楽(たの)しみは 敬老会と 聞いたらば 帰(けえ)ろうかいと 駄洒落(だじゃれ)聞くとき
4日前の話です。
Kさんちで挨拶やお話をしている時です。
私が『来週の月曜日19日は敬老の日ですね。
敬老会がどこでも開催されますね。Kさんはもちろん敬老会に招待されるお歳ですね』、
『私のところは何故か3月に敬老会をするのです。
初めて敬老会の案内来ましたが、どうも照れくさくてよう出席しませんでした』と話します。
だいたいどこでも70歳になりますと、敬老会にご招待の通知が来ます。
昨年の3月の時点ではまだ69だった私も、今年の3月が70になって初めての3月だったのです。
Kさんは私よりも4つか5つ大きい筈ですから、
敬老会は当たり前だと思ってました。
オヤジギャグ連発のKさんは言います。
「な~に、敬老会ですか?。私みたいな若いもんがなかなか出席できません」、
「老人会にもよう出とらんのに、敬老会は “帰(けえ)ろうかい、 帰(けえ)ろうかい” ですやあな」と、いつもの駄洒落(だじゃれ)で煙(けむ)に巻きます。
本当の但馬の方言では「帰(けえ)ろうかい」とは言いません。
どこか、別の地方の方言でしょう。或いは、ただ帰(かえ)ろうを、(けえ)に訛っただけのことでしょう。
ふるさと但馬、豊岡の方言では、
「帰ろう」のことは「かえら~」、「帰ろうか」は「かえら~か」が普通です。
「台風が来て水が出るかもしれんので、その前にかえら~」、
「ま~ばんげ(夜)もおそう(遅く)なったし、もうかえら~か」が正しいですね。
ところが、この敬老会の「敬老の日」です。
秋の農繁期を終えて、骨休みの時期を選んで9月の15日になった「敬老の日」も、
50年の記念の年を迎えたそうですね。
元々は我が兵庫県の多可町で、
戦後まもなくの昭和22年9月15日に村主催の「敬老会」が始まりだったそうですね。
「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」という、清々しい趣旨で「敬老の日」が始まりました。
翌年に、多可町では「としよりの日」として祝日にするよう県内に呼びかけ、昭和25年に兵庫県が独自に「としよりの日」を制定してお祝いしたのです。
その後、国の方でも「老人の日」(昭和38年)、「老人週間」(昭和39年)などとして取り上げられ、
昭和41年、国民の祝日に関する法律改正で「敬老の日」がめでたく国民の祝日になったのです。
兵庫県の小さな村から起こった老人を敬う気持ちが、
50年前に国民の祝日として実を結んだのです。
兵庫県はやっぱり発祥の地です。
帰(けえ)ろうかいなんて言わずに、素直に敬老会に出ましょう。
来年は私も出ます。
大先輩のKさんもぜひ敬老会には出ましょうね。