できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

ほんとうに姑息な手法

2016-07-09 11:39:03 | 受験・学校

例の自民党の「学校の政治的中立性」に関する調査の呼びかけのページですが、いったん削除されたあと、復活しています。

しかもよく読まないと、2つのちがいはわかりません。

最初のものは「子供を戦場に送るな」という文言が入っていましたが、そこは削除され、代わりに「安保関連法は廃止」という言葉が入りました。

あとの部分には、大差ないように思われます。

ほんとうに姑息な方法。

「子供を戦場に送るな」という教員をも調査するのかという批判が強まったから、文言を変えて、小手先の印象操作でごまかそうとしているだけかと思います。

一応、2つの画像を貼りつけておきますので、どこがどのように変わっているのか、ご確認ください。

※追記

しかし、よっぽど自民党は嫌なんでしょうね。

「安保関連法は廃案にすべき」くらい、立法過程にも内容にも多々問題があることを指摘されること自体が!

そして、この安保関連法が「子供を戦場に送り出す」危険性を持つものだと言われることが!

必死になって隠したい、ごまかしたいと願うもののなかに、彼らがほんとうにやりたい政治的な意図があるのではないかと思えてなりません。



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「危機管理」論の前提にあるものを疑うべき

2016-07-09 10:09:24 | 受験・学校

おはようございます。

昨夜からの続きでこの話になるわけですが、こちらのツイッター上でのつぶやきをまずは読んでください。

このところ私、学校や保育の「危機管理」論や「リスク管理」論に批判的なまなざしを向けなければいけない、と思い始めています。

というのも「危機管理」にせよ「リスク管理」にせよ、その管理する側の主体が何を「危機だ」あるいは「リスクだ」と感じているかによって、その管理の手法が大きく異なってくるからです。

それこそ、たとえば、まず先にメディアを抑えて自分たちに都合のいい情報を流して、いろいろ問われている人はほとぼりが冷めるまでおとなしくしておく。

そういう「危機管理」術もありえます。

こういう「危機管理」術は、時間たてば同じ失敗を繰り返します。

なぜなら、問題の根を断ちきって改善したわけではないから。

でも、こういう「危機管理」術を使う人にとっての「危機」とは、要するに「自分たちのところに批判の矢がとんできて、政権運営などの立場が危うくなること」ですよね。

だから自分たちに矢がとんでこなくさえなれば、「危機」から脱した。

つまり、見事な「危機管理」ができた、という話になるわけです。

同様に「訴訟リスク」という言葉もあります。

たとえどんな不祥事が起きようが、重大事故が起きようが、「訴訟が起きて自分たちの立場が問われること」自体が「リスク」だと認識しているのであれば、「訴訟が起きないようにする」あるいは「訴訟が起きても負けないようにする」ことが「リスク管理」術になりますよね。

そして、こういう「リスク管理」術を使いこなすことに長けてしまうと、根本的な不祥事や重大事故の防止をどうするかという議論がおろそかになってしまいがちですね。

そんなことから、この松井計さんのツイッター上のコメントに対しては「ちょっとちがうんだけどなあ」って思いました。

要するに「危機管理」のポイントが狂っているんですよ。

で、そのポイントの狂いは、実はその「危機管理」が何を目指しているのか、何が守られるべきかという理念・思想的な次元にそもそも問題がある、というのが、少なくとも私の考えです。

<参考>

戦前か!自民党がHPで“「子供たちを戦場に送るな」という偏向教育を行う教員”の通報を呼びかける密告フォーム

(リテラ、2016年7月9日配信)

http://lite-ra.com/2016/07/post-2401.html

 


 

 


 

 


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いま、ここで言っておきたいこと。

2016-07-09 00:21:54 | 受験・学校

私はこの何年か事故・事件など、学校で亡くなる子どもの問題に研究者として関わり、「子どもの安全・安心の確保と豊かな教育実践の両立」にこだわってきた。

ひとりひとりの命を大切にしようと各方面に呼びかけてきた以上、自分にとっては子どもに「戦場に行け」なんて教育実践、ありえない。

もしも学校で「子どもたちを戦場に送るな」を語ることが「中立性を逸脱」というなら、では「子どもたちを戦場に送るな」と「子どもは戦場に行くべし」を並列にして学校で語れ、というのか。

この両者を比べて「どっちを選ぶ、君たち?」と学校で語れというのか。

冗談じゃない、そんな学校おかしいわ。

いま、ここで学校や保育の領域で子どもの安全について考えたり、動いてきたりしてきた人びとが、あの「子どもを戦場に送るな」を「中立性を逸脱」するものと扱おうとした調査に、ひとことも抗議しない、どこかで釘もささないとしたら、「そんなヤツ、頼りにならん。本気でもの考えてない」と私は思う。

だって、これから子どもたちの命を奪いかねないことを学校で「やれ」という、そういう学校にしようとする危険性の強い調査であるわけでしょう?

<以下、リンク>

自民党が「学校教育における政治的中立性についての実態調査」をはじめ「密告」をお願い→批判殺到し削除? - NAVER まとめ

http://matome.naver.jp/odai/2146798733344433901



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