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つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡町の市場、新体制。

2013年01月05日 21時42分06秒 | 日記
僕が、このブログに記事を投稿する際はログインして「編集画面」から作業する。
その編集画面には「アクセス・ランキング」機能があり、過去に遡って、
何月何日にどれだけの方がブログに接し、gooブログ内では何番目かを調べる事が可能。
また「アクセス解析」機能を使えば、1日の閲覧数、訪問者数、
どんなキーワード検索の末に辿り着いたのかも分かるのである。

ここ最近、昨年末から増えてきたのが「津幡 ビッグ・ママ」。
つまり「今日の一枚」…津幡町・横浜のスーパーマーケットだ。
この傾向は、昨年末に敷かれた新しい体制と無縁ではないだろう。

『山成商事株式会社は、河北郡津幡町でスーパーマーケット「ビッグママ」を経営する
 株式会社クラハシ(本社:河北郡津幡町横浜へ66番地、代表:由雄 勝)の
 全株式を譲り受けることで合意に達しましたことをお知らせいたします。

 <株式の譲渡日および取得会社の概要は以下のとおりです>
 譲 渡 日:平成24年11月9日(金)
 会 社 名:株式会社クラハシ
 新 代 表 者:山口 成俊
 所 在 地:河北郡津幡町横浜へ66番地
 主 な 事 業:スーパーマーケット「ビッグママ」経営

 この度の株式取得により、同社の顧客基盤を引き継ぐことで販路を拡大し
 幅広くお客様に支持される店舗運営に取り組む所存です。
 皆様方におかれましては、何卒お力添えをお願いいたします。』

七尾市に拠点を置き、数年前から金沢へも進出を遂げてきたスーパーマーケット…
「どんたく」を経営する「山成(やまなり)商事」による買収が成立したのだ。
上記『  』内の記載は、同社HPにて2012年12月20日に掲載された。

ビッグ・ママについては、過去にも投稿してきた。
一つの町の顔に変化が訪れ、
やがて看板が挿げ替えられるのは一抹の寂しさを禁じ得ない。
万感の思いを込めて一言。

「ありがとう」。

(※2010年9月28日、12月10日。2011年11月13日他、関連記載アリ
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仕事始めの津幡町は、雪の中。

2013年01月04日 19時55分00秒 | 日記
「今日の一枚」は、今朝の通勤途中にて撮影した津幡バイパス。
津幡バイパスは、石川県かほく市内日角から、金沢市今町に至る路線。
画面左側に2つの標識が並んで立っている事からも分かる通り、
この辺りは、国道8号・国道159号が重複している。
そして、雪景色である。
平日とはいえ、まだ正月休みの割合が高いお蔭と、
束の間の晴れ間に恵まれたお蔭で、順調な道行きとなった。

それにしても、寒い。
外に出ると自然と体が震えてくるが、コレは人間に備わった防衛機能だ。
人間は、体温を一定に保つために、寒さを感じるとまず皮膚の血管を収縮させ、
体の熱が外へ逃げるのを減らそうとする。
でも、あまりにも寒い時は、それでも体温の低下が防げない為、
筋肉を小刻みに震わせる事によって体の中に熱を創り出すのだ。

ちなみに、筋肉を動かす時にはもちろんエネルギーが必要。
寒い時の体の震えは1時間におよそ300キロカロリーを消費すると言われている。
これは30分ジョギングした時の消費カロリーと同じくらい。
ならば、寒さを乗り切るためにも、たくさん食べてエネルギーを蓄えておこう!
言い換えるなら、寒い時期なら多少食べ過ぎても大丈夫だ!
…などと考えてしまうが、甘い!
甘すぎるぞ!「りくすけ」!

暖房が整った室内で震える事なく過ごし、
正月太りに戦々恐々としているのが、僕の現実だ(笑)。
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津幡町に新年告げる鐘の音。

2013年01月01日 21時12分04秒 | 日記
新年明けましておめでとうございます。
本年も拙ブログをよろしくお願い申し上げます。

…さて、2013年最初の「今日の一枚」は、除夜の鐘。
昨年大晦日、除夜の鐘を突きに行って来た。
二度助走の後、大きく引いて掌を離れた綱は、釣鐘にヒット!
ゴォォォォォォォンンンンン…。
深夜の町内に荘厳な音が響いた。

舞台となったのは津幡町・加賀爪の弘願寺。
ここは度々投稿してきたとおり、津幡町の歴史に残る古刹である。

『津幡川左岸のおやど橋手前にある弘願寺(ぐがんじ)
 (=浄土真宗東本願寺派)は、一向一揆時代には
 津幡町笠谷地区の鳥越区にありました。
 1580(天正8)年 に織田信長(おだ・のぶなが)勢の
 佐久間盛政(さくま・もりまさ)が能登の末森城攻略の途中、
 鳥越弘願寺を陣営にしようとしましたが断られたため、
 寺が焼き払われ、後にここ加賀爪に移されました。
 かつての宿場町、津幡宿があった旧北陸道沿いに建つ弘願寺は、
 その当時、脇本陣的な役割を担っていました。
 加賀藩前田家の歴代の殿様は本陣(ほんじん) 御旅屋(おたや)に
 お泊まりになり、その家来たちは同寺院に泊まったそうです。
 1878(明治11)年には、明治天皇が北陸巡幸(じゅんこう)
 (=天皇が出か けること)の際、同寺が昼食休憩所となりました。
 当時の御座所(おましどころ)は1880(明治13)年の火事で
 焼けてしまい、現在は残っていませんが、 その記念碑が境内に建っています。
 同寺院の境内から裏手の遊歩道に出ると、
 おやど橋や対岸の家並みが一望できます。
 また、付近には俳人河合見風(かわい・けんぷう)宅跡「長寿庵」や、
 商家「八尾屋(やつおや)」の古民家が残っています。
 津幡町ではかつて、約400年の歴史を誇る八朔相撲(はっさくずもう)が
 行われていましたが、1969(昭和44)年にその幕を閉じました。
 この八朔相撲は、天正年間(1573~1592年)から
 慶長年間(1596~1615年)にかけて、近郷近在の祭礼などで
 盛んに行われていた草相撲が始まりといわれています。
 当時は旧暦8月1日に、同寺院や清水八幡神社の境内、
 津幡小学校の旧校庭に土俵を移しながら開催されていました。
 旧暦の八朔が採れる時期に開催されていたことから、
 こう呼ばれるようになったそうです。』
(※2010年5月23日、同年11月13日に関連記載アリ)
(※津幡町観光ガイド公式HPより引用)

現在の津幡銀座商店街付近の基礎ができたのは、江戸時代前期頃。
外様大名として最大規模の参勤交代を賄うため、
加賀藩二代目藩主「前田利長」の命により整備されたのが始まり。
御旅屋(本陣)と寺社(弘願寺}を現在の位置に移設。
「宿場町」として発展していった歴史がある。

つまり、除夜の鐘の音色は、大きく見積もって、
600年前から繰り返されて来た年末年始の風物詩という事だ。
髷男(まげおのこ)、島田髷(しまだまげ)女が打っていた往時は、
鐘突きの報酬として一体どんな縁起物が配られたのだろう?
平成のそれは「おっとっと」なのである(笑)。
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