ここ数日 【待つ】という事を
改めて考えさせられる出来事が幾つか重なりました。
【心穏やかに待つ】という事は、簡単なようでいて
案外難しいのではないかしら?と思いました。
私に限っての事かもしれませんが(笑)
【心穏やかに待つ】という事を自身になぞらえてみた時、
私の場合は、植物や愛猫の成長に対しては
ごくごく自然に、せかすことも 焦らすこともなく
彼らのペースを尊重し、その成長を温かな気持ちで
身守れているように思います。私自身の性質は、
おっとりとした、どうでもいいんじゃないの?という
のほほんとした部分と、迅速な回答乞う!
という部分とが 混在している様に思います。
以前ある場所で出会った、あるお母さんが
何気なく仰られていた言葉が
私には とても印象的に残りました。それは、
「私は母に子供の頃から勉強をしなさい、と
言われた事はありませんでした。
でもお友達は殆ど皆、毎日の様にお母さんから
「宿題したの?」「勉強は?」と言われていたそうで、
それを聞いた私は子供ながらに、
母が私に何も言わないのは、私の事を
どうでもいい、と思っているからなんだ、と
長年思っていました。
今、子供を持つ母親になった私は
冷静だった母と違いすぐに子供に
「勉強したの!!」と、ことある毎に
ガミガミと声を荒げてしまう母親です。ある時、
子供に「勉強をしなさい!」と言った自分に
ハッ、とし、そして気付きました。
今まで私は「母は私を愛していいないから
何も言わないんだ」と長年思っていたけれど、
母は私を信じ、尊重してくれていたからこそ、
本当は言いたかったかもしれないのに
グッと堪(こら)え、口出しをすることなく、
私を見守ってくれていたんだということを・・・・
言う事よりも、言わない事の方が、
どれだけ難しいかということを、
私は自分が母親になった今、
初めて分かりました」と。
この方とは一度お会いしただけでしたが、
私の中でなるほど、と思ったお話しでした。
近しい間柄である程に、なかなかどうして、
口出し、手出しをせず、そっと見守り
待ち続けることは、実際には
中々難しいことなのかもしれません。
けれど人はまた、その存在を
本当の意味で信頼した時
そっと信じて見守り続けるという事もまた、
出来うる。そんな風なことを、ふと思いました。
今日は大切なお友達にお声かけ頂いた
植物に関する講義を受けに自由が丘まで参ります。
講義前にお友達が予約してくれたタイ料理のお店で、
まずはお互いの近況報告をしながらのランチ
今からとても楽しみです
Y香さん、どうも有難うございます