この本は、このブログで2310冊目に紹介する本になります。
私の勤務校・京都精華大学の今の学長で、マンガ家さんでもあります。
竹宮惠子『少年の名はジルベール』(小学館、2016年)
以下、ここからはちょっと長いのですが、この本を読んで感じたことを文章に綴ってみます。
さて、この本は竹宮惠子さんのマンガ家デビューから「風と木の歌」がブレイクする頃までを、ご本人がふりかえって書いた本です。
お隣のポピュラーカルチャー学部の斎藤光さんが「NHKの朝ドラ原作になりそう」とかいうものだから、この本、読んでみたわけですが(たしかに、そんな雰囲気のある本です)。
ただこの本をあらためて読んでみて、学長としての竹宮惠子さんは、マンガ学部の教育さらに私の居る人文学部を含めて、「全学的にこんな風に若い人たちを育てたいのだろうな~」ということも、なんとなくこの本から伝わってきました。
わざわざ彼女が自分の若かりし頃のマンガ制作の現場のことを、今、あらためて綴ろうと思ったのは、「こんな風に若い人に育ってほしい」と伝えたいという思いがあるんだろうな・・・なんてことを思った次第です。
異国の文化や歴史を背景にした作品を1本マンガ作品として描ききるためには、どのくらいの人文・社会系の知識が土台にないといけないのか。
ほんとうに質感をもって人物や背景を描くためにも、そういう知識がいるのではないのか。
そのためにも、時には自分の作品制作の部屋を飛び出て、思い切って海外に出ることも必要なのではないか。
あるいは、自分の描きたいマンガ作品のストーリー構成や人物の性格等々を構想するためにも、文学や映画、演劇等々、マンガ以外の他の物語性を持った作品をたくさん参考にしなくてはいけないのではないか。
そして、自分の本当に描きたいマンガ作品に出会っていくためにも、他者とのつながりが大事なのではないか。同じ世代の同じ志を持った仲間とか、あるいは少し視点の異なるところから意見を言ってくれる仲間とか、いろんな人々と出会って、つながっていくことが大事なのではないか・・・。
そんなことを彼女は自分の若いマンガ家時代の体験をこの本に綴って、学生たちに、そしてうちの大学の教職員に語りたかったんじゃないか・・・と思いました。
ついでにいうと、前々から「マンガやアートの作品づくりの細かいテクニックとかはわからないが、でも、たとえばストーリーを描くときの人間(特に子ども)の捉え方とか、読者である子どものことについてとか、そういう点では自分も創作活動している学生に言えることもあるよな」と思っていた私にしてみると、彼女の体験からもそのことが裏付けられたような気がしました。
そうそう、1970年代に少年愛をテーマにした作品を少女コミック誌に連載する。それを実現することを、当時の学生運動の影響を色濃く受けた竹宮さんにとっては、ひとつの「革命」のようなものだと考えていたんですね。
「世の中の流れをひとつ変えていく」という大事な仕事は、「自分の創作の領域(あるいは自分の専門領域)」のなかにもある・・・と、彼女は言いたかったのだろうと思います。
だから私も、自分の日々の授業とか、学外でやっている諸活動のなかで、何か「世の中の流れをひとつ変えていく」道筋を探ろうかな・・・なんて思いました。