月の出の満月(2013年9月の写真) 中天の満月(2013年9月の写真)
楽(たの)しみは 時とところで 見えるのも 大きさ小(ち)ささ 違い想うとき
貸し出しの洗濯機を車に積んで、二人で帰る夕刻です。
祢布のトンネルを抜けると、国府方面の展望がパア~っと開けます。
東の空にちょうど月の出です。
十四夜のまんまる月が、雲の合間から覗きます。
息子が言います。
「大きな月が出てきたね。月の出の満月ってすごく大きく見えるが、地球に近いからかな?」、
「だんだん月が空に上がって、頭のてっぺんに来る頃には小さく見えるが、地球から離れるからかな?」なんて疑問を投げかけますね。
『月が東の山から上がった直後は、ムチャクチャ大きく見えるの誰でもそう感じるよ。
だけど、真っ暗な中天に昇った小さく見える月も、実は全く同じ大きさです』と話します。
『地球からの距離の差なんて、月までの距離に比べれば誤差の範囲、一晩の距離は関係ないよ』、
『手を差し出して、10円玉でも何でもいいから月の直径を測ればすぐわかるよ。どんピタリの同じだよ』と、
月の出が大きく見えるのは、目の錯覚だと話します。
府中小学校の正門に、
4本の立派な石柱の日露戦争凱旋門が立っています。
小学生のころ、毎日見上げて通学しました。
もう天を突くようなとても高く大きく感じました。
大人になって見上げる凱旋門は、
子供のころに比べ「おやっ」と思うくらいにだいぶ小さく感じます。
同じく幼稚園か小学1,2年生のころ、
通りを歩く中学生を見て驚きました。
そのころは、高下駄を履いて悠々と歩く中学生のお兄さんたち、
もう子供心に『すご~い大きな大人、おっさんだわ中学生って』と感じました。
大人になったこのごろは、
自転車で通学する中学生を見ても『こども~~、かわいい子供だがな』と言う感じです。
月でも、石柱でも、人でも、
見る時、見える環境によって、えらい大きさ違って見えますね。