つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡町の土壁に見た幻。

2011年05月20日 08時43分03秒 | 日記
現代でも、火事は恐ろしい存在だが、
消化設備の整っていなかった藩政期なら尚更。
「火事と喧嘩は江戸の華」と例えられるとおり、
昔は、それほど頻発していた。
もちろん、江戸に限った話ではない。
その災いから財産を護るために造られたのが、
木材骨組みに、分厚い土壁と漆喰の構造で炎を跳ね返す耐火建築である。

散歩に出かけると、度々古い蔵を見かける。
酒や味噌、醤油の醸造をはじめとした旧家の並び。
かつての庄屋クラスと思しき大きな農家の敷地内。
そんな所に多い。

「今日の一枚」は、津幡銀座中央商店街の外れで撮影した「土蔵」。
小学生の頃、毎日、前を通って通学した。

改めて観察してみると、当時の佇まいのまま。
窓の周囲や、壁の一部が剥がれ落ちているのも変わらない。
接近してみると…

 

…今眺めれは、単なる剥落に過ぎないのだが、
僕はかつて、この様子に幻を見ていた。
茶色い部分は「ウルトラ怪獣」のシルエット。
その下に並ぶ、錆を垂らした菱形の金具は、冷たい「目」。
土蔵全体が、得体の知れない「物の怪」のように感じたのである。

それは、幼い想像力が生んだ妄想だったなと思うと同時に、
当時の頭の中は、ずい分と柔軟だったなと気付いた。
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津幡町にて、鼓の花を愛でる。

2011年05月17日 06時46分11秒 | 草花
タンポポに「西洋種」と「在来種」がある事は、よく知られている。
どちらも鮮やかな黄色い花を開き、
どこにもよく育つ野草故に、見かける機会が多い。
「今日の一枚」は、津幡町の路地に沿って配置された溝に咲くタンポポ。
ことほど左様に、逞しい。

ところで、何故「タンポポ」と呼ばれるのか?
ご存知だろうか?
僕自身は深く疑問を抱くことすらなく過ごしてきたが、
先日、ラジオを聴いていて謎が解けた。
スピーカー越しの学者先生曰く、
『民俗学者の「柳田国男」によると、
 鼓を打つ音の、タン、ポン、ポンから付いた』のだそうだ。

タンポポは、つぼみの形が楽器の「鼓」に似て見えたため、
古来「鼓草」と呼ばれた。
鼓の音を昔の人はタン、ポン、と理解していた事から、
子供達がその音を充てて言い始めたらしい。
…なるほど。
昔々平安の昔、粗末な着物姿の童が、
黄色い花の蕾を手にして遊ぶ様子を想像してしまった。

ちなみに、英語で「Dandelion」とされるのは、
ギザギザの葉っぱが「ライオンの葉」に似ているかららしい。
…なるほど、確かにギザギザしている。
勉強になった。

最近、散歩中は花だけでなく、白い綿毛も見かける。
風に乗って種を運ぶ様子は、何万年も繰り返されてきた
自然の営みだ。
そして、人はそれを見て歌を詠んだ。

『夕焼けに小さくなる くせのある歩き方
 ずっと手をふり 続けていたいひと
 風に乗り飛んで来た はかない種のような
 愛はやがて来る 冬を越えてゆく
 きみはダンデライオン
 傷ついた日々は 彼に出逢うための
 そうよ 運命が用意してくれた大切なレッスン
 今 素敵なレディになる

 つみとってささげたら ひとに笑われそうな
 私にできる全てをうけとって
 ふるさとの両親が よこす手紙のような
 ぎこちないぬくもりほど泣きたくなる
 きみはダンデライオン
 本当の孤独を 今まで知らないの
 とても幸せな淋しさを抱いて
 これから歩けない
 私はもう あなたなしで

 とても幸せな 淋しさを抱いて
 これから歩けない
 私はもう あなたなしで』

(原典:「ダンデライオン~遅咲きのタンポポ」/作詞作曲:松任谷由実)

…可憐な花の花言葉は、
「真心の愛」「神のお告げ」そして「別離」。
乙女心なのである。
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津幡の片隅で、ひっそりと朽ちてゆく美。

2011年05月16日 05時52分17秒 | 日記
「今日の一枚」は、先日の散歩の折に出遭った、廃車のスナップである。
臙脂色の車体は、トヨペット・クラウン。
1960年代の名車だ。
この車は、いつ打ち捨てられて、一体いつからここに佇んでいるんだろう?
決して短い時間でない事は確か。
何らかの価値を纏った「遺跡」となるには、まだまだ時が必要。
熟成には程遠いが、半ば草に覆われて朽ちてゆく様子は、やはり美しい。

僕は、こうした景色を見るたび、行ってみたくなる場所がある。
カンボジアの「アンコール」だ。

今から1200年前の東南アジアにあった王朝「アンコール」。
最盛期には、東南アジア一帯を治め、数々の都市を建築したが、
それらは王朝の滅亡と共に放棄され、ジャングルの中に埋没。
歴史の表舞台からフェードアウトしていった。
現在、ユネスコの世界遺産として知られる「アンコールワット」も、
元を正せば、そんな廃墟の1つだったと聞く。

近くに住む仏教徒が、時折、足を運ぶ意外は、ひっそりとした時間を過ごしてきた。
それが19世紀の半ば、あるフランス人の学者が、偶然遺跡に辿り着き、
突然、脚光を浴びる事になる。

密林の中、突如目の前に現れた、5本の塔を持った、石造りの寺院。
東西1500メートル、南北1300メートル。
中央の一番空に近い塔の高さは、20階建てのビルに相当する65メートル。
3万人の労働力と30年の歳月をかけて建築された巨大なモニュメント。

再発見者は、さぞ驚いただろう。
彼は、本の中でこう紹介したそうだ。

『この寺を見ていると魂は潰れ、創造力は絶する。
 ただ眺め、驚嘆し、頭の下がるのを覚えるのみで、言葉さえ口に出ない…。』

残念ながら、その驚きを共有する事は叶わないが、追体験くらいはしてみたい。
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津幡町の花。

2011年05月15日 10時06分23秒 | 草花
「今日の一枚」は、津幡町文化会館「シグナス」前で咲くツツジ。

津幡町の「町の花」である。
白、赤、ピンク。
主な花の色は幾つか思い当たるが、
やはりメインは伝統色に名を残す…「ツツジ色」。
古来、日本人は、紫がかった淡い赤をそう呼び、
桜が終わった後、街路の主役として据えてきたのだ。

ところで「ツツジ」は漢字で「躑躅」と書く。
僕はもし知識がなければ「躑躅」を「ツツジ」とは読めない。
しかし辞書を引いてみると「てきちょく」とも読むらしい。
その意味は「足踏みする」「ためらう」。
つまり、ツツジの花は人の足を止めてしまうほど美しいから、
「躑躅」の字が充てられたのだとか。

他にも諸説あるようだが、個人的には、このエピソードが腑に落ちる。
何故なら、僕自身がまさに典型だからだ。
今朝の散歩中も、美しいツツジの前で何度足が止まった事だろう。

 

こちらは津幡町役場の裏にて撮影。
まだ蕾も見受けられる。
場所によって多少の差はあるが、満開まではあと少し。
これから、散歩の時間がますます長くなりそうだ。
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津幡町の竹林で目についたもの。

2011年05月14日 21時12分34秒 | 自然
「今日の一枚」は、今朝の散歩中に訪れた「竹林」の道。
両脇を孟宗竹に挟まれた空間は仄暗く、
青い棹の間を吹き抜ける風のサウンドが、優しく耳を打つ。
また、足元からはカサカサと乾いた音が。
土の上には、竹の落ち葉が降り積もっている…。

一般的な落葉樹とはサイクルが違い、
秋に花が開き、春から夏にかけて葉を散らす。
以前、2月11日の投稿でも書いたとおり、今は「竹の秋」。
そして、やはり同日に掲載したが「筍」のシーズンだ。
視線を落として周囲を見回してみると…

 

あった。
きのうの午前まで暫く雨が続いた、まさに「雨後の筍」。
あちらこちらから顔を出していた。
鼻を近づけてみると、土の匂いと混ざってあの独特な芳香がする。
「りくすけ」も盛んに嗅ぎまわっていた。

先日、詳細にどこで収穫されたのかは分からないが、
「津幡産の筍」をいただいた。
調理したのは「筍の煮物」である。
食材は、下茹でして灰汁を抜いた筍と、結び昆布。
出汁、酒、みりん、醤油、少量の砂糖で味を整え、
コトコトと煮込んでから食す。
…これが美味かった。
シャクシャクと小気味よい歯ごたえ。
微かな青い香り。
筍の旨味を吸い込み、煮崩れる直前までトロトロになった昆布。
美しい味とは、こんな事を言うのだろう。
心から堪能できた。

…と、美味しい思い出に浸っていると、何やら妙な立札が目に入ってきた。

 

『注意!竹林に薬剤散布しています。
 赤いテープの中のタケノコを含む山菜はとらないでください!
                    <河北郡林業研究会>』
…どういう事なのだろう?
いつ、何のために、どんな薬剤を散布したのかが、まったく不明だ。
「河北郡林業研究会」とは?
ネットで検索してみたが、公式HPをお持ちでないのか、こちらの詳細も不明だ。

看板などの限られたスペースに、行いの全てを記すのは難しいだろうと思うが、
せめて、理由と連絡先くらいは明記しておいて欲しいものである。

<追記>5月15日-14時03分
 津幡産の筍を使ったメニューがもう一品あったのを忘れていた。
 「筍と春雨のピリ辛炒め」である。
 灰汁抜きした筍を細切りにして、ネギを筆頭に幾つかの野菜を
 筍が主役になる分量にて、同じサイズにカットして準備。
 水で戻した春雨は、10センチ程度の長さにカット。
 充分に熱した鉄鍋に胡麻油を布いて、順に炒めてゆく。
 味付けはオイスターソースがメイン。
 最後に針唐辛子を入れて2~3度鍋を煽れば、完成。
 これもまた、美味い。
 良く冷えたビールに合うのだ。
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