癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

函館レトロ建築探訪(その5)~十字街周辺

2020年05月04日 | レトロ建築・古民家カフェ

 今回は、在庫から、「伝統的建造物群保存地区」以外の十字街周辺のベイエリア・末広町・元町の「景観形成指定建築物」とその他の建物を紹介したい。

◎函館市地域交流まちづくりセンター(旧丸井今井百貨店函館支店)<大正12年(1923年)+昭和5年(1930年)昭和9年(1934年)築>

 かつての函館市の中心街だった十字街地区のシンボル的存在の建物で、自分が幼少のころは5階建ての通称「丸井デパート」だった。アール状の角に玄関があり、その上に縦長窓、屋上には円形ドームのある欧風の様式。一方、塔屋のある南側は角ばったモダニズム様式の5階建てになっていいる。随所の細やかな装飾がかつての繁栄を感じさせる。

 当初3階建てだったものを、昭和5年、昭和9年に5階建てに増築している。その際、北側のドーム部分はなくなり、代わりに南側の塔屋ができた。昭和45年(1970年)からは市分庁舎、休眠期間を経て耐震性の問題から、平成17年(2005年)~平成19年(2007年)の大改修で建設時の姿にほぼ復元されている。その時にドーム部分が復元された。
函館市景観形成指定建造物)

 改修前の5階当時の画像と内部の様子は、過去記事(2007年)からどうぞ!

 共同設計と施工は北海道コンクリート建築の先駆者といわれる木田保造(1885~1940)。他に不動銀行函館支店、拓銀函館支店、函館商工会議所本館、天主公教会、渡辺合名会社、大谷女学校、百十三銀行、函館貯蓄銀行、称名寺、日魯漁業函館事務所、函館製綱船具など、大正初期から昭和にかけての函館市内の主だった建築を数多く手がけている。

最近のビル建築には見られない細やかな装飾がみごと。

◎酒問屋・旧丸本本久商店倉庫(末広町16-13)<大正10年の大火直後築>

 ベイエリアの一角に建つ、青の外壁が印象的な大正末竣工の古風な煉瓦製倉庫。当時の函館で3本指に数えられたという酒問屋・丸本本久商店の倉庫として建てられた。青く塗られた外壁に二階の洋風窓、そしてその上には〔久本〕と大きな文字と屋号がレタリングされ、なかなか重厚感がある建物だ。一見鉄筋コンクリート造りのように見えるが、左窓枠下側の漆喰が一部剥がされ、そこから煉瓦が露出している事でこの建物の構造が一目で分かるようになっている。

 この界隈はかつて〔船場〕と呼ばれ、その名の通り多くの海産問屋が並ぶ町の主要な場所だった。往時のこの界隈の繁栄を微かながら今に伝えている大正末期に現れた古風な倉庫建築である。
 
 数年前までは「金のこころ」というケーキ屋さんだった。現在は、「sign of the times」という刺繍職人が営む呉服屋さんになっているようだが・・・?
 
 
◎函館市海産商同業協同組合事務所(末広町15-13)<大正9年(1920年)築>
 
 
 ベイアリアの一角に建つこの建物は、木造3階建てとのことだが、素人目には、決して木造には見えない。
 建物の両側に膨みを持たせた独特のデザインの建物で、ユーゲントシュティルという、20世紀初頭にヨーロッパ各地で流行していたモダンな建築様式がそのデザインに用いられているという。(景観形成指定建築物)
 
 この周辺は、大正から昭和初期にかけて百貨店や銀行が立ち並ぶ函館の経済の中心地で、商業活動の中核としてシンボル的な意味を持たせるためか建築デザインにも強い意気込みが感じられる。設計者は、当時の函館市内の多くの建築物を手掛けた関根要太郎。
 
 
◎カルフォルニア ベイビー(旧特定郵便局)(末広町23-5)<大正6年(1917年)築>
 
 
 大正6年に建築された特定郵便局を改修して、現在はアメリカンスタイルのレストランになっている。昭和52年にここでレストランをオープンしたというから、同じベイエリアにある金森の赤レンガ倉庫や、郵便局を再生した赤レンガの明治館などよりも古建築再生としては大先輩にあたる建物である。
 
 ファサードの妻壁が流線形が組み合わされたような面白い曲線を形作り、控えめな装飾がちりばめられている、軽快でセンスがいい建物です。入口が中央になく、左側にあり、右側に縦長窓が並ぶ非対称の設計。木造モルタル塗りの平屋建て。

 
 
◎函館五島軒本店(末広町4-13)<昭和10年(1935年)築>
 
 五島軒といえば、全国的にも知られる、函館を代表する老舗レストラン。この建物は、昭和9(1934)年3月の大火で焼失した旧館(大正11年竣工)に代わるものとして竣工している。自分の両親も、自分の亡妻との結婚式も2代にわたってここで上げている。
 
 五島軒の歴史は明治12(1879)年に、創業者である埼玉鴻巣出身の若山惣太郎が、富岡町(現在の弥生町)で、パン屋を開業したのがその始まりである。また五島軒という店名は、長崎五島列島出身の五島英吉が料理長を務めていたことから、この名が付いたという。当初はロシア料理を提供していた五島軒だったが、徐々にフレンチのメニューへとシフトチェンジし、現在へと至っている。特にレトルトパックでも販売されているカレーは、全国的にも有名である。

 設計者の一人である亀井勝次郎は、作家・評論家として知られる亀井勝一郎の弟。なお、戦後、5年間駐留軍の軍政部として接収された歴史を持っている。(国登録有形文化財・函館市景観形成指定建造物)
 
 
◎函館元町港ヶ丘教会(旧日本基督教会函館相生教会)(元町29-15)<昭和9年(1934年)築>
 
 五島軒の向かい側に建つ、質素ながら可愛らしい印象を受けるこの教会だが、昨年12月に、洋服と雑貨のセレクトSHOP「VERYCO」、紅茶専門店「Juicy Fruits Tea HAKODATE」、カフェ「wave+snow」の3店舗が同時にオープンしている。 

 その前はウエディングチャペルになっていたが、もとは日本基督教会函館相生教会として使われていたものである。なお同教団は明治14年よりこの土地に教会を構えていたが、度重なる大火の度に聖堂を焼失。現在の教会は昭和9年3月の函館大火後に建てられたものだ。(函館市景観形成指定建造物)

 右隣の和洋折衷住宅にも「函館市景観形成指定建造物」のプレートが設置されていたが、一覧表には掲載されていなかった。

 

函館市企業局元町配水場管理事務所(元町1-14)<明治22年(1889年)築>

 緑の芝生が敷き詰められた元町配水場(水元公園)内に残るこじんまりとしたレンガ造りの建物。

 函館の上水道は、横浜に次いで全国2番目にできたもので、元町配水場は亀田川で取水した水を当時の市街地であった西部地区に安定的供給するために造られ、この建物もそのときに建てられたもの。(函館市景観形成指定建造物)

 

<おまけ>本日がピークの五稜郭公園のサクラ



2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (koen)
2020-05-05 09:59:47
こんにちは。
札幌はコロナ蔓延中です。
職場でも3人目の感染者が出て警戒中です。
まあ、札幌の人口の100人に1人近くは職場の関係者ですからやむを得ません。

函館元町港ヶ丘教会少し前までは五稜郭にもある「ひげバル」元町店だったのですがいつの間に(笑)


カリフォルニアベイビーは開店まもなくの高校生の頃名物の「シスコライス」を食べによく行きましたが最近は観光客で混んでいて足が遠のいています。

その5楽しみにしています。
返信する
koenさんへ (sakag )
2020-05-05 17:21:15
札幌は怖いですね~。
気を付けて下さいよ。

相生教会だった子供のころ父親に連れて入ったことがありますが、それ以来入ったことはありません。
カルフォルニアベイビーも入ったことはありません。今は観光客がいないのでチャンスかも?シスコライス食べたい。

その5は天候の悪い明日かな?
返信する

コメントを投稿