もうひとつ。市立青少年会館の問題に限らず、大阪市の行財政改革のあり方そのものについて、今、どうしても言っておきたいことがある。
今、「市政改革本部」や「市政改革推進会議」など、大阪市の行財政改革の基本構想をつくるところに、経営学や都市政策、財政学などの研究者が「外部委員」としてたくさんかかわっている。こういった人々と、その人々を呼んできた大阪市長以下、市政の上層部にあえて、私は言っておきたい。
まず、今、実行に移そうとしている行財政改革の計画によって、明らかに不利益をこうむる市民層がいた場合、その市民層の「痛み」に、あなたたちはどのように向き合うのか。「痛み」をこうむった側からの抗議の声、苦しみの声などから、あなたたちは「逃げる」ような卑怯なマネはしてほしくない。
本当にどうしてもこの計画を実施することが必要で、そのためにはどうしてもある特定の人々のところにしわよせが及ぶのであれば、市政上層部及びプラン作りにかかわった外部委員自らが、まずはその人々のところに行き、事情をていねいに説明するべきである。
そして、その場でわびるものはわび、罵声を浴びせられ、怒鳴られ、非難・批判を受けることに、あたたたち自身がまずは耐えてほしい。それが本当に「誠意ある対応」であろう。
逆にいえば、そういうことがイヤなのであれば、さっさと外部委員など辞任すべきであろうし、外部委員にそこまで迷惑をかけてはいけないと思うのであれば、市長以下、市政上層部が率先してこの「泥をかぶる」ような役割を引き受けなければならない。そうでなければ、本当の意味で、行政が「説明責任」をはたしたなどとはいえないのではなかろうか。
本気で行財政改革に取り組みたければ、あるいは、自分たちがやろうとしている行財政改革プランが大事だと思うのであれば、市政上層部及び外部委員として、ここまで「泥をかぶれよ」といいたい。安全地帯で守られて、書類だけ見てモノを言うようなこと、するなよといいたい。そして、そういう場面で、あなたがたの人間としての良心、研究者として、あるいは行政の責任者としての倫理性・道義性などが問われているのだ、とここで言いたいのである。
少なくとも、私は今はこういった人々に反対する立場であるが、今まで青少年施策を作ってきた側の研究者として、現場職員やNPO関係者、子どもや保護者、地域住民などとともに、「泥をかぶる」仕事をしている。それは、いくら苦しい状況にあっても、最低限、こういった人々とこの数年間作り上げてきた信頼関係を守りたい、「仁義」を通したいという、その一心からである。