つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡町総合体育館、耐震工事中。

2013年01月21日 10時40分22秒 | 日記
先週・木曜日、阪神淡路大震災発生から18年の節目を迎えた。
また、3月には東日本大震災発生から3年となる。
2つの大災害を経て、日本国民の意識は奥深い所で変わった。
建築分野では「もしも」に備えて耐震・免震技術が進歩した。
経済の低迷もあって一時にとはいかなかったが、各地でインフラ整備が行われている。
津幡町の総合体育館もその1つ。
工事期間は、昨年11月に始まり今年の3月末日までを予定している。
その間、体育館全館は使用できない。
巡り合わせが悪かったのだから仕方がないが、
各種サークル活動や、津幡中学校の部活動にとっては難儀だろう。
…振り返ってみると、自分の中学時代にも似たようなシーンがあった。

当時、僕は剣道部の一員だった。
部活動の様子については、2010年6月29日の投稿を再掲載する。
『木造の旧校舎があった。
所属していた剣道部の道場は、その一角。
ギシギシ音を立てる渡り廊下を進んだ先にあった。
空調などない中で励む稽古の環境は、そのまま季節に左右される。
蒸し暑い夏は、道着に着替えただけで汗が流れ、
隙間から粉雪が舞い込む冬は、吐く息も白く、足先がひび割れ床に赤い跡ができた。
裂ぱくの気合い、竹刀がこすれあう音、荒い息使い。
荒々しい時間が過ぎれば、黙想。礼。静謐な時間が流れていた。』

ある時、そんな「道場」が失われる事になった。
建物の老朽化に伴い、取り壊されるのだ。
占有の板の間がなくなり、体育館の限られたスペースしか許されないとしたら、
何かと制限を受ける。
僕等は自主的に、練習場所を探した。

見つけて来たのは、現在、津幡郵便局が建つ場所にあった幼稚園の「遊戯室」。
園児達が帰った後、しばし道場として借り受けたいと交渉。
了承を得て、顧問に申し入れ、僕達は新しい「道場」を確保したのである。

今考えれば、出過ぎた行動だと思う。
各方面に迷惑をかけたのではないだろうか。
よくも我儘が許されたものだと思う。
ある意味、昭和とは曖昧で度量の広い牧歌的な時代だったのかもしれない。
コメント
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