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★自衛隊ジブチ基地 「労組敵視」2011年から 防衛省 戦争法行使視野に

2017年12月24日 11時58分43秒 | ●YAMACHANの雑記帳

自衛隊ジブチ基地 「労組敵視」2011年から 防衛省 戦争法行使視野に

アフリカのソマリア沖での海賊対処を理由に自衛隊がジブチ共和国内に設置したジブチ基地で、基地内の委託企業とジブチ人労働者の解雇をめぐる労働争議を、自衛隊が装甲車と銃で威嚇し、労働者を排除した“武力介入”事件(本紙10月26日付既報)。自衛隊はジブチ基地の「開所」当初に防衛省内で「対策会議」を開くなど現地労働者対策に強い関心をもっていたことが同基地に詳しい関係者への取材で分かりました。(山本眞直)

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-12-24/2017122401_01_1.html


写真

(写真)自衛隊ジブチ基地の設置直後に現地の労働組合結成などの対策会議が持たれた防衛省のA棟(正面)=新宿区市ケ谷

 関係者によれば自衛隊はジブチ基地の開所(2011年7月)後の11月7日に、防衛省内で統合幕僚監部を中心に対応策を協議したといいます。

 当時、ジブチでは、米軍基地で労働組合が結成されていました。

 対策会議では、米軍基地やフランス軍基地での労働争議、結成の動きなどの情報を共有、自衛隊としての対応を協議したといいます。

 協議の中で統幕運用部の担当者(2佐)が、米軍基地での解雇事件をめぐり労働争議に発展、これへの米軍司令部の対応や、フランス軍基地の労組結成の動きを説明。「海自の拠点でも組合が結成されるのは時間の問題だ。しかし結成は困る」との認識を示し、警戒感をあらわにしたといいます。

 防衛省・自衛隊のかたくななまでの日本基地労働者組合への「敵視」の動機はなにか。

地図:ジブチ

 防衛省は11月に、基地東側の土地3ヘクタールの新たな借り上げでジブチ政府と合意するなど、ジブチ基地を「集団的自衛権」行使を視野に入れた基地拡張、一大兵たん拠点化の具体化を加速させています。

 自衛隊が、基地内でのジブチ人労働組合の活動を禁じ、労組を容認した下請け企業の排除という「実力行使」の動機は、戦争法のもとで米軍軍事作戦への地球規模での支援の具体化にあることは明らかです。

労働争議に「武力介入」

事前に対策を協議か

写真

(写真)ジブチ自衛隊基地のジブチ人労働者解雇、労組排除を強行した富士貿易の日本本社=横浜市中区

 ジブチ基地での労組結成の“予感”は的中しました。日本基地労働者組合(STBJ)は2016年3月に結成され、同労組はジブチ労働総同盟(UGTD)にも加盟し、ジブチ労働省に登録をする合法組織です。

 下請け企業は労組の存在を認め団体交渉で業務受託中の雇用確保、賃金保証、人権尊重などの労組側の要求について「当然のこと」と合意しました。

 関係者は今回の自衛隊による労働争議への「武力介入」について「発端は労組結成にある」と証言します。

 防衛省・自衛隊は労働争議への「武力介入」についての本紙の取材に「威嚇した事実はない。雇用関係は業務委託先企業の責任で行われるもので、答える立場にない」としました。

 しかし本紙が入手した日本基地労働者組合(STBJ)からジブチ労働相への救済介入を求めた要請文(16年6月21日付)によれば、「日本軍(自衛隊)がSTBJの法的承認を拒否している」と訴えています。

 このなかで同労組はジブチ政府の法的承認、ジブチ労働総同盟の加盟証明など「すべての必要な行政文書とともに自衛隊に提出されている」にもかかわらず自衛隊はそれらの文書を下請け企業の元請け会社に「返送した」としています。

 ジブチ人労働者を全員解雇したジブチ自衛隊基地内の営繕・施設管理などの業務委託を受注している富士貿易(本社・横浜市)は、解雇理由、自衛隊との協議内容などについての取材申し入れに、「答えられない。(理由は)会社の方針だ」と拒否しています。←全てが閣議決定の弊害です(# ゚Д゚)

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◎平和を願う言葉の力 週のはじめに考える

2017年12月24日 11時09分41秒 | ●YAMACHANの雑記帳

中日社説

平和を願う言葉の力 週のはじめに考える

http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2017122402000102.html

「平和と唱えるだけで平和を実現することはできない」と言われますが、平和を願う言葉が平和を実現する大きな力となることも、また真なりです。

 本紙が朝刊で毎日掲載している「平和の俳句」は、戦後七十年の節目となる二〇一五年一月一日から始まりました。日々の紙面で紹介できたのは千句余りですが、応募総数は十三万句に上ります。この数は、読者の皆さんの平和への思いの強さにほかなりません。

 「平和の俳句」誕生のきっかけとなったのは、その前年、さいたま市の女性(当時七十三歳)が詠んだ<梅雨空に『九条守れ』の女性デモ>という俳句でした。

「九条守れ」の句拒む

 この句は、同市の公民館が開く俳句教室で互選により「公民館だより」の俳句コーナーに掲載されることが決まっていましたが、市側の判断で見送られました。「意見が二つに割れている問題で、一方の意見だけを載せるわけにはいかない」という理由です。

 安倍晋三首相は一四年七月、歴代内閣が憲法違反としてきた「集団的自衛権の行使」を一転容認することを、内閣の一存で閣議決定しています。女性デモはそれに反対するデモだったのでしょうか。その中で起こった<九条守れ>俳句の掲載拒否でした。

 その前年には、防衛・外交など特段の秘匿が必要な「特定秘密」を漏らした公務員らを厳罰に処す特定秘密保護法の成立が強行されています。一五年には集団的自衛権を行使するための安全保障関連法も成立が強行され、今では、安倍首相自身が憲法九条改正に堂々と言及する状況です。

 憲法を尊重、擁護することは国会議員や公務員には義務のはずなのに、市民が詠むことは認めようとしない。改憲を目指す政権や政治勢力に対する公権力の「忖度(そんたく)」以外の何ものでもありません。

戦前の弾圧と重なる

 この問題を、戦前の新興俳句弾圧の歴史と重ね合わせたのが、俳人の金子兜太さんでした。

 昭和初期、伝統俳句からの脱却を目指す新興俳句運動が起こり、多くの俳人が参加しましたが、一九四〇年から四三年にかけて治安維持法で投獄されていきます。

 厭戦(えんせん)句や、貧困を嘆いて社会変革を目指す句は、当時の軍国主義体制にとって、戦争遂行の邪魔だったのでしょう。俳壇内部にも新興俳句を快く思わない人たちがいて、弾圧に便乗したといいます。

 中国との戦端はすでに開かれていましたが、新興俳句への弾圧が始まった翌年には、米国などとの太平洋戦争に突入します。

 「平和」と唱えることすらできず、言葉の歯止めを失った社会が国民を戦争へと駆り立て、国内外に多大な犠牲を強いたのです。

 徴兵され、南方の凄惨(せいさん)な戦場を目の当たりにした金子さんは、戦後六十九年の終戦記念日に当たる一四年八月十五日の本紙紙面で、作家のいとうせいこうさんと語り合います。

 <九条守れ>の句について聞いてみたいんだけど、と振られたいとうさんは、監視社会のように互いを縛る風潮への懸念を表明し、上から抑え付けられたように語られてきた戦前も「本当はこうだったんだろう」と応じました。

 そして、その場で二人は、自ら選者となり、戦争体験や戦後世代が戦争体験をどう考えるかを詠んだ俳句の募集を提唱したのです。

 そうして始まった平和の俳句を二人は「軽やかな平和運動」と呼びます。当初は一年の予定でしたが、「やめないで」という読者の声に励まされて三年続きました。

 他国同士の戦争に参加することを法的に可能にし、戦争放棄と戦力不保持の憲法九条改正すら公言してはばからない安倍政権の下では、私たちの平和な暮らしが脅かされかねない。そんな時代に対する危機感を読者の皆さんと共有できたからこそ、続けることができたのです。

 安倍首相はしばしば国会で「平和と唱えるだけで平和を実現することはできない。だからこそ、世界の国がそれぞれ努力し、平和で安定した世界をつくろうと協力し合っている」と言います。

「軽やかな平和運動」

 しかし、平和を強く願う気持ちがなければ、平和を実現する努力や協力にはつながりません。だからこそ、その気持ちを言葉で率直に表現することが大事なのです。

 過去の教訓を顧みず、再び戦争への道を歩むことがあってはならない。政権監視は、私たち新聞にとって重要な役割です。

 読者の皆さんが参加した三年間にわたる「軽やかな平和運動」が持つ意味は、とてつもなく重いものです。「平和の俳句」は年内いっぱいで、いったん幕を閉じますが、その意味の重さを、これからもずっと肝に銘じながら、新聞の役割を果たし続けます。←力強く前進して欲しい(^^♪

寂聴さん、不戦の思い 「平和の俳句」に自作寄せる

寂庵の庭を歩く瀬戸内寂聴さん(左)。右は秘書の瀬尾まなほさん=京都市で(伊藤遼撮影)http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2017122402000062.html

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 作家で僧侶の瀬戸内寂聴さん(95)が、本紙朝刊一面で掲載の「平和の俳句」に自作を寄せた。選者を務める俳人黒田杏子(ももこ)さん(79)との親交が縁。京都の寂庵(じゃくあん)で、句に込める思いを聞いた。

 <冬すみれ排除の文字は読めませぬ>

 題材は、今年十月の総選挙を巡る小池百合子・東京都知事の発言。当時、希望の党の代表として、公認希望者の一部を「排除いたします」と断言したことを踏まえ、今の政治と社会のあり方を問いかける。

 草花や樹木を好み、季語の「冬すみれ」を「いなかに暮らすおばあちゃんみたいな花」という寂聴さん。その姿に、普通の国民を重ねた。「排除なんて言葉を使う政治は国民には読めません。伝わりません」

 小池発言に限らず、立場や考えの違う人を敵視し、排除したがる風潮を懸念する。「アメリカが第一、日本が第一。私が子どものころも、そういう考え方がはやってたの。今は昭和十七、十八年ごろの、軍靴が暮らしのすぐそこまで迫った時と似た感覚です」

 俳句を始めたのは半世紀も前。小説に打ち込むためしばらく離れていたが、三年前に入院した折「病床での楽しみに」と再開。今年五月には、初の句集「ひとり」(深夜叢書社)を出した。九十歳を過ぎてなお「前衛的な俳句を詠めるようになりたい」と取り組む。

 黒田さんは東京女子大の同窓生。寂庵で一緒に句会を開いていた。九月から選に当たる「平和の俳句」の話を聞き、投句を勧められた。「戦争を知ってる人はもう一握りで、その俳句は貴重です。皆さん、これが最後と思って作ったはず」と語り、自身の戦争体験を「五・七・五」に昇華させた投句者に思いを巡らす。

 「ひとり」にも、戦争と平和を詠んだ句を収めた。

 <戦火やみ雛(ひひな)の顔の白さかな>

 <反戦の怒濤(どとう)のうねり梅開く>

 戦時中は飾って楽しむこともできなかったひな人形を新調した時、反戦デモの勢いを見た時-。「『平和の俳句』って、詠み手の中から自然に湧き上がるものじゃないでしょうか」

 (川原田喜子)

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◆時事放談 2017年12月24日 村上誠一郎 × 片山善博

2017年12月24日 10時59分00秒 | ●YAMACHANの雑記帳

時事放談 2017年12月24日 村上誠一郎 × 片山善博

【宮台真司×村上誠一郎】自民党の今と『日本』のこれから!《デイキャッチ》2017年12月15日


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