※ 一部削除、加筆しました。
例えば とても悩んでいる時、その悩みが深刻である程
人は誰かにそのことを こと細かに話そうとはせず
混沌とした中で右往左往しながらも 自分の力で
解決の糸口を何とか見出そうとする様な気がします。
かくいう私も 本当に悩んでいる時ほど
その状況を身内でさえも話さないような所があります。
心配をさせたくないしから。
それでもやっぱり 答えが纏まらならないような時は
口が堅く経験豊富で 心底信頼できる方に
話しを聴いて頂くようにしています。
「何かあった?良かったら聞くからね~」と軽い口調で
何度も言ってくる人は経験上
注意が必要かもしれません(笑)
そんな時の私はかえって口を閉ざし 口をつぐみます。
というのは、たいていの場合 そういう方というのは
相手を思っての それではなくて好奇心旺盛の
単なる知りたがり屋さんであることが多いからです。
そういう方に気を許しポロッと話してしまうと あとから
ドッと後悔の波が押し寄せ疲れてしまいます
知りたがり屋さん 聞きたがり屋さんに
多く見られる特徴や傾向は、
人の不幸は蜜の味ではありませんが、
相手の話を聴きながらも どこか、
自分の幸せ度と比べ、優越感に浸っている、
ということも感じさせられます。
私の場合、とても悩んでいる時ほど 人に話さず、
そしてまた、そんな時は親しい友人であっても
積極的に会いたい、という気持ちは起こりません。
それは多分、自身が大変な状況の時でさえも
無意識に相手のことを気遣ってしまうという
長年染みついた宜しくない自身の癖が出てしまうことを
分かっているからだと思います。
なので、例えば私の書く文章を御覧になられ
何となく あれ?っと思った方が 久しぶりに
「逢いましょう」とお誘い下さる時、そこに少しでも
【聴きたい】 【知りたい】オーラが見え隠れしているのを
感じてしまうと、お逢いしたとしても
自分のことは話しません。
話さなくていい権利が私にはあるから。
目の前の人の気持ちに添える方というのは
心配なフリをして 探るように久しぶりに時間を共にした
友の話しを根掘り葉掘り 聞き出そうとはせず、
他愛のない話をしながら 「美味しいね」って
ご飯を食べながら、相手が醸し出すものや
声のトーンや瞳の奥の憂いなどを感じ取り
穏やかな安心する空間をさりげなく作ってくれて
無理に話させよう、聞き出そうなどせず、
こちらが頼んでもいない助言をすることもなく、
上から目線の 無礼で不必要な物言いなど
しないような気がします。
例えば 久しぶりに会った人から開口一番
「最近 何か変わった事はありましたか?」など
探るように聞かれたり 近況報告を
しなければならないような状況に持っていかれるのは
本意ではなく、そんな風にされたら私はとてもイヤで
とても傷つくので、親しい友人に対しても軽い口調で
必要以上に「何かあった?大丈夫?話してね」とは
言わないようにしています。
全てを洗いざらい話せる関係を真の友情と呼ぶ、
と言えば 私はクエスチョンです。
場面や状況、相手の雰囲気を感じ取り
聞きだそうとしないことも 相手を真に思う
気持ちのあらわれではないかしら、と思うのです。
でも、大切な友人が悩みに打ちひしがれ辛い時、
もしも 私を思い浮かべ 心開き話してくれたなら、
私は智慧を出し 相手の心を全力で
サポートしたい、抱きしめたいと常々思っています。
私には人生における師と心から思い呼べる人は
ごく僅かなのですが、今朝 その師から
有難いご助言をたまわりました。
お言葉に甘えお話しをして良かったと心底思いました。
心篩(ふる)われる言葉に感無量でした
不思議なことに折に触れその方の夢を見ます。
今朝もその方が私にメールを打ってくれている最中
私はその方の夢を見ていました。
この場をお借りして・・・・
ご友人の皆様、いつも私のことを大切に想い、
気にかけて頂き ありがとうございます。
今、書かせて頂きましたように
久しぶりに皆さまとお会いした時、必要であれば
私は自分の口から近況などお話しますので
今後、私が自ら 自身のことを話さない場合は
今は 話したくない時なんだなとご理解を頂き
そっとしておいて頂けましたら有難く存じます。
私自身 今 落ち着いて 時間をかけ 様々なことを
考えたい故、テンションを上げ賑やかな気持ちを保ち
積極的に 自らの思いを語る、
という心境ではありませんことを
お察し頂けましたら嬉しく存じます。
最後になり、そして恐縮ですが、こちらの記事は
私自身に関する個人的な思いを多々綴っております故
皆さまのフェイスブック上にシェア頂くことは
避けて頂きますよう重ねてお願い申し上げます。