たとえば物質面において、とても豊かであって、
それが生涯ずうっと続く事もちゃんと約束されていて、
「これが欲しい」と思えば、何の努力をせずとも、
ポンとそれがいつも手に入る様な環境にある人だったら
(それを恵まれた人と呼ぶのかは定かではないが)
そしてそういう人が生涯外見的な美という点に於いても
強靭な肉体という面においても維持し続けたいと
強く望むなら恐らく身体に良いとされる高価な食材を
調達する事に情熱を注ぎ ありとあらゆる
身体に良いとされる物を
難なく試す事も可能なのかもしれないが、
それは一部の限られた方々に出来うることのような
気がする。
(今 これを書いていて不老不死の妙薬を探し求め
最終的には水銀中毒で亡くなったとされる
秦の始皇帝が重なった)
文明の利器により、様々な情報が齎されると共に
洪水のように それらが溢れかえる昨今、
オギャーと産まれた瞬間から誰もが平等に
死に向かって歩みを進めてゆく中で
人は人生を全うするその時まで 願わくば
健康でありたい、という切なる思いが
本能に刻まれている気がする。
故にどんなに時が流れても【健康で居る】という事に
大半の人は意識を向けるのかもしれない。
そして人を統括するポジションにある人ほど
生への執着もまた、ひとかたならない様な気もする。
かの徳川家康公も自分で薬を調合するほどの
健康おたくとして 後世に語り継がれているが、
天下取りであろうが、そうでなかろうが時を経ても尚、
人の大きな関心ごとに【健康】があり、
人は良くも悪くも【健康】という言葉に敏感であり、
【身体にいい】という言葉に
時として 翻弄されるのかもしれない。
ご多分に漏れずこの私も 願わくば、
身体が悦ぶ食材を毎日摂り続けていけたなら
勿論素晴らしいと思う。
けれど 逆説的かもしれないが、
懐具合と相談せず、高価なものを
ブームにのっとってその時だけ買い求めてたとしも
何ら意味をなさない気がする。
摂取するという事はそもそも その根底に
毎日無理なく続けるからこそ、
いつしかそれらが血肉となって、健康的な身体が
結果的に作られていくのではないかと思う。
なので(私は)無理をせず、背伸びをせず、
世の中の流行に踊らされず、一部の人の、
またはその人が試していいと思ったからといって
やみくもにそれを信じ切ってしまわずに
それにすぐ飛びつくのでもなく、
懐具合とその時々に相談しながら、
昔から今へと続くステキな智慧を取り入れながら、
楽しく続けてゆけたらいいなと思う。
忘れてはならないのが、その人にとってのいい事、
ベストな事が全ての人に同じように当てはまるとは
限らない。それぞれ体質も異なるように
どこか一歩俯瞰して様々な情報の渦に
翻弄されずにありたいと思う。
自分の身体に合うもの、身体が欲するものを
細く長く続けていけたら、と思う。
以前テレビで取り上げていたので、ご存じの方も
多々いらっしゃるように思われるが、生椎茸は
天日干しする事により旨みが増すのを知ってから、
数種類のキノコと大好きな根菜と一緒に干し
(えのきは食感が変わりとても美味)
素材の味を活かす為 シンプルにオリーブオイルに
鷹の爪や醤油などを入れササッと炒め頂いているが
これがまた、簡単な割に自然の美味しさが
ギュッと前面に現れた美味しい一品になってくれる。
昔から料理は好きだが料理家ではないので、
自身のブログでレシピを紹介することなどは
憚られるが、こんな風に自然の素材が
成仏してくれるように日々感謝して食材たちを
有難く頂いている。
(天日干しをする事で水分が抜けるので
火を通す時間も少なくてすむ)
直観でバンバン動く事も多く夢見る夢子ちゃん的な
部分も多い私だが、ある部分においては
とても冷静であり、リアリストであり、慎重なので
肌(頭皮も含めて)に直接つけたり、
口の中に入れるものを試す時は
その会社が何十年という間ちゃんと統計を取り、
それを摂取した事で弊害が出ていないかなどが
見えてくる、信頼できるようなデータがないと
試そうとは思わない。
(科学に関しては全くのド素人だがそれでも私は
ナノ化という言葉にロマンを感じる。
そして信頼のおける会社のナノ化された化粧水を
つける時、ナノ化された原液が肌の奥にグングン
浸透していくイメージが出来てとても楽しい。)
私自身がこのように慎重なので、
たとえ私が試して良かったからといって、
特に口から入るもの(食材)や
皮膚に直接つけるものに関しては、
相手から聞かれない限り、こちらから紹介したり
勧めることはしない。それは自分がその道の
プロではないという事をよくよく自覚し自分の立ち位置を
理解しているからなのかもしれない。
そして思うのは人に勧める以上、やはりそこには
常に責任が伴うものと思っている。
それが自分にとっての いいものだとしても
全ての人に合うものではないのだから、
声を大にして「これはとてもいいですよ」などとは
恐ろしくて言えはしない。
本当にいいものというのは、誇大広告や
宣伝など大々的にしなくても、
ちゃんと広がっていくように感じている。
こういう部分においては古風なのかもしれないが
私はやっぱり静かに こっそり、大切に、
ご縁のある人のもとへ・・・・というスタンスが
好きなんだな~と つくづく思う。
なので イケイケドンドン的な勢いに乗るのもまた
好きではない。
話が少し脱線気味になったが、
昔から日本人が当たり前のように摂り続けてきた
目立たず、あまり注目されないような
土と同じ色をしたような、
質素と言われ続けてきた食材にこそ、
身体が悦ぶ成分がググッと凝縮されている気がする。
それが完全無農薬の有機栽培でなかったとしても
自然からの恵みであることには変わりがないという
事実に気づき、それらをぞんざいに扱わず、
高級な食材と同じように扱い、心から感謝をし、
食材と自分とが一体化している様なイメージを持って
よく噛み 深く味わえば栄養はダイレクトに身体に届き、
私達の体をちゃんと作ってくれると私は信じている。
安心・安全・高品質と言われる物を
摂取したいと思う気持ちは、皆 同じだと思う。
しかしながら、この物質の現実世界において
家族の人数や、諸事情により、毎日高級な
質の良いとされる安全なものを、全ての人達が
同じように手にいれられるのか、と言えば
そうではないと思う。
ご存じの方も多いかもしれないが唾液には数々の
素晴らしい力が備わっていいることが
明らかにされている。
お名前を出すことは控えるが、
以前ある先生から聞いたことに
なるほど、と思ったことがある。それは、
日本人の主食とされるお米を頂く時、一口を
88回咀嚼すると、とてもよい、という事であった。
その理由も幾つか仰られたがここでは割愛させて頂く。
確かにお米の米という漢字をばらすと八十八になる。
私自身88回を 何口かトライしたものの
続けることはできなかったが
(実際88回噛むという事は至難の技である)
確かに長く噛み続けると唾液と共に
お米本来の甘みがフワァッと広がってきて
有難いな、という思いが自然に湧き上がる。
実際にこのお話を先生から聞いたある初老の男性が、
88回咀嚼する事を毎日続けていた所、
ご自身の体に起きている様々な負の現象が
次第に改善されたと仰られていた。
私達はよくも悪くも 色々な情報をあまりにも多く
聞きすぎているのかもしれない。
人間の身体というのは本当に素晴らしい
1つの宇宙であると感じさせられる。
嫌だなと思っているのに我慢して言葉を飲み込むと、
それが喉の痛みとなって現れたり、
聞きたくないことを言われ続けていると、
防衛本能の為なのか?
一時的に耳が聞こえにくくなるなどの現象が
実際に起こったり ということも聞かされる。
人間に備わっている素晴らしい免疫力を高める為に、
意識し 感謝し よく咀嚼する事を
日々の生活の中で続けていくと、もしかしたら
少しづつ色んなことが変化していくかもしれない。
特別に作られた高価なものがなくても
そして無理をしてそれを求めなくても
あまりよくない環境で育てられた野菜でも、
ご縁で自分の元にやってきてくれた
その野菜に感謝し、よく咀嚼して頂くことで
唾液が沢山出で内側から変わり
少しづつでも強い身体が作られてゆくのではないか
ふと、そんなことを思った。