下記の内容は、9月1日にフェイスブックやツイッターに書きこんだ内容に手を加えて、こちらのブログに転載したものです。
下記にも書いたとおり、2001年9月1日付けで京都精華大学の教員になったので、大学教員生活は「満20年」です。今月から21年目突入です。ほんと、我ながら「よくがんばって働き続けたなあ」って思います。
定年までまだ13年くらいありますが(今が52歳なので)、これからは「後を継ぐ人」のことを意識しながら動きたいなあって思います。
また、徐々に自分の身の丈の範囲内でしか仕事できないというか、だんだん「口は動くけどからだは動かない」「休まないと仕事できない」状態になってきてますので…。「ぼちぼち、やることも整理して、仕事の範囲も抑えたいなあ」って思っています。
ということで、今後とも、どうぞよろしくお願いします。
<以下、9月1日にフェイスブックやツイッターに書いた内容>
今日は9月1日。2001年9月1日付けでうちの大学に着任したので、今日で満20年になります。いよいよ21年目。着任して間もない頃の学生と遊べる元気さは影をひそめ、もう「ベテラン」というか、立派な「おっさん教員」の仲間入りです。なかなかからだが動かなくて、口ばっかり動く…。
ついでにいえば、2001年8月31日付けで兵庫県の川西市子どもの人権オンブズパーソン(川西オンブズ)の調査相談専門員の仕事を辞めました。だから川西オンブズ辞めて満20年です。もう子どもの人権論の世界でも、私の経験談は「伝説の勇者」の話ですね。そろそろ子どもの人権論からは「引退」かな。
ただ大学の仕事にしても、子どもの人権論にしても、若い研究者や実践者が増えているので…。私の残された仕事として、成功話も失敗話も全部ひっくるめて、きちんと今までしてきたことを正直に「語り継ぐ」ということがあるかな、とは思ってます。後継者つくっていかないとねえ…。
「からだは動かないけど口は動く」から、「若いもん」に煙たがられても叱るときは叱って、「やればできるじゃ~ん!君らすごい!」と感心するときは感心して、「よしよし…」となぐさめるときはなぐさめて、言うべきことはいう。これが、「おっさん教員」になった私の今後の仕事かなと思います。
ただ、願わくば「中間管理職」や「トップ」ではなく、「ひとりの職人頭みたいなおっさん教員」として、小中学校・高校や支援学校から大学までの教職員や研究者・専門職の「若いもん」とかかわる感じがいいなあ。子どもや学生とかかわる「現場」を離れたくない。それだけは思います。