昨夜、講演中の 戸部先生です。
貞観十一年の大地震について話されていました。
大地震があった869年のころの
貞観時代の仏像はこんなふくよかで、
目がぎょろりの時代でした。
貞観時代の文化あふれる仏像とは?
戸部先生が
いわき市・地元の夕刊紙「いわき民報」に書かれた貴重な写真です。
放射能のため、
中央の新聞やマスコミ・県の新聞などが
いわきから一時退避していた時の写真だからです。
戸部先生とは?
今までの作品歴です。
安保・ベトナム戦争はじめ多彩に活躍された様子がうかがえます。
昨夜
いわきフーラム'90 ミニミニリレー講演会355回に参加。
いわき市中央台公民館にて、
15名の参加。
続 ファインダーがくもるとき
・・・・ふるさとの渚にて・・・・
講師は映像作家の戸部健一先生でした。
戸部先生の講演は
これまで5回ほど聞いています。
今回は
先日8月23日~8月31日までいわき市のアートスペース・エリコーナや
その後東京で新宿での写真展の反響を踏まえての
「東日本大震災による
ふるさとの破壊・原発事故によるふるさと破戒」に対する先生の
静かな怒りに満ちた講演になりました。
1)3・11は、
先生の父の命日の前日で母を連れ
墓前にお参りの家についてから地震が・・・
先生は高久在住。
電子レンジが飛び、食器戸棚が悲鳴をと・・・・・
翌日、
車では通れないので歩いて薄磯・豊間へ入り、惨状を見た。
当時はTVも宮城などの報道だけで、「いわき」は放送されないので、
噂ばかりが独り歩きをと・・・・・
水素爆発の時、
いわき支局が郡山に入ってしまった為
豊間などのいわきの現場に
マスコミのカメラマンもいないので、
戸部先生が、35mmのカメラで撮影に入りましたと。
現在ではいわきに報道関係者がいなかった理由が、判明し始めた。
すなわち、
報道各社が一時退避をしたので
いわきから離れていたことが判明しています。
それでいわきの惨状は当時、報道されなかった!!
そこで見た光景!!
ショックの一言!!
今までに経験したことのない事でしたと。
友人たちを知っている。
風景も知っていたので、写真が撮れなかった。
しかし
記録に留めておかなくてはと思い直し、
やみくもに撮ったとのお話。
写真展は考えていなかった。