つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡の川の流れのように生きる。

2013年01月10日 13時12分02秒 | これは昭和と言えるだろう。
「今日の一枚」は、「おやど橋」付近で撮影した「晩秋の津幡川」。
朝も昼も夕も夜も、春も夏も秋も冬も、過去も今も未来も変わらない水の流れである。
最近、ある「詩」を知った。

『岩もあり 木の根もあれど さらさらと たださらさらと 水の流るる』

水は高きから低きに流れて行く。
向かう先にどんな妨げがあっても意に介さない。
時に自在に流れを変え、時に岩をも削り取り、只無心にさらさらと。
…この「詩」には、大きく2つの意味が込められているように思う。

1つは、生きる心構え。
困難や災難、障害を乗り越えるには、決まった形を持たない水の心が肝要。
その時々に応じて柔軟に対処するべきだ。
もう1つは、世の理。
全ての物事は何かに導かれて流れてゆく。
困難や災難、障害もまた運命であり、成すがままにまかせるのだ。

言葉を紡いだのは「甲斐和里子(かい・わりこ)」氏。
京都女子大学の前身、顕道女学院の創始者であり、浄土真宗の高名な学者だ。
まとまりよく、語感も美しく、情景が浮かびやすく、心に残る「名詩」ではないだろうか。
…と、考えていたところ、よく似た「語り」を思い出す。

『心を空にして形をすてるんだ。水のように。
 水はカップに注げば、カップの形に。
 壜に注げば壜に。 ティーポットに注げば、ティーポットの形になる。
 水は流れることも砕くことも出来る。
 Be Water, My Friend. 友よ、水のようになれ。』

あるインタビューに答えた「李 小龍(ブルース・リー)」の言である。
映画「燃えよドラゴン」ディレクターズカットの特典映像に収録されていた。
森羅万象に学ぶ。
融通無碍。
東洋の思想なのだ。
コメント
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