スマトラ沖地震による被害の大きさに驚くとともに、映像で迫り来る様子を見て怖さを感じる次第です。
さて、津波が国際語となっているのに気づかされたこともありますが、身近に被害を伝える碑がございました。大阪大正区の大正橋たもとにあるのが「大地震両川口津浪記碑」です。
文字がびっしりと彫ってありまして興味を引くのですが、煉瓦好きには背後の倉庫も気になる場所でした。
1854年の11月4、5日と連続して大坂を地震と津波が襲ったことと、それを教訓として後世に伝える目的で立てられたのが、この石碑です。
たまたま当時の瓦版を読むことが出来まして、それには「干時安政元年十一月五日夕七ツより再度の大地震と相成半時計り震う 同時に沖雷の如くうなり出し つなみとなり丈計りの大波打沖の大船矢を射るごとく成 込其勢ひに橋を打くだき又ハ川増の人家土蔵を崩し船頭加子数多溺死ス・・」と続きます。
石碑にも過去の教訓を忘れたため被害が大きくなったことなどが刻まれています。
最近は災害が多すぎますが、こころしなければなりませんね。
○幕末の大坂を襲った大地震と大津波 第63回大阪資料・古典籍室1小展示 平成16年12月1日(水)~平成17年1月29日(土)が中之島図書館でたまたま開催中で、当時の資料を見ることが出来ます。
さて、津波が国際語となっているのに気づかされたこともありますが、身近に被害を伝える碑がございました。大阪大正区の大正橋たもとにあるのが「大地震両川口津浪記碑」です。
文字がびっしりと彫ってありまして興味を引くのですが、煉瓦好きには背後の倉庫も気になる場所でした。
1854年の11月4、5日と連続して大坂を地震と津波が襲ったことと、それを教訓として後世に伝える目的で立てられたのが、この石碑です。
たまたま当時の瓦版を読むことが出来まして、それには「干時安政元年十一月五日夕七ツより再度の大地震と相成半時計り震う 同時に沖雷の如くうなり出し つなみとなり丈計りの大波打沖の大船矢を射るごとく成 込其勢ひに橋を打くだき又ハ川増の人家土蔵を崩し船頭加子数多溺死ス・・」と続きます。
石碑にも過去の教訓を忘れたため被害が大きくなったことなどが刻まれています。
最近は災害が多すぎますが、こころしなければなりませんね。
○幕末の大坂を襲った大地震と大津波 第63回大阪資料・古典籍室1小展示 平成16年12月1日(水)~平成17年1月29日(土)が中之島図書館でたまたま開催中で、当時の資料を見ることが出来ます。