(あれから2,300日足らずで、植村直己さんの写真は色が抜けて白黒写真になっちゃった)
私がブログを始めて、最初に載せた写真が左のものです。
植村直己冒険館の入り口に掲げられた、ニッコリ笑顔の直己さんの写真です。2007年7月25日から今日で2,270日が過ぎました。その日の写真は、きれいなカラーの笑顔でした。
本日、植村直己冒険館に納品に行きました。
もうずいぶん前から気が付いていましたが、植村直己さんの写真が太陽光線にさらされ、6年以上の歳月ですっかり色が抜けてしまって、ほぼ白黒写真になってます。
6年間以上も同じ写真を同じ処に掲げているって、少しおかしいような気がしますが、写真が色あせてしまっているのはいけませんな~。
私のブログ、始めてから6年余の長さも、そこそこ長いと感心します。6年以上の白黒になってしまった写真を、そのまま掲げておくこともちょっと感心いたします。
6年余って時間は、それでも2,300日足らずです。
話は突然に変わりますが、日本の総理大臣の中で在職日数が一番長いお方は誰でしょうかね。
総理大臣というのは、国会の両院で首班指名されて、そのお方が内閣を組閣しまして〇〇内閣と云うふうに発足するわけです。
国会が解散か、内閣が総辞職するまでの日数を在任期間、総理大臣の在職日数となります。
たとえ途中に一部の閣僚を入れ替えても、それは改造内閣と云って通算日数に入れますね。
さて、一番長い在職日数の総理大臣は、第1次桂太郎内閣の1,681日なのです。おおよそ4年と7ヵ月ですから、平成の世からするととても長く続いたと感じます。
2番目に長い順から書いてみますと、
第2次伊藤博文内閣の1,485日、第3次吉田茂内閣の1,353日、原敬内閣の1,133日、第2次池田勇人内閣の1,097日、第2次佐藤栄作内閣の1,063日、東条英機内閣の1,009日、第2次大隈重信内閣の908日と続くわけです。
明治の元勲たち、伊藤博文にしても山形有朋にしても松方正義にしても、何回も何回もたらい回しのように内閣を順番こにやっています。
桂太郎も同じことです。
伊藤内閣は出たり入ったりの第4次まで、桂太郎も出たり入ったりの第3次です。
昭和に入ってほぼ連続に、続けて第5次まで組閣したのが吉田茂内閣、それぞれの総理大臣の延べ在職日数を見てみますと、やっぱり一番は桂太郎でした。
桂太郎は、第3次までの延べ日数は2,886日で第1位です。
第2位は、第3次内閣まで組閣した佐藤栄作の2,798日、第3位は、飛び飛びで第4次までやってくれました伊藤博文の2,720日、第4位は、第5次まで続いた吉田茂の2,616日なのです。
平成になって長いなあと感じた小泉純一郎内閣が、第3次まで組閣して1,980日の第5位、中曽根康弘内閣が、第3次まで続いて1,806日で第6位なのです。
なかなか2,000日を超す期間を組閣する総理大臣ってないのです。歴代では4人しかいません大変なのですね。
ただいま、世界中を飛び回って大活躍をしてもらっています安倍晋三内閣、平成24年12月26日に就任して以来、今日で289日目です。
さてさてどうでしょうかね、2020年の東京オリンピックまで在任されて、歴代内閣の最長記録に挑戦されてはどうでしょう。
自民党の総裁の任期も特例で突破し、もしもこのまま総選挙の洗礼を受けても、首班に指名され第3次、4次と内閣を組閣し続けていけば最長記録が伸びますね。
2020年の東京オリンピックは、どうも7月頃と聞きますね。
2020年7月いっぱいまで総理の地位に居続けることが出来たならば、安倍さんの在任期間は2,775日となります。
おっと、桂太郎の2,886日に足らないぞと思ったら、7年前があるではないですか。
おなかの調子が今一つとして、残念降板してしまった第1次安倍晋三内閣が366日もあります加えます。
2,775日に366日を加えると3,141日になります。めでたくニッポン国歴代総理で一番になります。総理在職日数3,000日突破ができます凄いです。
桂太郎は長州藩の出身、1848年・弘化4年11月28日の生まれです。よ~く頑張りました。日英同盟を結び、日露戦争に勝利しよく頑張った内閣でした。
その桂太郎は、1913年・大正2年の今日、10月10日に65歳の生涯を終えています。
安倍総理殿、桂太郎の時代のころ以上に難問山積大変な時ですが、日本のために頑張って頑張って、総理大臣の在職日数の3,000日に挑戦してくださいな!!!
《2,000だって 3,000日だって 長いです》