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ああ、香りなつかし、わが、ふるさとの秋

2012年10月14日 | 季節(秋)

               【豊岡市日高町夏栗(なつくり)】

西宮のお義兄(にい)さん家族が、わが家を訪ねます。
私の姉は一月に亡くなったために、お義兄さんと息子夫婦の三人が揃ってやって来てくれました。
義兄さんが、「これ、あんたの姉さんの写真、旅行に行った時の、たくさんの写真を整理したんよ、みんな楽しそうな笑顔でいい顔してるね、見たって」と、アルバムどっさり差し出しますね。
「これ、いつも姉さんが、何回も眺めて読んでたふるさとの便りよ、懐かしそうに何回もね」と、封筒に入った何枚ものお便り見せますね。私が書きます送った便り、もう10年以上も前に書きます懐かしい、ふるさとの思い出を綴った今で言いますブログです。



ああ、香りなつかし、わが、ふるさとの秋

ふるさと
「ふるさとの、山に向ひて言うことなし、ふるさとの、山はありがたきかな」、この詩は、望郷のふるさとを表現したあまりにも有名なものです。
石川啄木が、ふるさとの山「岩木山」や、それに連なる「姫神山」を眺めて詠んだ歌です。現在では「啄木望郷の丘」と呼ばれている、盛岡市郊外の小山があります。
その小山からふるさとの山々に向かい合い、ふるさとへのなつかしさ、生まれ故郷への感謝、それらを織り交ぜた心情を詠ったものと言われています。

ありがたいことです
こんにちは、お姉さん、お兄さんお元気ですか。
今日はふるさとの秋の想い出などを思いつくまま書いてみました。「どうしてそんなことを」とお思いでしょう。
実は姉さんや兄さんには、たびたびわが家に来てもらい、お父さん、お母さんの墓参りをしていただいています。その度に、いろいろとお供えもしていただき、本当にありがたいことだといつも感謝をしています。
親がいなくなった実家には兄弟とはいえ、なかなか疎遠になりがちと言われています。その上私たちもとんと訪ねて行っていません。それに比べて姉さん兄さん達にはよく来ていただいてほんとうに感謝にたえません。〇〇子といつも「ありがたいなあ」と話しをしているわけです。

ふるさとの秋の香り
何かをお返ししなければと思いながらも、感謝のお返しがなにも出来ていません。申し訳ありません。せめてものお返しとして、ふるさとの想い出をと書き始めました。
姉さんも兄さんも、ふるさとを離れて幾十年、時にはふるさとで過ごした遠い昔を思い出し、ああなつかしやと、望郷の念を抱くこともありましょう。
きょうは、私たちきょうだいが生まれ育った国府のこと、お父さんお母さんときょうだい皆と力合わせた秋の農作業の事、くらしの事を思い出してみました。せめてものお返しが、ふるさとの秋の香りです。食べられませんがせめて郷愁のかおりが届けばと思います。

お宮さん
もうすぐやってくる十月十五日、国府の秋祭り、池上は熊野神社の秋祭りです。
昔からずっと十月十五日と決まっていた祭りの日も、十日の体育の日に変わり、そして今年は十三日に、いろいろ変わっています。
みんなが子供の頃は十五日でした。もうこの日が祭り、今でもその思いがしてなりません。想いでの中はそのままでしょう。
国府地区の運動会が六日にありました。その練習をするために、夜公民館に集まっている時のことです。隣ので練習しているのでしょうか、「ドンドンドンドコ、ドンドコドン。ドンドコドンドコ、ドンドコドン」と太鼓の音が遠くからかすかに聞こえてきます。

だんじり
祭りといっても村の隅々に「熊野神社」のノボリが立ち、だんじりが練り歩く、ただそれだけです。
子供の頃はそのだんじりも担ぐ人の少なさであまり練り歩いていることもなかったものです。でも正月、お盆、秋祭り、それだけで皆ウキウキしたもので、普段ご馳走の少なかった我が家でも、したかどうかは定かではないが何かご馳走の出るようなうれしいような一日、それが祭りだったものです。

秋の農作業
その祭りが終わると、稲刈りの始まりです。忙しい秋のはじまりです。
今は一ヶ月以上も早く九月になれば稲刈りです。それも大型のコンバインで早い早い、ばたばたと刈ってしまいます。家族総出の昔の稲刈り風情はとんとありません。
私たちが子供の頃は農作業は全部手作業でした。苗代作りから、田植え、田植えの前には人力や牛の力で田をすいて、起こした田の土をクワでこなし、どれもこれも腰の痛い腕の痛い重労働でした。

稲刈り
稲刈りは小さい子供でも上手にしたもので、刈るのはもちろん器用に束ねてワラでくくり、株を割ってパラッと立てたものです。学校は農繁休校で休み、家族総出の稲刈り、今と違い稲刈りに取りかかる前にたき火で手を暖めるほど寒い日もありました。
腰の痛い稲刈り、刈っても刈ってもずっと先を見ると田んぼの向こうの長いこと、つい先日のように思い出します。

稲架(いなき)
そうして迎える秋の取り入れ、稲の刈り取りと脱穀作業でした。秋祭りのころからお父さんが稲木だつを立て、稲架を手慣れた作業で造っていくのを眺めたものです。横棒の段が九段も十段ものとても高い、横には六間も七間ものそして倒れないように筋交いを入れた立派なものです。今から思えば毎年造っては役目が終わったら片付ける、その繰り返し、ほんとうに大変な作業でした。

夜なべ
夜遅くまで懐中電灯の明かりを照らして、稲架に掛ける作業、竹の先に稲束の結び目を引っ掛けポイ、ポイと九段、十段の所に掛けるお父さんめがけて出したものです。

足踏み脱穀機
今思えば、狭い我が家の家に詰め込むだけ詰め込んで夜の十二時頃まで足踏み脱穀機での稲こき、子供は脱穀機の足踏みの手助け、土ぼこり、稲ワラの「はしかいい」作業、ようやったと懐かしさばかりです。

おぜん
学校から家に帰ると、あの丸い「おぜん」です。今で言うテーブル、我が家の朝昼晩、家族皆で食べたあのなつかしい「おぜん」です。(帰ったら渡り田に来いよ)というふうに書いた紙が置いてありました。すぐに田んぼに手伝いに来るようにとの事、いつもいつも子供によく農作業をと親を恨んだものです。

家族
昨日のように思い出します。
お父さんとお母さんと一緒に、その時にいたきょうだいが、出来る農作業を何でもしたことを。する事が当たり前と、普通の事だと、協力してやった作業はつらい事だったが、親子の絆や思い出を育むにとても良いことだったなあと懐かしく思い出されます。

この後も延々と続きます。
なつかしいふるさとの秋の風景が続きます。

柿の木

鎌祝い

やまだ

匂うふるさと

赤トンボ

一番ホーム

啄木

国府駅

落ち穂拾い

タニシ

いなご

金車輪

ゴムタイヤ

メリーテーラー

彼岸花



青空

夕焼け

台風

便所

ニワトリ

イソライトかまど

すくも

カンテラ

井戸

ガッチャンポンプ

渡り田

中つぶら

三角田

水生の田んぼ

下(しも)の畑

下(しも)どなり

上(かみ)どなり

大岡山
十一月も中旬になると、あのまん丸い大岡山が、うっすらと雪化粧となります。大岡山に三回雪が積もると、村にも冬がやってきて雪になると言われていますね。
あと一ヶ月くらいするとふるさと国府は寒い寒い冬、雪がどんどん降ってきます。
雪化粧のふるさとは、なにもかも包んでくれたお父さんお母さんのような「昔のふるさと」の情景に変わっていきます。

きょうは、ここまで。春、夏、冬の「ふるさと」は又の機会に、おたのしみ・・・・・。

《ふるさとの 香りなつかし 稲架道》