「今日の一枚」は、津幡町の「スガイ書店」の様子。
スペースを縦断する形で何本かの書架が並び、
ぐるりの棚は沢山の書籍で埋め尽くされている。
決して洒落た内装ではないし、大型書店のようにカフェなどの付帯施設もない。
典型的な田舎の本屋さんなのがいい。
明るい照明に満たされた店内には、独り立ち読みに耽溺する小学生と思しき人影。
2010年7月7日にも投稿したが、かつて僕も彼と同じ時間を過ごした。
まるで過去の自分を見たような懐かしさを覚え、散歩から帰宅後、
昔「スガイ書店」で購入した小説「ライ麦畑でつかまえて」のページを開いてみる。
『もしも君が、ほんとにこの話を聞きたいんならだな、
まず、僕がどこで生まれたとか、チャチな幼年時代はどんなだったのかとか、
僕が生まれる前に両親は何をやってたかとか、
そういった《デーヴィッド・カパーフィールド》式のくだんないことから
聞きたがるかもしれないけどさ、実をいうと僕は、そんなことはしゃべりたくないんだな。
第一、そういったことは僕には退屈だし、
第二に、僕の両親てのは、自分たちの身辺のことを話そうものなら、
めいめいが二回ぐらいずつ脳溢血を起こしかねない人間なんだ。』
〔※J.D.サリンジャー著、野崎孝訳『ライ麦畑でつかまえて』より引用〕
初出版は、昭和26年(1951年)。
スラング満載、投げやりで乱暴なセリフで進行する物語は、
さぞ斬新でリズミカルだったろうと推察する。
当時のアメリカは“黄金の50年代”。
戦争に勝利して好景気が頂点を極めた「豊かな社会」だが「幸せな社会」とは限らない。
衣食住、娯楽、何もかも満ち足りた中で育った若者達にとっては、
生きる目標を見つけあぐねた「悩める社会」だったと言える。
小説「ライ麦畑でつかまえて」は、成績不振で名門高校を退学になった少年が、
寮を飛び出し、ニューヨークを彷徨う3日間の出来事を描いた。
無鉄砲で反抗的な主人公は、迷えるティーンの代弁者だ。
そして、この本を初めて手に取った時…子供以上大人未満の僕もまた、
悩み多き年頃だったのである。
スペースを縦断する形で何本かの書架が並び、
ぐるりの棚は沢山の書籍で埋め尽くされている。
決して洒落た内装ではないし、大型書店のようにカフェなどの付帯施設もない。
典型的な田舎の本屋さんなのがいい。
明るい照明に満たされた店内には、独り立ち読みに耽溺する小学生と思しき人影。
2010年7月7日にも投稿したが、かつて僕も彼と同じ時間を過ごした。
まるで過去の自分を見たような懐かしさを覚え、散歩から帰宅後、
昔「スガイ書店」で購入した小説「ライ麦畑でつかまえて」のページを開いてみる。
『もしも君が、ほんとにこの話を聞きたいんならだな、
まず、僕がどこで生まれたとか、チャチな幼年時代はどんなだったのかとか、
僕が生まれる前に両親は何をやってたかとか、
そういった《デーヴィッド・カパーフィールド》式のくだんないことから
聞きたがるかもしれないけどさ、実をいうと僕は、そんなことはしゃべりたくないんだな。
第一、そういったことは僕には退屈だし、
第二に、僕の両親てのは、自分たちの身辺のことを話そうものなら、
めいめいが二回ぐらいずつ脳溢血を起こしかねない人間なんだ。』
〔※J.D.サリンジャー著、野崎孝訳『ライ麦畑でつかまえて』より引用〕
初出版は、昭和26年(1951年)。
スラング満載、投げやりで乱暴なセリフで進行する物語は、
さぞ斬新でリズミカルだったろうと推察する。
当時のアメリカは“黄金の50年代”。
戦争に勝利して好景気が頂点を極めた「豊かな社会」だが「幸せな社会」とは限らない。
衣食住、娯楽、何もかも満ち足りた中で育った若者達にとっては、
生きる目標を見つけあぐねた「悩める社会」だったと言える。
小説「ライ麦畑でつかまえて」は、成績不振で名門高校を退学になった少年が、
寮を飛び出し、ニューヨークを彷徨う3日間の出来事を描いた。
無鉄砲で反抗的な主人公は、迷えるティーンの代弁者だ。
そして、この本を初めて手に取った時…子供以上大人未満の僕もまた、
悩み多き年頃だったのである。