違和感スゴい! エコカーのように省エネな新感覚ランニングシューズ「メタライド」
単純に「ランニングシューズがそれほどまで進化する必要があるだろうか?」と思う。じゃあ、どこまでなら良いのか? タラウマラ族の履く古タイヤ製のサンダルだったらOKだが、アディダスのブーストやアシックスのターサーはだめなのか? ターサーなら良いけどこのメタライドやヴェイパーフライはだめなのか? 線引きは難しい。
私ももちろんランニングシューズを履いているし、裸足ではもちろん、サンダルや下駄でもフルマラソンを完走できそうにない。
■ 「原発は必要かどうか」と同じ構図の話
吉本隆明は原発賛成派で、最初聞いたとき私個人は不思議に思った。彼は「原発がダメと言うことは進化をやめろと言われているのと同じ事だ」、という趣旨(私の記憶が間違いでなければ)のことを言っている。彼は詩人で哲学者だが元々は東工大出の理系の人間でそのあたりとも関連した発言なのかもしれない(理系の人間と詩を作る人間が相容れないと行っているわけではない。宮澤賢治を出すまでもなくむしろ親和性があると思っている)。
でも、3.11の震災、というより直接的にはそれに起因した津波によって原発事故が発生して、状況が一変した。波に洗われ問題点が一気に露出した。数十億の人間の意見や考えがそろって同じになるなどという幻想を抱いてはいない。だからあくまで個人的な意見に留まらざるを得ないが、吉本の意見を踏まえても尚、これはもうやめるべきだと思っている(やめられるかどうかはまた別の問題だが、それがもし多数決で決まるならやめる方に投票する)。
■ ランニングシューズの進化と高価格化
ほんの5年、いや10年前ならランニングシューズの価格はせいぜい1万5千円くらいだった。ランナー人口が増えメーカーも本気を出してきたわけだが、ブーストだ、ヴェイパーフライだと、2万、3万、挙げ句の果てには限定何足だかで抽選だが10万なんて靴も登場し、MGCの資格を持つランナーが応募したりしている。
確かに、プロのランナーなら人生がかかってるわけだし、1秒を争う世界だから、10万の靴を履いただけで、仮に数十秒でもタイムが縮まるなら安い投資だろう。あくなき追究。悪くはない。ただ、それは「他のコンディションがすべて同じ条件なら」ということでもある。プロでもない私がいうのもなんだが、もっと他にやるべき事がいくつもあるという気はする。その選手はきっと「他にやるべき事」はやり尽くしたのだと思う。
■ 欲望と進化とランニングシューズ
だが、われわれ市民ランナーには「他にやるべき事」が山ほどある。
私も新しい靴やギアを知れば、興味があるし、チャンスがあれば試してみたいとも思う。人間の欲望は限りない。欲望は進化の動力源でもある。20世紀までは概ね進化は良しとされてきた。でも、もはや見直すときが来ている。
あのさあ、シューズの進化ってのもほどほどがいいんじゃない?