憶がある。
木を使って形を作るという意味では気仙大工にリスペクトを持つけれど
やはりカタチだけでは限界があると思い知った記憶がある。
伝統的な家屋はそうだったけれど、この写真のような木造仮設では
最新の住宅工法をしっかり受容し「暖かい家」を意図する作りとされていた。
・・・といった記憶からもすでに6−7年が過ぎている。
つい最近では北海道でも地震災害が訪れブラックアウトも引き起こした。
災害列島に暮らす人間同士、知恵と工夫を共有して
共存していきたいという思いに浸っておりました。
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【温暖地で進む「EVエネ革命」は寒冷地置き去り?】

2018年11月04日 08時02分42秒 | Weblog
北海道から本州地域をあちこちと行脚していると
どうしても先般の「ブラックアウト」のことが話題になる。
で、そういうときに自然エネでの太陽光発電どうこう、という話題になる。
太陽光を屋根に乗っけて緊急時、それで発電した電気を蓄電池代わりの
電気自動車に充電させておいて、それから家庭用の電気として緊急電源利用する、
というような「未来形」がよく語られている。
こういう議論を聞く度に、温暖地の思考だと感じさせられる。

そもそも北海道などの寒冷地域で電気自動車って現実的なのか?
ウォールストリートジャーナルの記事などをよく見ると
「自動運転」という社会実験はどうも現実化しそうもないと思われるのですが
それ以上に、電気自動車を寒冷地の人間がホントに購入するのか、
という強い疑問を持たざるを得ない。
写真のような光景がわが家周辺では、あと1カ月もしたら現実化する。
当然外気温は常時マイナスで最低気温が零下20度超というのも日常化する。
クルマというのはたいへんな「低気密・低断熱」なシロモノで、
「断熱気密」という概念からはまったく縁遠い。
なので、当然のようにフロントガラスといわず全ガラス面は凍結する。
ガソリン車の場合、動かす前に「デフロスト運転」をさせながら、
クルマ全体の雪を払い落とすのが寒冷地クルマ社会の「常識」。
この習慣化された動作を電気自動車に対して行ったら、
スタートした途端に「燃料切れ」ということが起こりうる。
そこまでひどくなくても、100km走れる「充電状態」だったものが、
その半分まで「運転可能距離」が大きくダウンする。
現実に北陸で起こった交通マヒで、折から寒冷気候だった時期に
このように電気自動車が動かなくなってさらに交通渋滞を加速させた。
で、われわれ北国人は相当に電気自動車というものに眉唾認識を持った。
そういう伏線があって、例のブラックアウトがやってきた。
温暖地域の人からの「アイデア」で、最初のような提起があるけれど、
われわれ北国人としては一笑に付すしかないのですね。

北国の冬の現実では、なんちゃって4WDでは冬道からの脱出は現実的でない。
ハイブリッド車でもキビシイ冬道には太刀打ちがむずかしいときがある。
やはり石油エネルギーの正調4WDのパワーが不可欠なのです。
いわんや、凍結したガラス面を解消させるデフロスト運転は不可欠な性能。
・・・なんですが、どうも最近の情勢を見ていると
まさに人口規模での「多勢に無勢」感が非常に強まっている。
いまの「進歩」の方向は、どうも寒冷地無視型の傾向が強いのではないか。
そういった「猜疑心」がどうしても抜けない日々であります。
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【岩手「イーハトーブな家づくり」に癒される】

2018年11月02日 06時17分22秒 | Weblog
よくその街から大きな山が見える土地は
強い「地域独自性」を育む、というように言われます。
大きな山が、とくに男性の精神性に及ぼす影響って大きいのかも。
こういう話を聞く度にこんな印象を持っています。
わたしが住み暮らしている札幌の街は、
藻岩山というのが基本シンボルですが、標高は531m程度。
もうちょっと高い手稲山でも1023mと、岩手山2038mと比べると
その志の高さではまったく敵わない部分がある(笑)。
写真は盛岡市内から望んだ岩手山の容貌。
峨々たる山塊の量感がすばらしくこころに迫ってくるものがある。
こういう美観を毎日見ていると、あすなろ精神ではないけれど、
もっと自分を高めなければという心理が働く気がしてくる。

ここんところ、東北の街々をめぐって多くの人とあう日々。
風土を知り、人情に触れるという出版の仕事のキモですね。
で、きのうお会いしたひとりの方から、
「イーハトーブ系の家」というオモシロいキャッチフレーズを伺った。
イーハトーブという言葉はご存知のように地域が育んだ情緒性を
そのまま文学世界に表現し、しかし中央文壇的にはそう恵まれなかった
宮澤賢治さんの地域風土に込めた愛着的表現。
中央はその後、多くの「民意」に惹かれるように
やがてかれを大きく評価するようになったけれど、
しかし宮澤賢治さんの思いは深く地域に根ざして岩手人のベースになった。
こんなキャッチフレーズが耳に残ると、そのあと出会う人たちの
ふとした仕草や、表情の端で大きく印象されることに気付く。
そういった「生き方」のような部分で住宅づくりでも
そのハートのようなものが確実に存在する。
まだ未分明だけれど、地域らしさというものが強くあるのだと感じられる。

同じく寒冷とくらしのきびしさを共通項として北海道と岩手は
強い共感世界を持っていると思います。
いま富良野に暮らしている作家の倉本聰さんを取材したことがあるけれど、
かれは、その父親から徹底して宮澤賢治の本を読まされたという。
そういう彼にして、東京と訣別して生きる判断をしたとき、
宮澤賢治的な生き方が、刷り込まれた底意にあったのではと思う。
宮澤賢治に深く傾倒した内面世界を持ちつつ東京に疎外されたあと、
いや東京に「敗北」して北に渡るイメージを持ったのかも知れない。
そんなエピソードとともに、この「イーハトーブな家づくり」という
ステキなキャッチフレーズに癒されておりました(笑)。
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【全的津波被災から7年の陸前高田へ】

2018年11月01日 06時28分03秒 | Weblog



街がまるごと消失したに等しい岩手県・陸前高田。
わたし自身も「東北の住まい再生」という情報冊子を作ったりして
これまでも何度か、取材などで訪問してきています。
また、隣町にあたる「住田町」にも何度も訪問してきました。
その都度、被災から街がどう復元していくのか、
その状況をウォッチしてきています。
この写真はきのう、2018年10月31日の時点のものになります。
高田の松原で奇跡的に残った1本の松など、
東日本大震災の話題になるとき、忘れられないエピソードとして語られた。
きのうは遠野への用件があったので、もう1件ということで
陸前高田の用向きもあって通ってみた次第。

時間的には夕方5時過ぎに当たったのですが、
活発な「復旧土木工事」関係の車両などがあって、車通りはかなりある。
中心市街にも煌々とした灯りを放っているクルマ社会対応的な店舗群があり、
広い駐車場にはクルマで訪れている人も多くあったようです。
現代の「地方」では当然ながらインフラとしてクルマは欠かせないので、
市街地が再興されるとすれば、このようなクルマ社会対応になるのが自然でしょう。
そういう意味では震災津波被災以前の陸前高田の市街地に復元することはない。
復元工事も相当に長い期間が想定されるので、それに対応した
商業施設側の「資本投下、償却限度」の見合いの範囲で
「にぎわい」のスパンが想定されていわば自然に街が復元していく。
下2枚の「憩い」の演出としての商業施設も
それなりの「需要と供給」の関係の元に成立しているのかと思われました。
地域のみなさんの住宅は、周辺の「高台地域」に集住状況が見られた。
山地が住宅地として整備されてきている状況と思われました。

わたしの数少ない「都市環境経験」的にはどうも「横浜」との
類縁感が印象された。
横浜は平地がたいへん少なくて、住宅は多くが上り下りの激しい山地に
軒を接して建て込んでいるという印象です。
少ない平地は公的な施設群や商業施設が占拠しているイメージ。
都市計画がどのように策定されているかは取材していませんが、
印象からはこういったイメージを持った次第です。
中心的市街とそのなかの交通である道路の基本骨格状況が姿を見せはじめ
それらが「地域の暮らしの核」となって成長していくのか、
また、現代生活での目の肥えた住民に対して「集客力」を
持続的にも勝ち取ることが出来ていくのか。
店舗群の「全国どこにもあるロゴ群」を見ながら考えておりました。

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