癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

「箱館戦争降伏式之地」碑

2012年11月13日 | 日常生活・つぶやき

  今朝の新聞に、亀田八幡宮に一市民の手で「箱館戦争降伏式之地」碑が建てられたとの記事が載っていたので、見に行ってきた。

 確かに、八幡宮の旧社殿の前に、刀の形を模したという石碑が建っていた。八幡宮は松前藩の祈願所として文禄3年(1594年)に建立されたが、文久3年(1863年)に改築されている。この旧社殿が、その6年後に箱館戦争の降伏誓願の場になったのである。この旧社殿は、市内で最も古い木造建築だそうだ。


 裏には、その史実の簡単な説明が彫られている。「降伏後冷酒で歓談」とも記されている。

 少し詳しく書くと、明治2年5月15日に弁天台場降伏、5月16日には千代ヶ岡陣屋が陥落、残るは五稜郭のみとなった。ちなみに、土方歳三は5月11日に亡くなっている。5月16日、五稜郭の榎本総裁、松平副総裁のもとに新政府軍の最後通告がなされている。総裁榎本武揚、副総裁松平太郎、陸軍奉行大鳥圭介は、この通告を容れ、翌17日に、指定された亀田三軒家(現八幡町)の農家中村家に赴き、新政府軍の総参謀黒田清隆に降伏を申し出た。

 こののち、榎本らは中村家から西南80メートルにある亀田八幡宮に詣で、降伏の旨を神前に誓約したと伝えられている。翌5月18日、五稜郭1000人余投降し、開城。榎本艦隊が品川沖を脱出して9ヶ月、ここに箱館戦争は終わった。鳥羽伏見の役に始まって 1年4ヶ月後、ここに戊辰の役の終焉をみたのである。

 実は、最初に降伏を申し出に赴いたこの中村家は、自分が大学時代4年間家庭教師としてお世話になったお宅だ。家は建て替えられているが、今でも同じ場所にあり、家庭教師で教えた長男が住んでいる。

 そのころ、家族から「箱館戦争の降伏の話し合いは、この家(当時の前の家)でやったんだよ。榎本武揚は隅っこに座って欠けた茶碗で冷酒を飲んでいたそうだ」と聞かされたものだ。このことからすると、降伏を神前で誓約したのは八幡宮だが、その後の冷酒での歓談は、中村家へ戻って行われたのではないかと思われる。


こちらは、旧社殿の奥に建つ現在の本殿

『シー・ハイル』編集作業

2012年11月13日 | 日常生活・つぶやき


 不肖私が会長職を仰せつかって6期11年目に入った「函館スキー指導員会」(道南一円在住のスキー・スノーボード指導者資格所有者の会・会員560名)には、『Schi Heil』(シー・ハイル)という機関誌がある。ちなみに、シー・ハイルとは「スキー万歳!」の意である。

 会員数300名突破を記念して、平成元年に創刊号を発刊して以来、今年度(総会の9月から新年度)で、平成の年号と同じ第25号を数える。第10号から、B5版をA5版にして活字を大きくした。創立60周年を迎えた昨年度の第24号は、「創立60周年記念特集号」としてそれに相応しい内容で発刊できた。

 その編集作業に25年間ずっと携わってきたのがこの自分である。創刊当時は、副委員長だったが、その後、委員長、副会長、会長とポストが変わっても、なかなか引き受け手がいなくて、だらだらと続けて今日まで来てしまった。つい、面倒くさいので、自分一人でいろいろやってきたことがまずかったのだが・・・。
 


 基本的には、会員からの寄稿が中心の内容である。個々に執筆依頼をして投稿をしてもらっている。しかし、この25年間、時代の流れと共にいろいろ様変わりをしてきている。

 例えば、昨年までは専用の原稿用紙を同封したが、最近は、原稿用紙への手書きはほとんどなくなってしまった。こちらから指定された形式に合わせて、ワープロやパソコンで打ったものが寄せられることが多くなった。特に最近は、パソコンで打って、メール添付の投稿が主になってきている。

 一番の悩みは原稿の集まり具合である。最初の頃は、依頼すると全員が書いてくれたものだ。しかし、組織が大きくなるに連れて、会員同士の繋がりや会員意識も希薄になったのか、依頼しても応じてもらえないことが多くなってきた。しかし、催促をするようなことはしない。

 そこで、昨年から全員へ「自由投稿」のお願いをしてみたら、意外に応じてくれる人がいた。また、内容を限定して依頼すると応じてくれることも分かってきた。内容の工夫も相まって、今回は70ページを越えそうで、一応体裁は整った。

 いろいろ工夫や努力をしても50ページにならなくなったら、潮時かとも考えている。しかし、あと2年で会長職は降りるつもりだ。なんとか跡継ぎを捜さなくてはならい。周りは、「顧問になっても、ライフワークとして死ぬまで続けて!」と言う。原稿依頼から校正まで、いろいろ面倒なことは多いが、少しは他人のためになることだし、「ボケ防止にそれもいいか?」とも思っている昨今である。

 そろそろ印刷屋へ渡そうと思っていた昨夜、「あと2日待って下さい。それまでに書きますので・・・」という電話が入った。せっかく書いてくれるという貴重な玉稿だ。少しでも増えるのはうれしいことなので、喜んで待つことにした。

 この後、校正作業もあるが、ここまでくれば、終わったようなものだ。なんとかシーズンまでには間に合うように配布できるはずである。