リコの文芸サロン

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支え合う人達

2022-01-23 | 奇貨譚
★『けんちゃんのもみの木』の美谷島夫妻、『犠牲•わが息子 脳死の11日』の柳田邦男夫妻もお互いに「さよなら」の無い別れを体験された。

 1985年8月12日の御巣鷹山への日本航空機墜落事故の犠牲者の9歳の健ちゃんの母親の邦子さんと柳田邦男さんの奥様の絵本作家の、いせひでこ先生が5年に及ぶやり取りを重ねて、2020年10月に『けんちゃんのもみの木』を発行された。
健ちゃんの遺体が発見された所に植えられた樅の木。

「さよなら」の無い別れに邦子さんは突然いなくなった健ちゃんを探しに行き心が迷子に成ったと言われた。
御巣鷹山事故から37年経ってやっと彼女は前を向いて歩き出した。

この絵本の飛行機雲の、絵を見て、邦子さんは健ちゃんの「サヨナラ」を聞いた。


『犠牲』わが息子•脳死の11日を
読み直しました。



柳田邦男氏の次男の洋二郎さん、25歳は1993年8月9日に自死を図り脳死状態に成った。
生前、心を病みながら何かのお役に立ちたいと、骨髄バンクのドナー登録をした。
脳死になり、柳田氏は息子の気持ちを汲み、8月20日に腎臓移植を決断した。

★先日の「丹念に一念に歩いて来たゆえかすかな誠が見えて来た」は八木重吉さんの詩です。




八木重吉さんといえば奥様の登美子さん(後に吉野秀雄さんの奥様になられました)にお会いした事があります。
2人のお子さんも結核で亡くなりました。
吉野登美子
『琴はしずかに』




30年以上前にリコの人生の師の紀野一義師(1922〜2014年)が鎌倉の材木座の光明寺の講演会のゲストに登美子さんを呼ばれました。
和服の小柄で慎ましい感じの方でした。

吉野秀雄
会津八一に私淑して、多くの随筆を残した。




吉野秀雄が八木重吉の妻だった登美子さんと再婚したときに詠んだ唄です。



★30年以上前に宮沢賢治の弟の清六さん(1904〜2001年)(当時70歳代だった)に紀野先生の講演会でお会いしました。
好々爺と云った感じの穏やかな老人でした。

この本の清六さんとは全く違っていたので小説とはこう言うものかと思いました。




コメント (6)
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御巣鷹山の日航機墜落事故

2022-01-23 | 日々彩彩
1985年8月12日にJAL123 便が大阪に向かう途中、45分後に群馬県の御巣鷹の尾根に墜落し520人が死亡した。
この時の犠牲者の中に美谷島邦子さんの次男の健ちゃん9歳がいた。

遺体の手の1部、足の1部、胴体の1部が見つかった場所に母親の邦子さんが崩れ折れている写真に胸を突かれました。




美谷島さんは柳田邦男さんの奥様の絵本作家のいせひでこさんと『けんちゃんのもみの木』の絵本を出版された。


けんちゃんの遺体が見つかった所に植えた樅の木の絵をせとさんが贈ってみえた。

せとひでこさん


柳田邦男さんご夫妻も1993年8月9日に25歳の次男さんの自死により脳死状態のまま11日後に臓器提供を決意する。
ご夫妻も「さよらな」の無い別れを経験した。

「そして絵本が生まれた」としてNHKテレビで1月18日と19日に2夜に渡り絵本の発行の経緯が放映された。


 美谷島さんは「さよなら」の無い別れに納得がいかないで自身が迷子になったと言われる。

健ちゃん、9歳



事故現場の跡から見付かった当日履いていた靴、長い間、美谷島さんはこの靴を見れなかったがせとさんに言われて初めてこの靴と対面しました。


2015年に絵本創りを思い立つ。せとさんと美谷島さんの5年に渡るやり取りで2020年に出版の運びとなりました。

柳田氏と美谷島夫妻


美谷島さんと絵本作家のせとさん。



飛行機雲の絵本を、見て健ちゃんからの「サヨナラ」の言葉が聞こえたと美谷島さんは言われた。
柳田氏はこの絵に依って美谷島さんは1つ乗り越え、精神的に強くなったと言われた。

御巣鷹山に絵本をお供えに皆で登山、柳田さんも85歳になられた。


奥から美谷島さん、せとさん、柳田氏です。

今、御巣鷹山の慰霊碑は突然の別れを受け入れない人達の聖地に成っています。

墓碑の前に置かれ絵本です。






コメント (2)
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