出石・有子山城

2019年04月16日 | 但馬の城跡
       日高町栗山にて こいのぼり青空に泳ぐ
              

(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成27年 第10回但馬検定(2級)問題より

【26】1574年(天正2)此隅山城に代わる新城として有子山城
が築かれましたが、次のうち有子山城の城主でなかったのは
誰でしょうか。

(a)羽柴秀吉  (b)前野長康  (c)小出吉政  (d)藤堂高虎


正解は、(a)の羽柴秀吉と(d)の藤堂高虎です。答えは2つ
となります。

 羽柴秀吉が出石城を攻めて、但馬の山名氏を滅ぼします。
天正13年(1585)、秀吉の天下統一後出石城に前野長泰、
豊岡城には宮部継潤、竹田城には桑山重晴、八木城には別所
吉治が就きました。
さらに、文禄4年(1595)には小出吉政が城主を務めます。

羽柴秀吉、藤堂高虎は出石城にも、他の但馬の城にも入って
いません。


『さんばらけ』

 「さんばらけ」って、但馬地方では「乱れること」の表
現に使います。
「ミオちゃん、寝起きで髪がさんばらけだね。母ちゃんに
梳(と)いてもらってきれいにしような」なんて言う時に
使います。

「さんばらけの髪」を、そのまんまに「さんばらがみ」と言う
のです。
「さん」は「散」のことでしょう。「ばらけ」は「バラバラに
なる」ことでしょうね。バラバラになって散らかることを「さ
んばらけ」と言うようになったのでしょう。

「髪」に限りません。着物が着きくずれしてバラける時も、
「着物の帯が緩んで、さんばらけになった」と言うでしょう。