つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡の鎮守に焔立つ~平成25年・小正月。

2013年01月13日 14時38分11秒 | 日記
今年も「清水八幡宮」にて行われた「左義長」へ行って来た。
「このブログでは、3度目の投稿である。
(※2011年1月16日、2012年1月16日参照)
今年は四半世紀ぶりに「餅焼き」に挑戦した。

細身の青竹の先端に付けた針金に割り分けた鏡餅を縛り、
大きな焚火にかざすのだが、上手く焼くにはちょっとしたコツがある。
強い炎に近づけすぎると、全体が黒焦げになるため、
灰の山の下に隠れた熾(おき)を利用して、じっくりロースト。
次々と正月飾りや書き初めが投げ込まれる度に、
また風向きや風の強弱によって、
微妙に変わる火の位置に対応しながら待つ事数分。
餅から水蒸気が出てきて程なく、プクッと一部が膨らめば焼き上がり。

果たして、焼き上がった餅はというと…美味かった。
テクニックは衰えていなかった。
昔取った杵柄である。

お腹も心も満足しての帰り道、近所の住宅街にて「忘れ物」を発見。
とある民家の玄関に注連飾りが飾られたままだった。

   

一般的には「松の内」の終わりの7日に外し、
「小正月」にあたる15日を目途に、左義長などで燃す。
…伝統に従うのは、季節感や区切りを意識して過ごす事ができ、なかなか悪くない。
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津幡町に残る昭和の大横綱の面影。

2013年01月11日 07時49分41秒 | これは昭和と言えるだろう。
「今日の一枚」は「味処 大鵬」。
新・津幡小学校校舎近く、県道59号線・津幡北交差点角に建つお店だ。
ネット検索してみると「つばた鍋」なるメニューがあるらしい。

河北潟干拓地の牛乳。(ホリ乳業か?)
津幡町内の加賀みそ(舟田味噌か?)と酒粕。(久世酒造か?)
3つの調味素材をベースに、地物の白菜やタマネギ、シイタケなどの野菜に、
タラと豚肉、鶏肉を盛り込んであるそうだ。
店主は、食による町おこしを目指す集まり「津幡美食倶楽部」の仕掛け人で、
今では割烹・和食などの料理店として知られている。
しかし、かつて、僕がまだ子供だった頃は所在地も異なり、
「寿司」をメインに据えていた時期があったように思う。
ともかく開業から半世紀を数えるここは津幡町の名店だが、
その名前の由来は、大相撲の名横綱ではないだろうか?!
…昭和30年代、こんな流行語があった。

『巨人 大鵬 玉子焼き』

いずれも当時の子供達が好きだったものばかり。
食を取り巻く環境が今ほど充実していなかったから、
玉子焼きは家庭料理の定番でありご馳走だった。
野球界は、長嶋・王の「ONコンビ」が全盛期。
日本シリーズ9連覇へ驀進中のいわゆる「V9時代」である。
大相撲では「柏鵬時代」の幕が開いた。
剛の「柏戸」に、柔の「大鵬」。
傑出したタレント2人による名勝負を中心に大相撲は黄金期を迎える。
特に「大鵬」は優勝32回、6連覇2回、45連勝の実力者であり、
日露混血の甘いマスクが国民的な人気を呼んだ。

店名が「玉子焼き」では、専門店と間違えられかねない。
「巨人」では、大仰に過ぎる。
大らかで、気風がよく、豪快なイメージを活かすなら…やはり「大鵬」だろう。
納得のネーミングなのだ。

…ところで、残念なニュースを耳にした。
大鵬をはじめ、プロレスラーとして大活躍した関脇・力道山や
幕内・天龍らを輩出した「二所ノ関部屋」が
今年の初場所を最後に閉鎖される事になったらしい。
代替わり後の近年は、関取を送り出せず弟子の数も減少。
親方の長期入院中で、部屋の運営が難しい状態となり、
角界の名門は土俵を下りる。

        

※2013年1月19日、追記。

第48代横綱・大鵬の納谷幸喜(なや・こうき)さんが、
19日午後3時15分、心室頻拍のため東京都内の病院で死去した。
72歳だった。

中学卒業後に営林署に勤めていたところをスカウトされて二所ノ関部屋に入門し、
1956年秋場所初土俵。
59年春場所後に18歳10カ月で新十両。
60年初場所には19歳7カ月で新入幕。
その場所で12勝を挙げて敢闘賞を受賞した。
同じ年の九州場所で初優勝し20歳5カ月で大関へ。
61年秋場所には、柏戸との優勝決定戦を制して柏戸とともに横綱昇進。
71年初場所で32回目の優勝を飾る。
同年夏場所5日目に貴ノ花(元二子山親方・故人)に敗れて引退。
一代年寄「大鵬」を襲名し、大鵬部屋を起こした。
80年2月から96年1月まで日本相撲協会理事。
05年5月に協会を定年退職後は相撲博物館長を務め、
09年には相撲界で初めて文化功労者に選ばれた。

輝かしい業績を遺して稀代の名横綱は人生という名の土俵を下りた。
合掌。
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津幡の川の流れのように生きる。

2013年01月10日 13時12分02秒 | これは昭和と言えるだろう。
「今日の一枚」は、「おやど橋」付近で撮影した「晩秋の津幡川」。
朝も昼も夕も夜も、春も夏も秋も冬も、過去も今も未来も変わらない水の流れである。
最近、ある「詩」を知った。

『岩もあり 木の根もあれど さらさらと たださらさらと 水の流るる』

水は高きから低きに流れて行く。
向かう先にどんな妨げがあっても意に介さない。
時に自在に流れを変え、時に岩をも削り取り、只無心にさらさらと。
…この「詩」には、大きく2つの意味が込められているように思う。

1つは、生きる心構え。
困難や災難、障害を乗り越えるには、決まった形を持たない水の心が肝要。
その時々に応じて柔軟に対処するべきだ。
もう1つは、世の理。
全ての物事は何かに導かれて流れてゆく。
困難や災難、障害もまた運命であり、成すがままにまかせるのだ。

言葉を紡いだのは「甲斐和里子(かい・わりこ)」氏。
京都女子大学の前身、顕道女学院の創始者であり、浄土真宗の高名な学者だ。
まとまりよく、語感も美しく、情景が浮かびやすく、心に残る「名詩」ではないだろうか。
…と、考えていたところ、よく似た「語り」を思い出す。

『心を空にして形をすてるんだ。水のように。
 水はカップに注げば、カップの形に。
 壜に注げば壜に。 ティーポットに注げば、ティーポットの形になる。
 水は流れることも砕くことも出来る。
 Be Water, My Friend. 友よ、水のようになれ。』

あるインタビューに答えた「李 小龍(ブルース・リー)」の言である。
映画「燃えよドラゴン」ディレクターズカットの特典映像に収録されていた。
森羅万象に学ぶ。
融通無碍。
東洋の思想なのだ。
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津幡町に残る昭和メガヒットの面影。

2013年01月08日 19時53分22秒 | これは昭和と言えるだろう。
「今日の一枚」は、津幡町・横浜の粉物屋さん「いのうえ」の大看板。
その右側には【およげ!たいやきくん】が描かれている。

昭和50年(1965年)「ひらけ!ポンキッキ」の挿入歌として世に出て、
オリコン調べのシングル累計販売450万枚は、歴代最多。
レコード盤・CD盤が消えつつあり、音楽市場が縮小した今となっては、
もう塗り替えられる事のない大記録かもしれない。
昭和を代表するメガヒットである。

僕がこのナンバーを初めて聞いたのは、おそらく父方の親戚宅だったと思う。
アンニュイなイントロに続けて流れてきた唄は、不思議な魅力に彩られていた。

『まいにち まいにち ぼくらは てっぱんの うえで やかれて いやになっちゃうよ
 あるあさ ぼくは みせのおじさんと けんかして うみに にげこんだのさ
 はじめて およいだ うみのそこ  とっても きもちが いいもんだ
 おなかの アンコが おもいけど  うみは ひろいぜ こころがはずむ
 ももいろサンゴが てをふって  ぼくの およぎを ながめていたよ』

熱い鉄板の上で来る日も来る日も焼かれる。
 ⇒地獄の責め苦のようであり、辛い現実のようだ。
喧嘩して海へ逃げ込む。
 ⇒抵抗や対処ではなく、逃避。
海の底は気持ちがいいが、おなかのアンコが重い。
 ⇒逃避行の後ろめたさ、後悔、不安。

粘っこいボーカルとも相まって、シニカルというか、風刺が効いているというか、
何だか楽しいだけではない深みがある事は、子供心にも感じられた。
そして、釣り針に架かって陸に揚げられて迎える衝撃のエンディング。

『やっぱり ぼくは タイヤキさ すこし こげある タイヤキさ
 おじさん つばを のみこんで ぼくを うまそに たべたのさ』
(※ 作詞:高田 ひろお / 作曲:佐藤 寿一 / 歌:子門真人。)

達観しているというか、世を拗ねているというか、諦めの境地に達し、
数奇な運命に弄ばれた生涯を閉じる。 タイヤキとして…。

やがて「およげ!たいやきくん」は、音楽の範疇を越えて社会現象となった。
タイヤキ屋さんに行列が並び、日本中の家庭が「タイヤキ器」が購入。
もちろん、津幡町の生家にもやって来た。
授業がまとまって休みとなる時期の東宝映画興行では、ゴジラ作品がメインなのに
「たいやきくん」の紙帽子が配布された。
僕は「金劇」で、嬉々として被った思い出がある。

(※2012年2月26日に「いのうえ」関連投稿アリ)
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Strange 津幡町④

2013年01月06日 18時22分54秒 | 不可思議な光景
驚くほどではないが奇妙。
一風変わった微妙な珍妙。
散歩中に出逢った不可思議な光景を記す不定期連載…
第四回は「過去からのメッセージ」。

撮影場所は、津幡町・横浜・横浜中交差点角の「おりはし商店」。
そのメイン・ビルボードに注目して欲しい。
『たばこ・クリーニング』の後…『自販機』とある。

こちらのお店は、僕が子供の頃からここで暖簾を掲げる万屋で、
店舗正面には品揃え豊富な3台の煙草自販機を設置。
画像には写っていないが、店舗横には、
大塚製薬・コカコーラ・ダイドー・サッポロなどドリンク類の自販機が並んでいる。
おそらく、このPRを打ち出した当時、
街中の自販機の数は少なく、コンビニエンスストアもなかった。
24時間買い物ができる自動販売機が充実している事は、魅力的だったに違いない。

…考えてみると、日本は世界一自動販売機が普及している国ではないだろうか。
海外では無人での販売方式は一般的ではない。
自販機があっても店員の目の届くところに設置されているイメージが強い。
数年前からは、度々「自販機強盗」のニュースを耳にするものの、
機械が壊され盗難に見舞われるケースが少ない「モラルの高さ」。
ホットとコールドを同じ機械で販売する「技術の高さ」など、
日本ならではの要素が「自販機大国」たる由縁と推察する。

お菓子・スナック、パン、玉子、うどん・麺類、乾電池、コンドームetc。
日本の自販機は百花繚乱なのである。

(※2010年7月24日、2011年4月6日に同地撮影写真投稿アリ)
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