高野山は1200年、なのに長楽寺は1300年

2013年10月05日 | ふるさとの話
(ふるさと但馬は秋深まって、路傍のコスモスの花もきれいです)


今夜、国府地区公民館で会議です。
長楽寺の開創1300年を記念して開催する、「1300年記念法会」の打ち合わせ会です。
開催は11月3日の日曜日、本山の高野山や、但馬各地のお寺さんも集まって、盛大に記念の法会が執り行われます。
当日は稚児行列も予定され、多くの檀信徒のお参りもあります賑やかに、秋深まる但馬の里は華やぎますね。

真言宗・水生山長楽寺は、和銅6年(713年)に行基菩薩によって創建されたという、本山の高野山よりも100年も古いお寺です。
但馬路の真言宗のお寺70ケ寺を紹介した「但馬遍路・真言之法灯」という冊子に、長楽寺をこのように紹介されています。

「段々あがりの長楽寺」として親しまれている当寺は、水生山の中腹、標高70メートルに位置し、なだらかな300数十段のつづら折りの階段を登ったところにある。
参道の石畳は、かって京都の市電に使われていた敷き石であり、本堂(薬師堂)にいざなうように伸びている。
仁王門をくぐれば、正面には、十一面観世音菩薩を念持仏とする庫裡を拝し、当山のシンボル推定樹齢500年の「散り椿」が出迎えてくれる。
眼下に円山川を望み、四季折々の山中の景色も楽しめ、さらに山頂の水生城址からは、高生平野を一望することができる。

当山の歴史は古く、奈良朝の和銅6年(713年)行基菩薩によって開創され、ついで平安朝、真如親王が錫を留めおかれ、真言護国の道場となった。
大いに栄え、十二坊舎をかかえる山上伽藍であったが、戦国時代に豊臣軍の来攻により、山頂にあった西村丹後守の居城(水生城)が陥落、寺も本堂、護摩堂、仁王門、鎮守堂を残して荒廃し、暫く村裡に移ったという。
然るに、歴代の先師復興に尽くされ、正徳年間より徐々に諸堂をととのえ、寛政3年(1791年)に現在の本堂が再建され、本堂は、江戸期の絢爛たる文化の所産で精微を極め、本尊の薬師如来蔵は、行基菩薩自らが彫刻されたと伝わっている。

また、山号を水生山というが、境内には、渓声なく、霊泉も湧き出ていない。まさに水無山である。しかし、山麓に汲めども尽きない清泉があることに因んで名づけられた。
言い伝えでは、大岡寺のお薬師さんと、当寺の本尊さんが話し合い、大岡寺にある「椿」と当山の「水」を交換されたと聞く。この話により、当山の境内には、豊かな水は出ないが、多種の椿が繁茂している。・・・・・・・。

なんてったって、ふるさと但馬の中でも一、二を争う古いお寺です。
再来年が創建1200年の高野山よりも、102年も古い寺なのです。


《1300の 歴史を刻む 長楽寺》