つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡町の書店を覗き、過去を覗く。

2013年01月23日 21時42分12秒 | これは昭和と言えるだろう。
「今日の一枚」は、津幡町の「スガイ書店」の様子。
スペースを縦断する形で何本かの書架が並び、
ぐるりの棚は沢山の書籍で埋め尽くされている。
決して洒落た内装ではないし、大型書店のようにカフェなどの付帯施設もない。
典型的な田舎の本屋さんなのがいい。
明るい照明に満たされた店内には、独り立ち読みに耽溺する小学生と思しき人影。
2010年7月7日にも投稿したが、かつて僕も彼と同じ時間を過ごした。
まるで過去の自分を見たような懐かしさを覚え、散歩から帰宅後、
昔「スガイ書店」で購入した小説「ライ麦畑でつかまえて」のページを開いてみる。

『もしも君が、ほんとにこの話を聞きたいんならだな、
 まず、僕がどこで生まれたとか、チャチな幼年時代はどんなだったのかとか、
 僕が生まれる前に両親は何をやってたかとか、
 そういった《デーヴィッド・カパーフィールド》式のくだんないことから
 聞きたがるかもしれないけどさ、実をいうと僕は、そんなことはしゃべりたくないんだな。
 第一、そういったことは僕には退屈だし、
 第二に、僕の両親てのは、自分たちの身辺のことを話そうものなら、
 めいめいが二回ぐらいずつ脳溢血を起こしかねない人間なんだ。』
      〔※J.D.サリンジャー著、野崎孝訳『ライ麦畑でつかまえて』より引用〕

初出版は、昭和26年(1951年)。
スラング満載、投げやりで乱暴なセリフで進行する物語は、
さぞ斬新でリズミカルだったろうと推察する。

当時のアメリカは“黄金の50年代”。
戦争に勝利して好景気が頂点を極めた「豊かな社会」だが「幸せな社会」とは限らない。
衣食住、娯楽、何もかも満ち足りた中で育った若者達にとっては、
生きる目標を見つけあぐねた「悩める社会」だったと言える。
小説「ライ麦畑でつかまえて」は、成績不振で名門高校を退学になった少年が、
寮を飛び出し、ニューヨークを彷徨う3日間の出来事を描いた。
無鉄砲で反抗的な主人公は、迷えるティーンの代弁者だ。

そして、この本を初めて手に取った時…子供以上大人未満の僕もまた、
悩み多き年頃だったのである。
コメント
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