薄磯海岸から街があった方面を撮影。
薄磯海岸から豊間の灯台を撮影。
原っぱになってしまいました。
遠くには「餓鬼堂横穴遺跡」も。
基礎だけ残して。
まわりは、
解体作業のダンプだけが走っています。
コンクリートの塊に
津波の大きさが・・・・・
7か月を越しますと草も・・・・
「餓鬼堂横穴群」もブルーシートがはがされました。
中は大丈夫だったのでしょうか。
海は荒れていましたが快晴のため、
津波を忘れたような姿でした。
昨日
地震後5回目になる薄磯海岸へ行ってきました。
少し撮影しました。
最初は3・11後
2週間くらいの時に自転車で薄磯・豊間を見て、
5回ほどブログ(3月26日から)にも書きました。
その後3回ほど薄磯を訪れましたが、
撮影はしませんでした。
撮影する気がなくなっていました。
いのししにとり、
薄磯・豊間は心に残る街でしたので。
父の仕事の関係で、
いのししは豊間で生まれ、2年間そこで過ごしたこと。
「蕎麦打ち」のため、
10年以上(11年目に入っていました。)
月2回豊間公民館に通っていました。
「サークル」の仲間の何人かが津波で家を流されたこと。
があるので
特に印象のある街として、
子ども時代から折に触れて印象を持っていた街でしたので。
昨日は
豊間公民館再開の予定が、見通せないので、
「豊間そば打ち道場」の道具類を
豊間公民館においていただいていたのを
引き上げに行ってきました。
早めの再開を期待します。
人々が避難されていますので、
公民館の周りには人は少ないのですが、
早く再開されて、
豊間公民館を中心に人が集まる拠点にして、
人々の心のよりどころにしてほしいと強く感じました。