できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

学校・教育行政との「協働」をめぐって(1)

2011-01-09 18:08:21 | 受験・学校

日記帳ブログにも書きましたが、昨日は「教育の境界研究会」で久々に報告をしました。そこで私は、学校ソーシャルワーク(School Social Work:以後SSWと略)の研究、事業や実践の現状などについて、自分の思うところを正直に語ってみました。

ちなみに、私はSSWに対して「期待するところ大」という立場をとっています。特に「子どもの人権と社会的公正の実現」だとか、教育に関する子どもの権利の実現に向けて、SSWの取り組みが、学校と家庭・地域社会や関係機関の連携の各場面において、いろんな力を発揮してくれることを願っています。

また、SSWに関する文献を読んでいると、かつて自分がかかわった子どもの人権救済・擁護の取り組み、あるいは、不登校の子どもたちなど、課題のある子どもの居場所づくりに学校外で取り組んだ経験が整理され、「なるほど、こうだったのか」と理解できるようになる面もあります。だからこそ、なおさら「期待したい」とSSWについては思ってしまうのです。

ただ、それだけに、かつての自分の経験と照らし合わせてみて、SSWに対しては、「本気で子どもの人権と社会的公正の実現にこだわるのであれば、もっと~でなければ・・・・」と思うところも多々あります。その1点目に挙げられるのが、この学校・教育行政との「協働」という部分についてです。

もちろん、子どもの人権保障の領域において、学校や教育行政と子ども人権救済・擁護の担い手や、あるいは子どもの人権に関する社会運動、民間団体の側とが協力して、いろんな取り組みをすすめていくべき必要があることは、これまでの私の経験からもいえることです。だから、SSWが学校・教育行政との「協働」を強調すること自体に、まったく意味がないとは思いません。

ですが、私としては、学校・教育行政のこれまでのあり方こそが「子どもの人権」を脅かしたり、あるいは、子どもの人権保障の拡大を著しく制約してきた部分があるとしたら、そこは当然、子どもの人権を守る側から何か、学校や教育行政に対してしかるべき批判等をしていく必要だって生じると思うわけです。

つまり、子どもの人権保障の充実ということを本気でSSWの関係者が考えるのであれば、学校・教育行政との「協働」も必要だけど、「それだけでは立ち行かない領域もある」ということを、どこかで「知っておく必要もある」のではないか、ということです。

たとえば、SSWが今後取り組もうとしている課題のなかに、「子どもの不就学問題への取り組み」ということがあります。この話は、『スクールソーシャルワーカー養成テキスト』(日本学校ソーシャルワーク学会編、中央法規、2008年)の第Ⅲ章に出てきます。また、この本では、外国籍の子どもたちの不就学の問題が取り上げられています。

さて、外国籍の子どもたちの日本の不就学問題については、これまで「人権教育」に関する研究のなかでも取り上げられてきたこと。たとえばこの問題については、教育社会学や比較教育学、教育制度論や多文化共生教育論、在日外国人教育論などの観点から、理論(歴史)・政策(制度)・実践などのさまざまな領域において、積極的に論じられてきました。また、外国籍の子どもの人権保障をすすめるさまざまな運動(アクション)、民間団体の取り組みもあるはずです。

こうした外国籍の子どもの教育課題に関する研究や、外国籍の子どもの人権保障をすすめる運動の側からは、これまで、義務教育制度を中心とする日本の教育において、やはり「国民の権利保障」という法制上の建前や、「日本人であること」を前提とした学校文化などが、さまざまな場面で学校から「国民ならざるもの」「日本人でないもの」を排除するものになってきた実態が指摘されてきました。

そして、外国籍の子どもたちの不就学問題について、SSWが本気で「子どもの人権と社会的公正の実現」にこだわるのであれば、当然、こうした研究や運動の動向と自分たちの取り組みがどう連携していくのか、そこを論じる必要があると私などは思うわけです。

また、SSWが重視する学校・教育行政との「協働」についても、外国籍の子どもの不就学問題については、そのような子どもをを積極的に学校で受け入れるために、今ある学校文化を組みなおそうとする教員たちや、そういう教員たちを積極的に支援しようとする教育行政と「協働」することはできるでしょう。しかし、外国籍の子どもの受け入れに消極的な学校・教育行政と、「子どもの人権と社会的公正の実現」をめざすSSWとは、どのように「協働」するのでしょうか?

このような形で、「子どもの人権と社会的公正の実現」を本気でSSWが目指すのであれば、必ずしも学校・教育行政の「協働」ということがうまくいくとは限らないような、そんな場面が多々あるのではないかと思われること。むしろ明確に学校や教育行政の「改革」を求めていくしかない場面があること。このことを、これまでの「人権教育」や「子どもの人権」に関する議論の流れのなかで育ってきた私としては、外国籍の子どもの不就学の問題に限らず、いろんな場面で感じることがあります。

今後、折を見て、このテーマについては、このブログで情報発信していきたいと思います。

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