春分の日、久々に書をかきたくなった。
新たな筆をおろしフッと浮かんだ書(しょ)をかいた。
これから起こることや 1つの現象を
書が先に知らせてくれることがよくある。
今回もそんな気がした。
これといった理由はないが どちらかというと
海よりも山に惹かれ、
山から癒しを受けていると感じていた。
といって、登山大好き
山ガールという訳でもなく、
富士山に登ったのも1度きり
けれど 産声をあげた地域から
そう遠くない場所には
大雄山がそびえ、
10年以上前 3年弱住んでいた
四国のマンション前には
歴史で有名な、かの屋島が広がっていて、
7階の玄関前からは
日課の様に屋島を眺め
天気の変化を感じとっていた。
でも、この1~2年は
海が気になって仕方ない私がいる。
「太陽と月、どちらが好き?」と聴かれる時、
少し困惑する。
太陽も月もいづれも素晴らしく
有難く 素敵だけれど
敢えて「好き」という言葉で括るとしたら、
そのどちらでもなく 真っ先に浮かぶのは
風であり、星だから・・・・・・
もう随分前、ある茶話会にお声かけを頂いた時、
初対面であり 私の生年月日を知る由もない、
自己紹介もこれから、という時、
特殊な能力をお持ち故、一時期テレビにも
よく出てらしたある方に、
私を見て感じたという、私をあらわす言葉として
「春の水の人」という言葉を頂いた。嬉しかった。
私という人間を抽象的にあらわすならば、
風に吹かれながら、
星を眺めることが好きな
春の水の人
そんな風に思う。(因みに私は春生れ)
皆さんと同じように 静、動 どちらも併せ持つ
多面的なワタシは気のおけない人達と
楽しいひとときを過ごすのも勿論好きだけれど
それ以上に静かで穏やかな流れの中に
身をおくことが好きである。なのでいかなる時も
テンション高く 「楽しきゃいいジャン」的な
HOTなエナジーを放つ方の傍にいることは
少しばかり しんどいと感じることもある。
他人様(ひとさま)から
フレンドリーに見えているのか
いないのかは定かではないが
広く、浅くテキトウに相槌を打ち
ナントナク口裏を合わせてみたり
このヒトと付き合うと得だからと、
腹を探りあうような
どこかイイトコドリをするような
表面的な付き合いは大の苦手である。
というより、そんな風に生きたら
苦しくなってしまう。
そんな私なので安心して心内を
吐露できる人というのはごく僅かである。
それは とても なだらかで
実際は いつからそうなのか
よく判らない位の緩やかな変化なのだけれど、
多分この2年程で関わり続けたいナ
と思う人や 大事にしたいと思う人が微妙に変わり
また何を大事にしたらいいのかが
次第に浮き彫りになってきたように感じている。
そんな変化の只中にいて改めて思うのは
一緒に過ごしてきた年月こそが 最も重要で
確かで 価値のあるもの、という訳ではなくて、
例えご縁を紡いで僅かな時間だとしても、
1度も逢ったことがなかったとしても、
頻繁に会うような間柄ではなかったとしても、
メールなどを介した 心の交流は出来ると
つくづく思わされた。
波間に漂う私という小舟は
これから どちらへ向かうのだろう。
目を瞑ると、光射す凪にすすむ
小舟のヴィジョンを見せられた気がした。