イタリアの風に吹かれて ~con te partiro~

前世(かこ)から未来(いま)へと紡がれし時の記憶
あなたと交わした約束の欠片を辿る遥かなる愛しき旅

腰掛神社参拝

2011年10月10日 23時57分38秒 | 花🌷木 写真

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     茅ケ崎市芹沢にある『腰掛神社』に 参拝しました。

   茅ケ崎の神社では最も北部に位置している社地の森林は
  市指定の天然記念物とのことでした。

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 森林に囲まれひっそり佇む『腰掛神社』のご神域は
 穏やかで清らかな光に包まれている様に感じさせられました。Pa102542_2
  
 主祭神 

 日本武尊 (やまとたけるのみこと)
大日霊貴命
金山彦命
白山彦命
  宇迦之御魂命 (うかのみたまのみこと)

昨日実家を訪れた際、たまたま腰掛神社の話しになり
弟がパンフレットにあった腰掛神社の由来やご祭神を
何となく読んでいたのを耳にした時、驚くと共に
 縁(えにし)を感じたので本日訪れました。というのは、
 私の生まれた土地をお守りになっている神様の神社、
 産土神の主祭神はスサノオノ命、ヤマトタケルノ命
  宇迦之御魂の命なのですが、腰掛神社の主祭神も
  日本武尊、宇迦之御魂命だったのです。

    訪れた腰掛神社は不思議とその佇まいが
    産土神社と似ていました。

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   由 緒:  ウィキペディアより

 日本武尊ゆかりの神社。社名は日本武尊が東征の際、
この地で石に腰掛けて
大山を眺めて休憩した
という伝説に由来している。

 また、そこに住む住民が日本武尊を偲び
 その石を御神体として社を建てたのが
  腰掛神社の始まりと伝えられている。

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    本殿脇にはその時の石と伝えられる大きな石、

       腰掛玉石が祀られている。
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境内には本殿や拝殿の他 神仏習合の名残で鐘楼がある。
時期については不明であるが震災で本殿と拝殿は一度壊れた。
拝殿は震災後に修復され、現存の拝殿は
正7年 (1918年)に修復したものである。
 寛政元年(1799年)11月に社殿は再建される。
明治6年(1873年)、社格は村社となった
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ただ そこに在る ということ
 飾らない 主張しない その穏やかな存在感に
    言葉ではいい知れぬ心地良さを感じました。

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  ↑ イチョウの木には 

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    腰掛神社の守り神なのでしょうか。

注連縄の上にちょこんと鎮座ましました可愛い蛙さんのお姿が。
(右側の白いものは注連縄についた紙垂です)

「蛙さんご免なさいね、ちょっと写させて下さいね。」
 声をかけ
 撮らせて頂きました。
いつまでも見ていたいようなお姿でした。


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 なんとも言えぬ 軽やかで 優しい鳥のさえずりに
  暫し耳と心を委ね、境内を歩かせて頂きました。

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このブログをしたためながらふいに思い出した事があります。
私の見る夢の中で割と多いのは
アバター
に出てくる様な色彩豊かな 美しい深い森林の中を
双子のおかっぱ頭の女の子達に
  道先案内をして貰い乍ら散策するものや、
高下駄を履き、八つ手の葉を持っ
ナウシカの様な女の子の
小天狗が、
後ろに山を抱えた見晴らしの良い、
白さが際立つ石段を登りきった頂上から
興味深げに、
気持ち良さそうに
下界を見下ろしている様子のものや、
見たことも訪れた事もない神社を参拝しているものや
夜空を飛んで、昔よく訪れた寒川神社の鳥居の下をビューン
 くぐりぬけている夢・・・・・というように、思いかえすと、
   森林や、神社に関する夢が多いです。

  神道の世界に精通した人間でもない私が高校時代、
  某短大の推薦の話しを蹴ってまでも 行きたい思い
  惹かれた大学はそう言えば未来の神主さんを
養成する学科もある大学でした。

  又、スピリチュアルな学びを深める中で学んだ
古神道の世界はごく自然にの魂をゆさぶると共に
 
深くDNAに浸透し初めて(?)日本人である事に
感謝の気持ちが湧いてきました。

  きっとこれからもご縁のあった神社に導かれ
参拝させて頂き、自身の内面と対峙してゆく、
そんな気が致しました

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   木造の鳥居は 風情があって美しく
心の中で感謝を述べて腰掛神社をあとにしました。
     また、ご挨拶に参りたいと思います。