嬉(うれ)しさは 人との出合い 岐路のこと 心うちとけ 話し込むとき
お客さまのMさんは、高校の2年後輩です。
店とお客さまの関係になってから、とても懇意に気安く話をする間柄です。
Mさんは話します。
「僕は商業科を出て営業畑、会社設立、社長も経験して今は定年後の年金生活です」、
「いろんな人と出会ってきました。人生の出来事の岐路では、人との出会いがとても大事なきっかけになりました」、
「アトムさんは、出来たばっかりの電気科の卒業でしたね。
メーカー勤務からお仕事の移り変わり、脱サラして電気屋さんになって、アトムになって、いろんな人との出会いで良い人生の岐路を歩んでこられたでしょう」、
なんて、問いかけやら思い出話をお話しですね。
2時間ばかり話し込んで、
「仕事、結婚、子供、社会とのつながり、とても良い選択だった、良い人生だった」と、明るいお話し伺いました。
いつ聞いても、明るい前向きな人生航路の話に感心します。
東風(こち)吹かば
匂ひおこせよ
梅の花
あるじなしとて
春を忘れそ
学問の神様として、世の崇敬を集めています菅原道真公が、
京を離れるときに詠ぜられた有名な歌です。
1100年ほど昔のお方です。
とても優秀な菅原道真公の人生も、波乱に満ちたものでした。
京の都の複雑な人間関係です。
人と人との出合が、人生の運命を左右してしまいます。
若くして栄達を極め、55歳にして時の右大臣に上りつめます。
57歳で従二位を授かった運命の頂上で、
左大臣の藤原時平に出合います。
馬が合わなかったのですねこの左大臣とは。
確執に敗れ、讒言「ざんげん」(事実を偽り、他人を悪く言うこと)に貶められ、
京の都から、太宰府の地に左遷されてしまいました。
京を離れる時に詠んだ歌が、
有名な「東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 」なのです。
いつの日か無実の罪が晴れることを願いつつ、
59歳で再び京の地を踏むことなく亡くなられました。
太宰府天満宮には、御祭神として菅原道真公は静かに眠っておられます。
人生は、出会う人そのきっかけで、
良い岐路や、素晴らしい人生がが待ってます。