銀杏(いちょう)と、銀杏(ぎんなん)

2013年10月06日 | 季節(秋)
(長楽寺の境内は、落ちた銀杏(いちょう)の葉っぱと、黄色の銀杏(ぎんなん)がいっぱいです)


ちょっと調べ物のために、長楽寺に上がります。
庫裡の前の境内に立っている大きな木は銀杏(いちょう)の木、境内は落ちた銀杏(いちょう)の葉っぱと、黄色の銀杏(ぎんなん)がいっぱいです。

ブログを書いていまして気付きましたね、辞書も引いて分かりました。
「いちょう」って漢字は、「銀杏(いちょう)」です。「ぎんなん」って漢字も、「銀杏(ぎんなん)」です。どうでもいいようなことですが、ちょっと妙な気がいたします。

銀杏で思い浮かべるのは、東大の安田講堂ではないですか(私は、東大とは全く縁のない、関係のない高卒ですが)。
安田講堂前の銀杏(イチョウ)並木って有名ですね。

先日、親戚の者が集まって食事をする機会あがありました。その時です。いろいろ豊岡出身の昔の偉い人の話が出ました。
「豊岡は大磯の沖野忠雄って、大阪では淀川の神様って云われる偉い人だってね」、
「粛軍演説の斎藤隆夫も偉いよ、同じ出石の加藤弘之は東大の初代総長、これも偉いわな」なんて話が、次から次へと続きます。
「加藤弘之は出石だね、豊岡出身の浜尾新(はまおあらた)も偉いわな、東大総長を二度もやってるすごいよ」と続きます。

有名な東大の安田講堂前の銀杏並木、その場所に東大随一の大きな銅像がドンと座っています。それがなんと豊岡藩出身の浜尾新(はまおあらた)の銅像なのです。
浜尾新は加藤弘之初代総理(総長)の補佐をしながら、明治の教育界で大活躍、東大総長を二度にわたって(第3代、第8代)務めている、とてもとても偉いお方でありますね。

話は出石の斎藤隆夫に戻ります。
粛軍、反軍演説で超有名なお方は明治の3年生まれ、斎藤よりひと回り上の生まれが、憲政の神様と称された「尾崎行雄(おざきゆきお)」です。
湾岸戦争のころです。国会議事堂を見学したことがあります。中央のホールの四つの隅に、大きな台座に三つ立派な銅像が立っています。自由民権運動の板垣退助、最初の政党内閣の総理大臣の大隈重信、日本で最初の総理大臣の伊藤博文ですね。
もう一つの台座は空いています。誰も立っていません。

斎藤隆夫はもちろんのこと、尾崎行雄でも立っていません。
当選回数(25回)、議員勤続年数(63年)、議員最高齢(95歳)記録の、憲政の神様の尾崎行雄でも立っていません(但し、国会内の別のところや憲政記念館にはあります)。

斎藤隆夫は、尾崎行雄より12歳若かったのですが、亡くなるのは5年早い昭和の24年に79歳で、尾崎行雄は、昭和の29年に95歳で亡くなっています。
斎藤隆夫の没した日が、明日です10月7日。奇しくも尾崎行雄の没した日が、今日です10月6日の本日ですね。



《偉い人 なんでこんなに 偉いのよ》