ユーディット・シャランスキー『キリンの首』
この本が外国語で書かれているように感じられるのは、カバーに日本語がひとつも見当たらないからだ。
古く見えるのは、くすんだ色の背景、使われている書体、動物の骨格図、さらにはクラフト紙の帯が上手に過去へ導くからだ。
帯に日本語が入っているのだが、外国の本に解説を巻いたように見えてしまう。
帯を外すと、カバーにも日本語のタイトルがあることを知る。
入っていて当たり前だが、その存在感は薄く、洋書を手にしている感覚は消えない。
カバーを外すと古い博物誌のようで、本を開いて目次を見ると「生態系」「遺伝のしくみ」「進化論」の3つだけ。
小説を手に取ったはずなのにと、不思議な気分になる。
作中の教師は、ぼくが小学生だったときの担任を思い出させる。
先生は当時50歳くらいだったのだろう。母より年上で、6歳の子から見ればおばあちゃんだった。
厳しくはなかったが、特に優しくされた記憶もなく、無愛想という印象が残っている。
インゲ・ローマルクは、ギムナジウムで生物を教える55歳の女性。
12人の生徒たちのことは、成長中の陸上脊椎動物程度にしか見ていない。
冷たい人間だが、広い知識を持ち、その独特の視点は、ときにユーモアが混じっているようにも感じられる。
彼女は、一人の女生徒がいじめを受けていると気づくが、観察するだけで助けようとはしない。
そんな教師に、生徒が心を開くわけがない。
知識だけでは、人の感情を理解することはできない。
残念ながら、ぼくは最後までインゲ・ローマルクを好きになれなかった。
装丁は水戸部功氏。(2022)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます