リコの文芸サロン

文化、芸術、手芸など人生を豊かにする情報発信ブログを始めました。より良いブログに育てるためにコメントなどお寄せください。

知識・経験による智慧の引き出し①

2022-01-25 | 奇貨譚

知識・経験による智慧の引出し

新型コロナウイルスの影響で家にこもる日が多く成りましたので、今までとこれからの人生に付いて色々考えました。
令和4年改めてこの引き出しについて考えてみます。

★★2021年1月★★
若い頃は引き出しが少なく浅いので何でも知って居るような錯覚に陥ります。
リコは20歳の時に自分は何にも知らない事に気づき、本を沢山読むようになりました。

数年して日本語だけでなく世界の本も読みたいと思い英語の勉強を始めました。
シニアに成った今でも読書はリコの日日の楽しみです。



サイズが様々な智慧の引き出しは生涯に渡って増えていきますが、空っぽのままの引出しも、すぐに一杯になるものも在ります。
経験から学ばないでいつまでも空のままで、閾値(いきち)に達するとそれ以上引き出しは増えず消えていくと思います。ご注意ください。

脳がリラックスして良いアイデアが浮かぶ場所として「三上」が昔から言われています。
 《三上の閃き》
○馬上(ばじょう)
現代ではバス、電車などの乗り物でしょう。

○枕(ちんじょう)
布団やベットの寝る前のくつろぎのひと時でしょう。 

○厠上(しじょう)
交感神経の活躍する一人になれる場所。

多分、天上にあるクラウドのような人類の叡智から良いアイデアが降りてくるのでしょうね。

ちなみにリコが1974年にアメリカに留学する決心をしたのは厠上でしたね。
1970年代はアメリカに行くのにビザが必要でアメリカ大使館でビザを取り、1ドル360円の固定相場制、外貨を持ち出すのに外国為替銀行で許可を得ました。確か3000ドルが上限だったと思います。
コメント (4)
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支え合う人達

2022-01-23 | 奇貨譚
★『けんちゃんのもみの木』の美谷島夫妻、『犠牲•わが息子 脳死の11日』の柳田邦男夫妻もお互いに「さよなら」の無い別れを体験された。

 1985年8月12日の御巣鷹山への日本航空機墜落事故の犠牲者の9歳の健ちゃんの母親の邦子さんと柳田邦男さんの奥様の絵本作家の、いせひでこ先生が5年に及ぶやり取りを重ねて、2020年10月に『けんちゃんのもみの木』を発行された。
健ちゃんの遺体が発見された所に植えられた樅の木。

「さよなら」の無い別れに邦子さんは突然いなくなった健ちゃんを探しに行き心が迷子に成ったと言われた。
御巣鷹山事故から37年経ってやっと彼女は前を向いて歩き出した。

この絵本の飛行機雲の、絵を見て、邦子さんは健ちゃんの「サヨナラ」を聞いた。


『犠牲』わが息子•脳死の11日を
読み直しました。



柳田邦男氏の次男の洋二郎さん、25歳は1993年8月9日に自死を図り脳死状態に成った。
生前、心を病みながら何かのお役に立ちたいと、骨髄バンクのドナー登録をした。
脳死になり、柳田氏は息子の気持ちを汲み、8月20日に腎臓移植を決断した。

★先日の「丹念に一念に歩いて来たゆえかすかな誠が見えて来た」は八木重吉さんの詩です。




八木重吉さんといえば奥様の登美子さん(後に吉野秀雄さんの奥様になられました)にお会いした事があります。
2人のお子さんも結核で亡くなりました。
吉野登美子
『琴はしずかに』




30年以上前にリコの人生の師の紀野一義師(1922〜2014年)が鎌倉の材木座の光明寺の講演会のゲストに登美子さんを呼ばれました。
和服の小柄で慎ましい感じの方でした。

吉野秀雄
会津八一に私淑して、多くの随筆を残した。




吉野秀雄が八木重吉の妻だった登美子さんと再婚したときに詠んだ唄です。



★30年以上前に宮沢賢治の弟の清六さん(1904〜2001年)(当時70歳代だった)に紀野先生の講演会でお会いしました。
好々爺と云った感じの穏やかな老人でした。

この本の清六さんとは全く違っていたので小説とはこう言うものかと思いました。




コメント (6)
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御巣鷹山の日航機墜落事故

2022-01-23 | 日々彩彩
1985年8月12日にJAL123 便が大阪に向かう途中、45分後に群馬県の御巣鷹の尾根に墜落し520人が死亡した。
この時の犠牲者の中に美谷島邦子さんの次男の健ちゃん9歳がいた。

遺体の手の1部、足の1部、胴体の1部が見つかった場所に母親の邦子さんが崩れ折れている写真に胸を突かれました。




美谷島さんは柳田邦男さんの奥様の絵本作家のいせひでこさんと『けんちゃんのもみの木』の絵本を出版された。


けんちゃんの遺体が見つかった所に植えた樅の木の絵をせとさんが贈ってみえた。

せとひでこさん


柳田邦男さんご夫妻も1993年8月9日に25歳の次男さんの自死により脳死状態のまま11日後に臓器提供を決意する。
ご夫妻も「さよらな」の無い別れを経験した。

「そして絵本が生まれた」としてNHKテレビで1月18日と19日に2夜に渡り絵本の発行の経緯が放映された。


 美谷島さんは「さよなら」の無い別れに納得がいかないで自身が迷子になったと言われる。

健ちゃん、9歳



事故現場の跡から見付かった当日履いていた靴、長い間、美谷島さんはこの靴を見れなかったがせとさんに言われて初めてこの靴と対面しました。


2015年に絵本創りを思い立つ。せとさんと美谷島さんの5年に渡るやり取りで2020年に出版の運びとなりました。

柳田氏と美谷島夫妻


美谷島さんと絵本作家のせとさん。



飛行機雲の絵本を、見て健ちゃんからの「サヨナラ」の言葉が聞こえたと美谷島さんは言われた。
柳田氏はこの絵に依って美谷島さんは1つ乗り越え、精神的に強くなったと言われた。

御巣鷹山に絵本をお供えに皆で登山、柳田さんも85歳になられた。


奥から美谷島さん、せとさん、柳田氏です。

今、御巣鷹山の慰霊碑は突然の別れを受け入れない人達の聖地に成っています。

墓碑の前に置かれ絵本です。






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中国の旅④ 兵馬俑その2

2022-01-21 | 奇貨譚
世界遺産•兵馬俑博物館を
皆さんはよく新聞やテレビでご覧になってると思いますが、コロナ禍でもう海外旅行はなかなか行けないので出来るだけ沢山の写真をアップしますね。

始皇帝陵は中国北西部の西安市から30km離れた処に在ります。

一般の見学場所より1段下の、より陶俑に近い所で写真を撮ってくれます。
ただし2000円の追加料金で冊子に入った写真にしてくれます。


冊子の表紙、10頁程の観光地の写真付きです。


体育館の様な建物の有料観覧席での写真撮影です。



冊子の中の抜粋です。


上部の横一列に写っている人の大きさからこの建物の大きさが想像出来きるでしょう。
巾62m、奥行き230mの広さに38列、約2000体の俑が並んでいます。


ここは第一俑坑、巨大体育館の様な建物の中にズラーと並んでいます。






修復中の埋蔵品群。


こんなに細い馬の脚も綺麗に残っています。




間近で見ると本当に大きい像です。
穴の中の展示の俑です。
頭が取れたり、壊れたりしています。
農民たちは中が空洞の頭部を見つけたら壺として使っていたそうです。

兵馬俑は1~3号坑に2000年前の約8000体と言われる秦の始皇帝の副葬品が発見されている。


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日本の伝統

2022-01-20 | 短歌
リコは短歌の結社に入っていますが短歌を詠む事に余り熱心で無いと思っています。
1月18日の、宮中歌会始の儀を見ても入選歌はどれも感動のボリュームが大きいと感じました。


 短歌の結社は編集事務をする人が要りますのでリコは事務方要員として会のお役に立ちたいと思っています。

短歌の実力は年月と共に伸びて行くと呑気に構えています。
昔読んだ詩に、
「丹念に一念に歩んで来たゆえかすかな誠が見えて来た」を良く思い出し、弛み無く、ゆっくりと短歌の感性と技術を学んでいます。

昭和24年3月にグアム島で戦犯として処刑された(後に無実と証明されました)、上野千里(うえのせんり)軍医中佐の詩「みんなに」と思いましたが、上の引用詩は上野軍医の詩では無いかもしれませんから、ネットで「上野千里」と検索してみて下さい。
「みんなに」は死の7日前に書かれた長い詩なのでブログで紹介しきれません。

 毎月の短歌誌の編集業務としてリコは「自歌自注」の頁を担当して、毎月3名の方にご自分の歌の背景を書いていただく原稿をお願いしています。
 毎月掲載の8首とは違う詠者の人柄、日常が垣間見えてとても良い企画だと思います。
原稿の依頼をしても、退会されていたり、ご本人またはご家族がご病気に成られたり、ここ半年で10名の原稿の辞退者が出ました。
折々、「自歌自注」のご紹介をします。

 また、リコはホームページ委員として短歌会のホームページの管理と月に1回の更新の担当をしてます。
今の時代は月1回の雑誌の発行では世の中のテンポに付いて行けません。
先日の宮中歌会始の儀の記事(あけび誌の紹介欄の今月のトピックスにて)も翌19日にはHPを更新しました。 


真ん中の列が9名の入選者です。最年少で入選された新潟の高校生の方は欠席されました。

リコの属しているあけび歌会の会員さんの川坂浩代さんの歌です。

あけび歌会のHP.


コメント (2)
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