この画像は、先週11月17日(土)の京都新聞朝刊に掲載された記事です。左側のほうが私のインタビュー記事、右側のほうが京都大学の高見茂さんへのインタビュー記事です。一応、テーマは「いじめ問題と教育委員会制度」ということになっています。
ちなみに私のほうは、これまでの学校事故・事件でお子さんを亡くされた遺族のみなさんとのかかわりのなかから、いつも語ってきたように、誠実に学校・教育行政が事実経過の解明作業をやってほしいということと、そのためのシステム(第三者委員会の設置を含む)の構築という話をしました。また、いじめ自殺事件への教育委員会の対応がよくないからといって、教育委員会を廃止して首長直轄の部局に教育行政を位置づけるという話についても、「従来の遺族対応のノウハウが首長に引き継がれる危険性もあるので、それでうまくいくとは限らない」とか、「本質的に筋違いな話」とあえて言っています。
そして、教育行政の改革を含むあらゆる改革は「外科手術」のようなもので、きちんとした診たてにもとづいてやらないと、学校や教育行政のまだ健全な部分をも傷つけてしまう。今、いじめ自殺事件への対応で必要なのは、教育行政の「体質改善」であって、教委廃止のような「外科手術」ではない、という言い方もしました。これはよく学校事故・事件でお子さんを亡くされた遺族から出てくる、学校や教育行政の「隠ぺい体質」という言葉にひっかけてのコメントです。
もちろん、私の考え方がベストだとか、ベターだとかいう気はありません。ですが、このところ何かといじめ自殺問題にひっかけて、次の衆院選に向けて各政党がマニフェストのなかでいろんな提案を出してきています。その提案の中身が、どうも遺族側の思っていることとかなりずれているというのか、見当違いの方向に教育行政や学校を持っていくものになっているように思えてならない・・・・。「教委廃止論」もそのうちのひとつなので、あえて、それにクギを刺すつもりで、インタビューにはこんな答え方をしました。
これから何か、教育行政のあり方を考える際のご参考にしていただければ幸いです。もちろん、衆院選で出してくる各政党のマニフェストを読む際にも、です。
※追記:プロフィール画像、変えてみました。ある学生が描いてくれた私の似顔絵(右)と、そこからその学生が想像した「若かりし頃」の顔(左)だそうです。右側はかなり似てますが、左側はめっちゃ美化しているような印象です。