つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡町に残る昭和メガヒットの面影。

2013年01月08日 19時53分22秒 | これは昭和と言えるだろう。
「今日の一枚」は、津幡町・横浜の粉物屋さん「いのうえ」の大看板。
その右側には【およげ!たいやきくん】が描かれている。

昭和50年(1965年)「ひらけ!ポンキッキ」の挿入歌として世に出て、
オリコン調べのシングル累計販売450万枚は、歴代最多。
レコード盤・CD盤が消えつつあり、音楽市場が縮小した今となっては、
もう塗り替えられる事のない大記録かもしれない。
昭和を代表するメガヒットである。

僕がこのナンバーを初めて聞いたのは、おそらく父方の親戚宅だったと思う。
アンニュイなイントロに続けて流れてきた唄は、不思議な魅力に彩られていた。

『まいにち まいにち ぼくらは てっぱんの うえで やかれて いやになっちゃうよ
 あるあさ ぼくは みせのおじさんと けんかして うみに にげこんだのさ
 はじめて およいだ うみのそこ  とっても きもちが いいもんだ
 おなかの アンコが おもいけど  うみは ひろいぜ こころがはずむ
 ももいろサンゴが てをふって  ぼくの およぎを ながめていたよ』

熱い鉄板の上で来る日も来る日も焼かれる。
 ⇒地獄の責め苦のようであり、辛い現実のようだ。
喧嘩して海へ逃げ込む。
 ⇒抵抗や対処ではなく、逃避。
海の底は気持ちがいいが、おなかのアンコが重い。
 ⇒逃避行の後ろめたさ、後悔、不安。

粘っこいボーカルとも相まって、シニカルというか、風刺が効いているというか、
何だか楽しいだけではない深みがある事は、子供心にも感じられた。
そして、釣り針に架かって陸に揚げられて迎える衝撃のエンディング。

『やっぱり ぼくは タイヤキさ すこし こげある タイヤキさ
 おじさん つばを のみこんで ぼくを うまそに たべたのさ』
(※ 作詞:高田 ひろお / 作曲:佐藤 寿一 / 歌:子門真人。)

達観しているというか、世を拗ねているというか、諦めの境地に達し、
数奇な運命に弄ばれた生涯を閉じる。 タイヤキとして…。

やがて「およげ!たいやきくん」は、音楽の範疇を越えて社会現象となった。
タイヤキ屋さんに行列が並び、日本中の家庭が「タイヤキ器」が購入。
もちろん、津幡町の生家にもやって来た。
授業がまとまって休みとなる時期の東宝映画興行では、ゴジラ作品がメインなのに
「たいやきくん」の紙帽子が配布された。
僕は「金劇」で、嬉々として被った思い出がある。

(※2012年2月26日に「いのうえ」関連投稿アリ)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする