「今こそ」・・・・・安倍首相

2013年10月16日 | その他
(本日の新聞、安倍首相の所信表明演説全文を再び読む)


昨日は第185臨時国会の開幕でした。
安倍首相の所信表明演説が党のホームページに載っているということで、夜遅く読みました。

今日は、新聞の活字で全文を再び読みました。わりあい普通です。内容もあまりどぎつくありません。淡々と、やるべき政策の実行を決意する言葉が続きます。

六の「おわりに」にという項で、ブエノスアイレスでの、オリンピックが東京へ決まった時の様子から話を進めて、
どんな苦難な課題でも、それを克服していこうという強い「意志の力」さえあれば、必ず、乗り越えることができる。私は、そう確信しています。と、演説の内容に対する強い取り組み姿勢を示しておられます。

最後の最後です。
定数削減を含む選挙制度改革について・・・・・・・、憲法改正について・・・・・・、今こそ、前に進んでいこうではありませんか。と、新聞には書いてありました。

昨夜のホームページを見てみます。

最後の最後です。
定数削減を含む選挙制度改革について・・・・・・・、憲法改正について・・・・・・、前に進んでいこうではありませんか。

何か一つ抜けてます。いや、新聞の方が一つ加わっていますね「今こそ」ですね。

安倍首相は、演説の原稿をホームページに発表した後、国会の演壇では最後の最後に付け加えちゃったのですね。「今こそ」ってフレーズを、
どういう気持ちの高ぶりでしょかね、「今こそ」って言葉に、強い強い決意のほどがうかがえますね。


《いつするの 今でしょ今よ 今こそよ》

我が志を行はんのみ・・・・・吉田松陰

2013年10月15日 | 季節(秋)
(蘇武岳の西の空、雲の切れ目から陽が射してまいりました)


今日は、第185臨時国会での安倍首相の所信表明演説です。
夕刻のニュースで、「成長戦略の実行が問われる国会」とか、「首相、成長戦略実行に決意」とかと伝えます。
演説の全文が、自民党のホームページに載っていると出ていましたから、明日の新聞を待たずに読んでみました。

安倍首相は演説の中で、(やるべきことは明確です。これまでも同じような「成長戦略」は、たくさんありました。違いは、「実行」が伴うか、どうか。もはや作文には意味はありません。「実行なくして成長なし」。この国会は、成長戦略の「実行」が問われる国会です。皆さん、しっかりと結果を出して、日本が力強く成長する姿を、世界に発信していこうではありませんか。)と述べてます。
「実行」「実行」「実行」と、くどいように出てまいります。

それにもう一つ、
(明治人たちの「意志の力」に学び、前に進んで行くしかない。明治の日本人にできて、今の私たちにできないはずはありません。要は、その「意志」があるか、ないか。「強い日本」。それを創るのは、ほかの誰でもありません。私たち自身です。皆さん、共に、進んで行こうではありませんか。)なんて、「意志の力」という言葉も度々出てまいります。

安倍首相は、「志」とか「「意志」とかが好きですな~。
今月初めの1日にも、消費税を3%引き上げる決断をした記者会見で、吉田松陰の言葉を引用して「志定まれば、気盛んなり」と言って、自分の志が決定すれば、あとは全力でそれに向かっていく力が湧いてくると、強い決心のほどを述べておられました。

今日の所信表明演説です。
中村正直の訳文「心志(しんし)あれば、必ず便宜あり」を引用して、意志さえあれば、必ずや道は開けると強い決意の言葉です。

安倍首相の郷里の大先輩は、言わずと知れた松下村塾の吉田松陰というお方です。

江戸の幕末を、伝馬町獄から野山獄へ、松下村塾から野山獄へ、そして江戸は再び伝馬町獄へ収監され駆け抜けました。
吉田松陰は、天保、弘化、嘉永、安政の世を生きまして、おびただしい書や言葉を残しています。
その松陰の言葉の中でも多く出てまいりますのが、「志」というものですね。

弘化のころは、「志を以て」なんて、志とは知識や才能を頼みにするのではなく、必ず何のためにどんな仕事のためにするかを考えて、気持ちを奮い立たせようなんて、わりあい優しい内容でした。
嘉永のころは、「苟(いやしく)も志立たば」なんて言って、志が立てば、為すべからざるの事はないと、為すべきことで行うべきでない事柄はないと、少し意気が強くなってまいります。

安政6年3月の言葉です。
「吾(わ)れは、我が志を行はんのみ」と言って、唯々志すところに邁進するのみだと、日本を良くしたいという目的の手段が志だった筈なのに、「志」、「志」が目的となってしまうような意志になってしまいます。

とうとうです。安政6年10月27日の日です。

「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも、留め置かまし大和魂」の辞世の句を残して、江戸伝馬町の露と消えてしまいました。

「志」も「強い意志」も大事です。が、松陰のようになっては残念ですね。



《安倍総理 まずは実行 着実に》

ヒントは、今年の流行語大賞候補かな?

2013年10月14日 | お客さん宅で
(クロスワードパズルの素案が出来ました。売り出し号でちょっと大き目に作ります)


毎月お配りします「アトムの特選品カタログ」と「街のでんきや便り」、11月号は、アトムの年末大感謝祭セールとなりますので、売出しご案内状と店からのお便りいっぱい作ります。
まだ一ヶ月以上ありますが、売り出しの準備はいろいろ企画も盛り沢山なために、もうずっと何ヶ月も前から構想ねって準備するもの早目早目にいたします。

リホームされた時に付けたという、テレビドアホンが壊れたと駆けつけた〇さん宅で、
『親機の基板交換ではとても割高になります』、
「ピンポーンと押してもらっても、全然画面なんか見ないですぐ玄関に出るわ。テレビ付きなんかいらないわ。普通のチャイムで充分よ」なんて奥さんおっしゃって、
『本日はもう一度取り付けには来れませんが、明日か明後日になりますよ』と帰ります。

夕刻です。
時間のすいた時、パソコン叩いてクイズを作る、大売出し用のいつものクロスワードパズルを作ります。
売り出し用はちょっと大き目難問の、工夫を凝らして作ります。

毎月は、タテヨコ7枠×7枠の49個の箱にコトバを埋めますが、今日は、タテヨコ9枠×14枠の126個の箱を作ります。
ただし、今回は真ん中に私のニッコリ笑った顔写真を大サービスで入れます。そのために、ちょっとユニークな変わった形のクイズとなりました。

二重赤枠の10文字を使って、二つの言葉を作ってください。ヒントは、今年の流行語大賞候補かな?と書いて、先に二つの言葉を決めますね。
みなさんは、クロスワードパズルをどんな順番に作っていかれるのでしょうか。
とにかく全部箱の中を埋めてから、何か5文字を探すのでしょうかね、
それとも、先に5文字を決めてから、5文字を使ったワードを探して埋めるのか、私は後者のやり方ずっとそれで作ります。

今回は5文字を二つにしました。
①「倍返し(バイガエシ)」と、②「お・も・て・な・し(オモテナシ)」に決めました。

(バイガエシ)と(オモテナシ)の10文字が含まれています言葉を、白い紙にずらっと書き出しまして、できたら地元の地名や、売り出し案内状の中から言葉を選んで決めますね。
それを全体に散らして書き込み、上下左右にいろいろな言葉で、クロスさせます考えますね。

必ず地元の地名を使います。
「江原(エバラ)」、「小田井(オダイ)」、「伊府(イブ)」、「戸島(トシマ)」、「日撫(ヒナド)」、「手辺(テヘン)」、「上山(ウヤマ)」なんて言葉を使います。

さらに、売り出し案内状に書かれた言葉ももちろん使う、
今回の場合は、「気持ち(キモチ)」や、「ありがとう(アリガトウ)」は手提げ袋に、 “感謝の気持ちありがとう” と大きな文字で書いてある。
差し上げます記念品の、「ズワイガニ」とか「北あかり(キタアカリ)」とか、私たちが精魂込めて育てた北あかりです!・・・「橋本(ハシモト)」なんて言葉まで使ってワードを枠に埋めますね。

ジャジャ~~ん、手書きでクロスワードパズルの素案が完成できました。あとは、ヒントをやさしく優しく考えて清書しまして作ります。



《今月は 早いど出来た クイズです》

楽しき鎮守のみ祭りの、太鼓の音もひびくなり

2013年10月13日 | ふるさとの話
(今日は地元の秋祭り、ふる里に帰った若者は、だんじり担いで匂うふるさと満喫します)


楽しき鎮守のみ祭りの、太鼓の音もひびくなり

これは、府中小学校の昔の校歌「府中校運動唱歌」5番・秋の一節です。
この校歌は7番まであり、3番から6番までは、ふるさと国府の春夏秋冬を読み込む、とても懐かしい歌詞が続きます。

『府中校運動唱歌』
その唱歌は

雲にそびゆる大岡山
ふもとに続くその広野
さざ波立ててたで川の
流れさざめくその右は

ここぞわれらの運動場
広き国府のこの野辺に
いざわが友よ打ち連れて
愉快にきょうも遊ばまし

春は桜の咲きにおう
山にのぼらん元気よく
ひばりさえずる野に行かん
れんげ菜種は花盛り

夏は夕べのほたる狩り
暑さわするる水泳ぎ
清き流れのたで川に
たらいの舟も浮かべなん

ちまちのわせ田色付きて
松たけ狩りやくり拾い
楽しき鎮守のみ祭りの
太鼓の音もひびくなり

大岡おろし吹き荒れて
寒さきびしき冬の日も
竹馬鬼ごと駆けくらべ
雪合戦もおもしろや

いでや国府のわが友よ
知識をみがき身をおさめ
み国のために尽くすべき
時こそやがて来たるなれ

今日の秋祭りには、ふるさとを離れて都会に暮らす若者も、たくさん地元に帰ってまいります。
元気な男の子はだんじりを担ぎ、女の子は休憩所での接待に努めます。
みんな皆、匂うふるさとを懐かしそうに、ニコニコ笑顔で過ごします。

「わせ田色付きて」の歌詞ではないですこの頃は、稲刈りはとっくに終わった田んぼの道を、ドンドコ・ドンドコ太鼓の音が響きます。



《だんじりの 担ぐふるさと 懐かしさ》

ご希望のタイプがなくって申し訳ない

2013年10月12日 | お客さん宅で
(ふるさとの秋祭りは明日の日曜日、通りの角々に神社の幟旗が立ちました)


『いらっしゃいませ、いつもありがとうございます』、『今日はまた、何をお探しでしょうかね』と、ご来店のNさんに声を掛けます。

「沸かすだけのポットって、アトムさんとこ置いてないですか?。沸かせたらいいの」とおっしゃいますね。
展示してます小型で可愛い電気ケトルを指さして、『沸かすだけね、昔の、あのアルミの電気ポットね、今は無いのです』、

『これ、このコーヒーカップ二、三杯ならすぐ湧く電気ケトル、これがよろしいですが。保温はしませんよ、でも、あっという間にお湯が沸かせますよ』と話します。
Nさんは首を横に振って「違うの、もっと沢山お湯を沸かしたいのよ。明日の祭りのだんじりの宿になってるからなんよ」と答えます。

ふるさとの秋祭りは明日の日曜日です。

国府も、隣の豊岡だって秋祭り、昔々は10月15日と決まってました。平日でもお構いなく15日の日でしたね。
それが今では、祭りに出てくることに都合の良いようにと、日曜日となってしまいました。日高のその日曜日と豊岡の日曜日は、決め方の都合上毎年一週間はずれているのが普通でした。ところが、今年はどちらも明日の日曜日、10月13日と同じです。

先日伺ったSさんの奥さんは、「今まではずれてたから、実家の祭りにご馳走になって、そして豊岡のこちらにも来てもらってたのに、今年は同じ日なので行き来出来ないわ」なんてお話聞きました。

Nさんの地区は、だんじりが寄る休憩の宿は、区の役員などのお家と決まっているようです。
寄っていただいて接待の飲み食いご馳走は、年々派手になってしまうと云う理由から、今では公民館で全部のご馳走を作って、宿のお家に届ける。宿のお家は、お茶を用意するだけのシンプルな接待準備でよくなったと説明ですね。

そのお茶のために湯沸かしポットを、今日中に欲しいと云うことですね。

『ハイ、もう一番安いのは5,980円の象印XBシリーズです』、「これでは2.2㍑で小さいわ」。

『それでは3.0㍑のDLシリーズではどうでしょうか、9,480円です』、「祭りの時しか使わないし、予算オーバーね、3㍑よりもっと大きくてもいいし」と、Nさんなかなか決まりませんね。

「その隣の4㍑のは、なんで17,800円もするの。大きくていいのに」、『これはDGシリーズで少し上等なのです』なんて話が進みます。

Nさんは携帯取り上げ、奥さんに電話をしながら思案です。
「アトムさん、魔法ビンでVE構造とかいう上等でなくてもいいから、この一番安いXBシリーズの3㍑、4㍑って品をずらっと展示しておかないの、安い4㍑が欲しいな~」とおっしゃいますね。
『今日の明日のと云う時に、Nさんのご希望のタイプがなくって申し訳ない』、『ジャーポットの上等・安いの松竹梅と、ずらっと展示をしたいのですが、小さな電気屋です。そうもいきません申し訳ないです』と言い訳します。

『分かりました。3㍑の9,480円を気張りましょう。お祭りのことですから』と、ちょっぴり値引きをしましてお買い上げ、

街の電気屋は、ホームセンターのように、一番安いクラスをずらりと並べたり、大型店のように、松竹梅を大小揃えて展示はできぬ、なかなか商売辛いです。



《祭りです ニコニコ笑顔で 値引きする》

照明器具の引っ越し作業

2013年10月11日 | お客さん宅で
(寝室には30㍗のサークライン一本の器具、それを見たばっかりに)


『こんにちわ~、ありがとうございます。さっそくお持ちしましたよ』と声を掛け掛け上がります。
Sさんちへ、照明器具を一台届けに訪ねます。

『Sさ~ん、ここんところえらい暑い毎日ですね。秋なのにちっとも涼しくになりませんね。いつまでも夏服を着てます。今日はなんちゅう蒸し暑いことですか、暑いので上着を脱がせてもらいますよ』と、上着を工具箱の上に置きますね。

Sさんちはお年寄りです二人して、仲好く仕事はカバンの作業、ミシンでカバンを縫いますね。
そのカバンの仕事も、ご主人が体を悪くして少し前からお休みですね。それでも、いつも仲良く仕事場で、二人でゆっくりされてます。

『Sさん、カバンの仕事がなくってもいつも仕事場ですね』と尋ねると、「落ち着くんだわ、母屋の中より仕事場の方が涼しいし、周りは雑然と散らかっているけれど、妙に落ち着くんだわ、居心地が好いんだわ」とおっしゃいますね。

『仏間の電気、時々なんだけど点かん時があるそうですね。一台張り込むって電話をいただきお持ちしましたよ』と、和風でスリム環の蛍光灯を箱から出して話します。
隣の寝室をチラッと見ました。えらい古いタイプの器具が吊り下がっています。

『ありゃ~、この器具珍しいですね。30㍗のサークラインが一本だけです。30㍗2本の器具なんてもう遠い昔になくなって、今では30㍗と32㍗の2本組が普通なのに、30㍗一本だけは珍しいですね』と話します。

「アトムさん、今日買った器具は仏間に付けてちょうだい。もうしばらく使うから、外した器具は隣の和室に付け直しておくれ。和室の器具はね、寝室へ付け直してよ」、「それからこの一本の器具はね、2階の物置に付け直してもらえるかな、いろいろ云ってすまんね~、一つ買ったばかりにようけ頼んで」と申し訳なさそうに云いながら、トコロテン式のように照明器具の引っ越し作業を頼みます。

『ハイ分かりました。Sさんちは古い配線です。部屋によっては、引っ掛けシーリングの付け直しもしなくてはなりません』と説明しながら取り付け作業、一台だけ容易(たやす)く終わると思っていたのが、4台の照明器具の引っ越し作業となります。本日は、思わぬ天井向いての作業で、汗だくだくの暑さです。

「スマンことでしたね、いろいろ頼んで。お金を払わせてもらいます」とテーブルで、
『ハイ、暑いですね、お金をいただく前に、前の扇風機を点けてもいいですか』と断って、スイッチを入れます涼みます。

『ありがとうございます。〇〇円です。電話で云った通り、器具の値段だけにしておきます。器具の引っ越しはオマケです』、
帰り際、トラックの中から奥さんに、『あっ、忘れていました。さっきこれも取り替えてよと云われた、二つのナツメ球、この代金は暑さでうっかり忘れてました。もういいですわ、これもオマケにしておきますよ』と、ニコニコ笑顔で帰ります。


《暑すぎて 金の計算 できません》

安倍総理殿、3,000日に挑戦してくださいな

2013年10月10日 | その他
(あれから2,300日足らずで、植村直己さんの写真は色が抜けて白黒写真になっちゃった)

 私がブログを始めて、最初に載せた写真が左のものです。
植村直己冒険館の入り口に掲げられた、ニッコリ笑顔の直己さんの写真です。2007年7月25日から今日で2,270日が過ぎました。その日の写真は、きれいなカラーの笑顔でした。

本日、植村直己冒険館に納品に行きました。
もうずいぶん前から気が付いていましたが、植村直己さんの写真が太陽光線にさらされ、6年以上の歳月ですっかり色が抜けてしまって、ほぼ白黒写真になってます。
6年間以上も同じ写真を同じ処に掲げているって、少しおかしいような気がしますが、写真が色あせてしまっているのはいけませんな~。

私のブログ、始めてから6年余の長さも、そこそこ長いと感心します。6年以上の白黒になってしまった写真を、そのまま掲げておくこともちょっと感心いたします。

6年余って時間は、それでも2,300日足らずです。

話は突然に変わりますが、日本の総理大臣の中で在職日数が一番長いお方は誰でしょうかね。

総理大臣というのは、国会の両院で首班指名されて、そのお方が内閣を組閣しまして〇〇内閣と云うふうに発足するわけです。
国会が解散か、内閣が総辞職するまでの日数を在任期間、総理大臣の在職日数となります。
たとえ途中に一部の閣僚を入れ替えても、それは改造内閣と云って通算日数に入れますね。

さて、一番長い在職日数の総理大臣は、第1次桂太郎内閣の1,681日なのです。おおよそ4年と7ヵ月ですから、平成の世からするととても長く続いたと感じます。

2番目に長い順から書いてみますと、
第2次伊藤博文内閣の1,485日、第3次吉田茂内閣の1,353日、原敬内閣の1,133日、第2次池田勇人内閣の1,097日、第2次佐藤栄作内閣の1,063日、東条英機内閣の1,009日、第2次大隈重信内閣の908日と続くわけです。

明治の元勲たち、伊藤博文にしても山形有朋にしても松方正義にしても、何回も何回もたらい回しのように内閣を順番こにやっています。
桂太郎も同じことです。
伊藤内閣は出たり入ったりの第4次まで、桂太郎も出たり入ったりの第3次です。
昭和に入ってほぼ連続に、続けて第5次まで組閣したのが吉田茂内閣、それぞれの総理大臣の延べ在職日数を見てみますと、やっぱり一番は桂太郎でした。

桂太郎は、第3次までの延べ日数は2,886日で第1位です。
第2位は、第3次内閣まで組閣した佐藤栄作の2,798日、第3位は、飛び飛びで第4次までやってくれました伊藤博文の2,720日、第4位は、第5次まで続いた吉田茂の2,616日なのです。
平成になって長いなあと感じた小泉純一郎内閣が、第3次まで組閣して1,980日の第5位、中曽根康弘内閣が、第3次まで続いて1,806日で第6位なのです。
なかなか2,000日を超す期間を組閣する総理大臣ってないのです。歴代では4人しかいません大変なのですね。

ただいま、世界中を飛び回って大活躍をしてもらっています安倍晋三内閣、平成24年12月26日に就任して以来、今日で289日目です。
さてさてどうでしょうかね、2020年の東京オリンピックまで在任されて、歴代内閣の最長記録に挑戦されてはどうでしょう。

自民党の総裁の任期も特例で突破し、もしもこのまま総選挙の洗礼を受けても、首班に指名され第3次、4次と内閣を組閣し続けていけば最長記録が伸びますね。
2020年の東京オリンピックは、どうも7月頃と聞きますね。
2020年7月いっぱいまで総理の地位に居続けることが出来たならば、安倍さんの在任期間は2,775日となります。

おっと、桂太郎の2,886日に足らないぞと思ったら、7年前があるではないですか。
おなかの調子が今一つとして、残念降板してしまった第1次安倍晋三内閣が366日もあります加えます。
2,775日に366日を加えると3,141日になります。めでたくニッポン国歴代総理で一番になります。総理在職日数3,000日突破ができます凄いです。

桂太郎は長州藩の出身、1848年・弘化4年11月28日の生まれです。よ~く頑張りました。日英同盟を結び、日露戦争に勝利しよく頑張った内閣でした。
その桂太郎は、1913年・大正2年の今日、10月10日に65歳の生涯を終えています。

安倍総理殿、桂太郎の時代のころ以上に難問山積大変な時ですが、日本のために頑張って頑張って、総理大臣の在職日数の3,000日に挑戦してくださいな!!!



《2,000だって 3,000日だって 長いです》

デジタルテレビの不都合な真実

2013年10月09日 | お客さん宅で
(新しい鶴岡橋が開通しました。本日、台風の影響なし、華やかに開通式典始まりました)


円山川に架かる鶴岡橋の竣工式です。
橋の付け根のHさん宅に、テレビの修理相談に伺った時に見かけます。心配していました台風24号の風の影響もさほどなし、神楽の奉納やクス玉割りも見かけます。華やかに開通式典が始まりました。

『Hさ~ん、こんにちわ。預かって帰ったテレビの修理のことで相談に来ました』と、声をかけて上がります。
『買っていただいて、早いもので8年にもなります。映らないチャンネルがあるでしょ、画面の一部に黒ずんだ模様が入るでしょ。修理代がちょっと高くかかります』と説明しまして相談します。

「うへ~~、30万円近く出したのに早から傷んでしまって、修理代が〇万円も掛かるってな、かなわんね~」、「貸し出してもらってるこのテレビはきれいに映るね、修理に〇万円も掛かるんだったら新しいの買えちゃうがな」とHさんは悔やみます。

ここから一通りの説明なのです。
『申し訳ありませんね。薄型のデジタルテレビの値段の話、毎年展示会を開くたびに云われましたね』、
『早よう買って損したわ、早よう買って損したわ、うちらあ40万もしたのに、今日の展示会で新製品が30万切っとるやないの、えらい損したわ』と云われました。
次の年も、「損したわ、20万円を切っとるがな」、
次の年も、「えらい安すうなったなあ、32型なんか9万円台になっとるがな」、次の年も、「ひどいもんだな~、5万円出したらあるがな、うちのは10万円以上出したのに大損だわ」と、

一人残らず「損したわ、損したわ」と悔やまれたのが、デジタルテレビの値段でした。
あまりに急激に、価格が下がるテレビの話をいたします。

『Hさんちだって、30万円近く出してもらいましたわね。本当に早よう傷んで申し訳ない。その次に困ったことに修理代のことですわ』、
『傷んだ箇所によっては何ん万円も掛かってしまうのですよ』、
『今のテレビ、作りはコストダウンで、スピーカーなんぞは性能落ちてしまいましたが、映りはよっぽど良くって値段が4万円ちょっと、これじゃあ修理代のほうが高くついてしまいますね。申し訳ありません』と説明します。

Hさんは云います。
「私ら年寄りは、ちゃんと映ったら、あれもこれもと特徴があってもいらんわな、映ったら安いほうがいいし」です。

電気屋さんにとって大事な大事なデジタルテレビ、新製品が出るたびに、こんなに映りが良くなりましたと良い物努めて売りました。
でも、全体としては「早よう買って損した損した」の悔やみを聞いて、今度は、あっち行ってもこっちに行っても、5年保証の切れるころ、『修理代が高くつきます。4万ちょっとで買えちゃいますよ』と、デジタルテレビの不都合な真実を伝え伝えて謝ってまいります。

スマートテレビや。4Kテレビなんぞは分からん知らんのお年寄り、今日も『修理のほうが高くつきます。きれいに映るテレビが買えちゃいますよ』と説明いたします。



《買う方が 安い真実 不都合な》

あれから40年

2013年10月08日 | その他
(あれから40年、いつも愛読してます雑誌は、この10月で満40年)


「ようこそお出かけを下さいました
 元ファッションモデルの綾小路きみまろと申します」

 あれから40年 あれから40年
 あれから40年 あれから40年

 旦那と知り合ったころは新鮮でした
 一緒に居るだけでなんとなく幸せでした

 あれから40年

 一緒に居るだけで息苦しい今日この頃
 ・・・・・・・・  ・・・・・・・
 ・・・・・・  ・・・・・・・

 あれから40年


バス旅行での帰り道、バスの中のテレビの画面、どこかで一度は聞いた「あれから40年」のこのフレーズは、
綾小路きみまろの、一番得意ネタのさわりです。

40年って年月は、長いようで短いですね。


私がいつも愛読しています雑誌「正論」は、今年の10月で創刊40年だって、もうそんなになるのかと感慨深く思います。

40年前と言いますと昭和48年です。この年の10月はオイルショックがあった時、石油で出来ているものは何もかも値上がりするぞ、無くなるよと大騒ぎの年でした。
スーパーには、目の色変えたおばさんたちが押し寄せて、手当たり次第に日用品を買いあさる。押し入れの中に、山のように詰め込むほどに買い込む「トイレットペーパーパニック」ってな言葉も出回りました。

そんな40年前に創刊しましたこの雑誌、当家はなにやら子供のころから、何故か分からんがずっと昔から、この雑誌の発行元の産経新聞の購読者だったものですから、大人になって紙面の「正論」欄を読むその延長で、この雑誌を手に取るようになったわけですね。
今月号は、創刊40年を追想していろいろな方が懐かしいことを書いておられる。私もふっと40年前を思い出しますこんなこと。

40年前の昭和48年の頃は、私は街の電気屋さんではありません。
サラリーマンです。
その前年の昭和47年夏から、ちょっと訳あって組合事務所に座ってする仕事、その年の暮れだったかな、組合事務所にひょこっと一人で訪れたのは、土井たか子さんではありませんかね。

3年前の昭和44年の衆院選挙で、初当選しました社会党の土井たか子はん、この年、昭和47年暮れの解散総選挙に向けて、兵庫2区での2回目の立候補、挨拶回りに寄ったのですね。
スラっと背は高くって、白いパンタロンのズボンのさっそうとした格好で、笑顔でニコニコ・ペラペラしゃべります。
私のそれまでの雑誌の購読来歴から考えまして、そろそろ土井たか子さんにはどうも馬が合わんと云うか、考え方がどうもって云うこと、その頃から感じてましたね。

あれから40年です。
土井さんの社会党もポションです。土井さんの社民党も風前の灯です。
40年って、長いようで短いですね。

「正論」誌の創刊40年企画・追想40年を読んで、懐かしい想いをいたします。



《あれからと 往った年月 懐かしい》

秋のリフォーム祭り開催中

2013年10月07日 | お客さん宅で
(店内にキッチン、トイレに洗面化粧台と、それにエコキュートも並べて展示です)


商売は、今何が売りたいか、今何が売れてるか、売りたい売れてる商品を、店にしっかり展示しなければいけませんな~。

『先日ご問い合わせのあった洗面化粧台、カタログに印をつけて持って来ましたよ』とTさん宅を訪ねます。
ご相談されたご主人はちょっと留守、奥さんしかいらっしゃいません。

「まあ、内の人がアトムさんに聞いてましたか?」、『そうですよ、今の洗面台がちょっと古くて調子が悪いそうですね。洗濯機を横にずらせば75センチのが置けるって、ご主人は奥さんのためにお考えですよ』と答えます。

『奥さん、ご主人に代わって聞いて下さい。長持ち丈夫なホーローですよ。扉もキャビネットも、手入れのしやすいホーロー仕上げ、壁にもパネルを貼りましょう。マグネットのタオル掛けも写真の通りに付きますよ』と、奥さんに詳しくお話しします。
『奥さんの為にって、ご主人から聞きましたよ。鏡はどれにしましょうか?、収納はどれがよろしいでしょうか?、洗髪シャワーの水栓がよろしいか?、みんな奥さんがお決めになったらよろしいですよ』と、どんどん・どんと説明します。

夕刻です。
リ~~ンとご主人から、「アトムさんが印付けてるやつ、注文するわ」の電話です。
『ありがとうございます。もう一度お伺いします』と、飛んでいきます暗闇の中を、

『こんばんわ~、あのね、ホーローの壁のパネルっお話ししていましたが、壁ってありましたかね?』、
うっかりしていました。Tさんちの洗面台は両サイド壁のないところに置いてある、Tさんすかさず答えます。
「うん、壁ね、壁がいるならすぐ作るわ、連れに作ってもらうわ、天井から床まで板壁作るわ、出っ張りは45センチほどあればいいね」とおっしゃいますね。

この頃どうも、プチ・リフォームがらみのご相談がとても多いですね。
エコキュートをはじめ、トイレの取り換えにお風呂やキッチンの取り換えに、Tさんちのように洗面化粧台の取り換えもあります忙しい、
2年ほど前に当店も店内に展示をしましたプチ・リフォームの商品を、お店のお客さまが来られるたびにご覧になって、電気屋さんでもいろいろやってもらえるって認知が深まったのでしょうか、どんどん相談ありますね。

アトム電器では、只今「秋のリフォーム祭り」を開催中です。
蛇口を取り換えることから、お風呂やトイレや炊事場の取り換え工事、それにエコキュートだって、オール電化だって、何でも相談してくださいね。



《昔には 太陽ヒーター 展示した》

銀杏(いちょう)と、銀杏(ぎんなん)

2013年10月06日 | 季節(秋)
(長楽寺の境内は、落ちた銀杏(いちょう)の葉っぱと、黄色の銀杏(ぎんなん)がいっぱいです)


ちょっと調べ物のために、長楽寺に上がります。
庫裡の前の境内に立っている大きな木は銀杏(いちょう)の木、境内は落ちた銀杏(いちょう)の葉っぱと、黄色の銀杏(ぎんなん)がいっぱいです。

ブログを書いていまして気付きましたね、辞書も引いて分かりました。
「いちょう」って漢字は、「銀杏(いちょう)」です。「ぎんなん」って漢字も、「銀杏(ぎんなん)」です。どうでもいいようなことですが、ちょっと妙な気がいたします。

銀杏で思い浮かべるのは、東大の安田講堂ではないですか(私は、東大とは全く縁のない、関係のない高卒ですが)。
安田講堂前の銀杏(イチョウ)並木って有名ですね。

先日、親戚の者が集まって食事をする機会あがありました。その時です。いろいろ豊岡出身の昔の偉い人の話が出ました。
「豊岡は大磯の沖野忠雄って、大阪では淀川の神様って云われる偉い人だってね」、
「粛軍演説の斎藤隆夫も偉いよ、同じ出石の加藤弘之は東大の初代総長、これも偉いわな」なんて話が、次から次へと続きます。
「加藤弘之は出石だね、豊岡出身の浜尾新(はまおあらた)も偉いわな、東大総長を二度もやってるすごいよ」と続きます。

有名な東大の安田講堂前の銀杏並木、その場所に東大随一の大きな銅像がドンと座っています。それがなんと豊岡藩出身の浜尾新(はまおあらた)の銅像なのです。
浜尾新は加藤弘之初代総理(総長)の補佐をしながら、明治の教育界で大活躍、東大総長を二度にわたって(第3代、第8代)務めている、とてもとても偉いお方でありますね。

話は出石の斎藤隆夫に戻ります。
粛軍、反軍演説で超有名なお方は明治の3年生まれ、斎藤よりひと回り上の生まれが、憲政の神様と称された「尾崎行雄(おざきゆきお)」です。
湾岸戦争のころです。国会議事堂を見学したことがあります。中央のホールの四つの隅に、大きな台座に三つ立派な銅像が立っています。自由民権運動の板垣退助、最初の政党内閣の総理大臣の大隈重信、日本で最初の総理大臣の伊藤博文ですね。
もう一つの台座は空いています。誰も立っていません。

斎藤隆夫はもちろんのこと、尾崎行雄でも立っていません。
当選回数(25回)、議員勤続年数(63年)、議員最高齢(95歳)記録の、憲政の神様の尾崎行雄でも立っていません(但し、国会内の別のところや憲政記念館にはあります)。

斎藤隆夫は、尾崎行雄より12歳若かったのですが、亡くなるのは5年早い昭和の24年に79歳で、尾崎行雄は、昭和の29年に95歳で亡くなっています。
斎藤隆夫の没した日が、明日です10月7日。奇しくも尾崎行雄の没した日が、今日です10月6日の本日ですね。



《偉い人 なんでこんなに 偉いのよ》

高野山は1200年、なのに長楽寺は1300年

2013年10月05日 | ふるさとの話
(ふるさと但馬は秋深まって、路傍のコスモスの花もきれいです)


今夜、国府地区公民館で会議です。
長楽寺の開創1300年を記念して開催する、「1300年記念法会」の打ち合わせ会です。
開催は11月3日の日曜日、本山の高野山や、但馬各地のお寺さんも集まって、盛大に記念の法会が執り行われます。
当日は稚児行列も予定され、多くの檀信徒のお参りもあります賑やかに、秋深まる但馬の里は華やぎますね。

真言宗・水生山長楽寺は、和銅6年(713年)に行基菩薩によって創建されたという、本山の高野山よりも100年も古いお寺です。
但馬路の真言宗のお寺70ケ寺を紹介した「但馬遍路・真言之法灯」という冊子に、長楽寺をこのように紹介されています。

「段々あがりの長楽寺」として親しまれている当寺は、水生山の中腹、標高70メートルに位置し、なだらかな300数十段のつづら折りの階段を登ったところにある。
参道の石畳は、かって京都の市電に使われていた敷き石であり、本堂(薬師堂)にいざなうように伸びている。
仁王門をくぐれば、正面には、十一面観世音菩薩を念持仏とする庫裡を拝し、当山のシンボル推定樹齢500年の「散り椿」が出迎えてくれる。
眼下に円山川を望み、四季折々の山中の景色も楽しめ、さらに山頂の水生城址からは、高生平野を一望することができる。

当山の歴史は古く、奈良朝の和銅6年(713年)行基菩薩によって開創され、ついで平安朝、真如親王が錫を留めおかれ、真言護国の道場となった。
大いに栄え、十二坊舎をかかえる山上伽藍であったが、戦国時代に豊臣軍の来攻により、山頂にあった西村丹後守の居城(水生城)が陥落、寺も本堂、護摩堂、仁王門、鎮守堂を残して荒廃し、暫く村裡に移ったという。
然るに、歴代の先師復興に尽くされ、正徳年間より徐々に諸堂をととのえ、寛政3年(1791年)に現在の本堂が再建され、本堂は、江戸期の絢爛たる文化の所産で精微を極め、本尊の薬師如来蔵は、行基菩薩自らが彫刻されたと伝わっている。

また、山号を水生山というが、境内には、渓声なく、霊泉も湧き出ていない。まさに水無山である。しかし、山麓に汲めども尽きない清泉があることに因んで名づけられた。
言い伝えでは、大岡寺のお薬師さんと、当寺の本尊さんが話し合い、大岡寺にある「椿」と当山の「水」を交換されたと聞く。この話により、当山の境内には、豊かな水は出ないが、多種の椿が繁茂している。・・・・・・・。

なんてったって、ふるさと但馬の中でも一、二を争う古いお寺です。
再来年が創建1200年の高野山よりも、102年も古い寺なのです。


《1300の 歴史を刻む 長楽寺》

そう、カメラは真下から、それを覗き込むようにすれば・・・・

2013年10月04日 | 季節(秋)
(リニューアルされた東京駅、ドームの天井見上げて十二支のレリーフ眺めます)



カメラを構えて、首が痛くなるほど高い東京スカイツリーを写します。
次はツリーを背景に家内を写そうとしている時です。
「ああ、それじゃあ上手く写らんよ。高いツリーをバックに顔を撮ろうと思ったらダメダメ、ダメだよ」と声がかかります。

私達が「すみだ水族館」に向かう戸外のエスカレーターに乗って、たどり着いた4階の屋上テラス、パっと視野が開け、目の前に巨大なスカイツリーの姿が望めます。
間近なスカイツリーに、誰も彼もパチリパチリとカメラを向けてます。
隣の気の良さそうなおじさんは、「きれいに写そうと思ったら、そう、カメラは真下から、出来るだけ真下からツリーを構えるの。そして、前に立った人は前を見てたらダメ、上からカメラを覗き込むようにすればいいの、そら、顔もツリーもきれいに入ったでしょ」と、ニコニコやさしく話します。

「どこから来たの、どちらまで?」と、おじさんは気安く問いかけますね。
『兵庫県からですよ。このあと、鬼怒川温泉に行くのです』と答えると、「兵庫県ですか、遠くから良いね~、家族で鬼怒川温泉ですか」、
「私はね、品川です。もう何度も何度もツリーのここには来ています。そうそう、ものすごい行列でしょ、ツリーに上ろうと何時間も前から順番がすごいでしょ」、

「あのね、前の見えるビル、ソラマチの前の30階建てのあのビル、30階に上って眺めてごらん、東京タワーの展望台と同じ高さ、とてもいいよ」、「いったん一階まで下りて、エレベーターで上がらなくっちゃならんがね、無料、無料で眺める外の景色は素晴らしいですよ、待たなくていいし」、
「あのね、30階から見る東京の景色は、東京タワーもスカイツリーの姿も見えて、富士山だって見えるかも。ぜひお勧めです」なんて、品川から来たといいながら、墨田の良さを次から次へと話します。

『今日はスカイツリーにも30階にも上りません。鬼怒川に急ぎます』と云って、ニコニコ笑顔で別れます。
案の定です。
東武電車の特急は、途中ちょっとしたっ事故があったせいでしょうか、栃木駅を過ぎるころに西の空は夕焼け小焼けで真っ赤か、時間は遅れて到着するころ外は真っ暗夜でした。


 
 
次の日です。
450mの高さから、東京の夜景を眺めます。



《品川の 親切おじさん ニコニコと》

照明の汚れだけでも、掃除しておきましょうかね

2013年10月03日 | お客さん宅で
(浅草の浅草寺から下を見ます。煙りを頭に体にセッセと、境内には善男善女の人の列)


Kさんちから電話です。
「電気がパカパカしておかしいの。診に来ておくれ」と電話です。
飛んで行きます蛍光灯持って、いつものようにすぐですね。

『どうしましたか、この蛍光灯ですか』と、仏間の照明器具を診てみます。
スイッチのヒモを引きますカチカチと、点いたと思ったすぐ後にパタパタと光って消えますね。
何度しましても、パタパタと点いたと思ったすぐに消えます。常夜灯のナツメ球を点けても点きません。

『Kさん、これはね蛍光管はきれいです。なんともありませんよ。蛍光管を取り換えても直りませんね、中のインバーター基板ってやつが壊れているのです』、
『今日は、球が悪い悪いとおっしゃるものですから、蛍光管を持って走ってきました。えっ、台所のナツメ球も切れてるって』、
『気が利きませんね、蛍光管にグロー球は持って来たのに、ナツメ球は忘れてます。申し訳ないことで』なんて話します。

結局、仏間ですから時々しか使いません。LEDのピッタリのデザインも見当たりませんから、和風の蛍光灯照明に取り換えることとなりました。

『奥さん、今日はねもう一度店に帰って来るわけ出来ません。この先行くところが待ってますので』、
『せっかく来ました。茶の間の電気と、台所の電気、笠の中にえらい沢山虫が溜まってますね』、
『クモの巣も付いてます。今日はサービスに掃除をしましょう。カバーを外しますから、外できれいにしましょう。それから雑巾も貸して下さい。天井から器具から、きれいに拭きますから』と、Kさんちは、お年を召した二人暮らしなのです。
電気をきれいにしようなんて、椅子に上ってコケてもらっては大変です。

「アトムさんは、孫が付けてくれたようなよその品でも、親切に雑巾まで使ってきれいに。すまんね~、本当に助かりますわ」と、手を合わせるように云いますね。



《本日は 売り上げ無いが 手を合わす》

溜まってました。机の上に封筒がいっぱいに

2013年10月02日 | 店内外の話
(夜の東京スカイツリーは、鮮やかな照明でライトアップがきれいです)


3日間の旅行から帰ると、机の上は封筒でいっぱいです。

国の統計調査は10月1日付で記入となっています。
今日は2日です。
旅行に出掛けている間に、早く書けたよと云っては9月中に、1日に書けたよと云っては昨日までに、店に持参された封筒が溜まっています。
5年に一度の国の調査です。しっかりと、書かれた調査票もチェックしなくてはなりません。

仕事の依頼メモも、ずらりと書いて並べてあります。
三日も休んでいたのが悪かったのでしょうか、帰ってきて「うひゃ~」と云う感じです。



《今日からは フンドシ締めて 頑張るぞ》