寝る前にひとことだけ、大川小訴訟のことで、今日(実際には日付かわったので5月8日(火)のことですが)、石巻市が最高裁への上告を決めた話について書いておきます。
下記2つの画像は、拙著『新しい学校事故・事件学』(子どもの風出版会、2017年)のなかでも使っている「AB図」と「ハの字図」です(写真で「図1」となっているのが「AB図」。「図2」が「ハの字図」です。このブログ記事では、「ハの字図」「AB図」の順に上から並んでいます)。
この大川小訴訟って、もう、このAB図とハの字図のモデルがぴったりくる形になってきて、正直なところ脇で見ていてつらいです。
たとえば、AB図は常に語っているとおり、多くの学校での重大事故・事件に際して、「これを機会に問題点を洗い出して学校を立て直そう、再出発しよう」という動き(=A)と、「一日も早くこのことは忘れて、事態を沈静化させよう」という動き(=B)とが、地域社会においていろんな形でうごめいている様子を示したもの。このBタイプの人々が地域社会に満ち溢れれば、当然ながら、学校での悲しい事故・事件でお子さんを亡くされた遺族や、重い後遺症のあるお子さんと暮らす家族は孤立を深めていくことになります。
また、ハの字図は、「事実を知りたい」と願う遺族・家族側が初期段階では学校の対応で遮られ、不信感をもつ。その次の中期段階では調査委員会に対して遺族・家族側が「事実を明らかにしてほしいと願う」が、その調査委員会がうまく対応しきれないこともある。そして、最後に訴訟の段階が来て、「法廷で事実を明らかにしたい」と遺族・家族側が願っても、訴えられた学校・行政側はますますそっぽを向いて、遺族・家族の願いからは遠ざかっていく。そのプロセスを、カタカナの「ハ」の字のような過程だと表現したのが、この「ハの字図」です。
このAB図もハの字図も、もともとはいじめ自殺とか熱中症死亡事故とか、そういう他の学校事故・事件の遺族・家族の置かれてきた状況を念頭においてつくったものなのですが…。でも、あらためて大川小訴訟の様子をマスメディア等で見聞きしたり、あるいは直接面識のあるご遺族や支援者のみなさんから話を伺ったりしていると、ほんと、このAB図・ハの字図の構図がくっきりと見えているように思えてなりません。
今日の石巻市議会臨時会で、市長の上告方針をうけての市議の意見の分かれようなんて、まさにAB図の構図ですよね。また、今日の臨時会での市長の説明や、その市長の出した上告方針に賛成する市議の意見とかを聴くと、ますます訴訟原告やその支援者たちは、「ハの字」の広がりを実感することになるでしょう。
そして、こういうハの字図・AB図の構図がくっきり見えるような状況に陥れば陥るほど、私は「いったい日本の学校事故訴訟って、何を問うているのだろうか?」と思ってしまいます。
もちろん、法的な手続き論からいえば、被告側には最高裁にまで上告する権利はあるわけです。ですから、そこは全部だめとは言い切れない面があります。
でも、その地裁・高裁・最高裁と訴訟が段階を踏むにつれて、訴訟という場を通して何らかのかたちで学校・行政に「道義的なもの」を問いたかった原告と、「まずは法的責任さえ免れたらそれでいい。なりふりかまわない」とすら思っているかのようなふるまいを見せる被告との間に、大きな意識のギャップが広がっていくように思えてなりません。
〔追記〕
報道陣からの電話取材は「原則お断り(=忙しくてとてもつきあってられない)」の住友ですが、きちんと大学や自宅近くまで来ていただいたら、こういうコメントはすぐにできます。いちばんありがたいのは、拙著『新しい学校事故・事件学』を読んで取材に来られる記者さんですね。こういう方は、ほんと、こちらの話の理解が早い…。