昨年は11月24日にもみじ谷のモミジを見たが、時期が遅かったようだった。
今年も出かけようと思いつつもなかなか尻が重くて外出しなかった。でも、今日は天気が良かったのと、これ以上遅くなると今年は紅葉が見られなくなると思い、もみじ谷に出かけた。
やはり、今年も遅すぎたようで、だいぶ葉がチジれたり、枯れたりして傷んでいた。立て看板があり、それを見ると、今夜までライトアップされるとかで、これで紅葉もおしまいのようだった。
今朝8時過ぎに観察した時には、3匹ナミアゲハの5齢幼虫を確認した。しかし、16時過ぎに確認したところ、2匹しか見当たらない。 くまなく探したが結局1匹は見当たらなかった。
昨年にも5齢の幼虫が忽然と姿を消したことがあった。 どこかへ逃亡したのだろうか? それとも、鳥にでも食べられたのだろうか?
今日は旧暦4月15日、満月。そして、部分月食の日だ。朝から天気が良く今夜の部分月食に期待が持てたが、夕方から雲が出て、特に空の下の方は白い雲に覆われた。
水戸での月のでは18::44、月食の始まりは18:59で、月の出すぐに月食が始まるので、我が家からでは、月の欠け始めは見えない。民家や樹木に遮られるからである。
19:40から木々の間を縫って撮影を始めた。手前の電線や電柱にかかるが已むをえない。月が上ってくるにつれ近所の家屋の屋根の上に出たので、場所を変えてさらに撮影。結局、満月に戻る21過ぎまで外で撮影した。
残念ながら、月は雲に覆われて霞んでしまっていた。目視では、小生の眼鏡のせいもあるが、滲んでぼやっとしかみえない。輪郭は全然はっきりしない。それでも、欠けていく様子は何とか見えた。
夜中に外に出て空を見上げると、だいぶ高い位置にあったが、全面雲に覆われてぼんやりしていた。今日の月食は風情があるというべきか、記録写真には不向きだった。
(写真は左から、19:40撮影始めで月面に斜めに薄い帯は電線が映り込んだもの、2005ほほ最大月食時、21:15満月に戻った状態)
明後日6月6日は、金星の日面通過がある。日の出は4:20で、金星が太陽面を通過するのは7:10~13:48頃の間である。しかし、当日の水戸地方の天気予報は、曇である。何だか朝起きるのに元気がなくなる。
でも、今世紀最後で、次は105年後の2117年12月11日まで起きない天文現象なので、万難を排して起きるしかないだろう。
今日は下弦の月。月の出は0:07であり、1時過ぎに外に出ると、家々の間の低い位置から赤い下弦の月が垣間見えた。その頃になって我が家からはかろうじて見える位置にまで上がってくる。カメラを持ち出して撮ろうかとも思ったが、撮影できそうな位置まで上がってくるにはあと1時間ほど必要で、また肌寒かったのでやめた。この時期は月の出が毎日30分ほどずつ遅くなるので、しばらくは月の出を見ることはむずかしい。明日は0:39が月の出時間である。
今日はまた、母の日である。小生の母は、1998(平成10年)9月1日に亡くなっている。しかし、思えば、それまで母の日をお祝いした記憶はない。この歳になると、そのことが無性に気になり申し訳なく悔いが残る。妻を2000年に亡くしており、子供たちにはもう、母の日を祝わせてはやれない。残念だ。
「後悔先に立たず」というが、昔から、如何に多くの人々が後悔してきた! ことを物語るのであろう。人生は後悔の連続かもしれないが、それはできるだけ、今からでも、減らしたいものだ。
数日前から今日は、強風が吹く、との予報が出されていた。注意しろと。
朝は晴、特段の強風もなかったが、15時過ぎから小雨がふり、強風が吹いた。雨戸を叩きつけるような強風であった。最大瞬間風速25.5m/s。夜は雨も上がって、早く流れる雲の切れ目から月例11.5の月が見えた。風は弱い。しかし、道路にはどこから飛んできたのか落葉や、道の上まで覆うように伸びている道路を隔てた樹木から沢山の枝が落ちていた。
日本時間3月7日22時過ぎから行われた対ドイツ決勝戦は、常に相手にリードされながらよく粘り強く追いつき、W杯の対アメリカ決勝戦の再来を期待したが、最後ロスタイムにクリヤーミスから蹴り込まれ3-4で惜敗した。
前半は0-2とされたが、35分には安藤からのパスを左サイドで受取、相手ディフェンダーを切り返して鮮やかにゴール右上隅に決めた。後半10分田中明日菜がゴールし2-2と追いついた。このあたりからなでしこにもリズムが出てきた。43分には自陣ペナルティエリア内で相手を手で引っ掛けPKを与えてしまった。海堀が相手コースを読んだが、わずか及ばずゴールを許し2-3となり、万事休すかと思った。しかし、終了間際の45分、高瀬からのゴール前へのパスを相手キーパーが弾いたところに永里が押し込んで、3-3と追いついた。W杯アメリカ戦と同様、PK戦かと思ったが、2分のロスタイムに入り46分クリアミスから相手に蹴り込まれ3-4と惜敗した。
大人と子供ほどの体格差の中で、なでしこは粘り強かった。パスミスや相手にパスカットされるなど前半は押し込まれるシーンが多かったが、運動量は負けていなかった。特に、若手メンバーの活躍も目立ち、オリンピックに向けた選手層の厚みは着実に増していると感じた。
今回から澤選集に代わりキャプテンとなった宮間選手がMVPに選ばれた。
前回110を切る目標で、107とそれを達成することができた。今日のゴルフの目標は100を切ることで、94と達成できた。久しぶりの寒さが緩み寒さはなく、かつグリーンが凍っていなかったこと、それにもましていつもになく今回は真面目にプレーしたことで達成できた。
朝は曇空だったが、風もなく時に陽射しもあって暖かった。OBが1個あり、ダフリ・トップは相変わらずだったが、コンペをやっているような積りでプレーを続けたことが良かったようだ。
昼食は、いつもはカレーだが、今日は初めてけんちんうどんを食べた。食後は熱くなった。16番ホール辺りから小雨が降り始めてプレー後も降っていたが、高速を飛ばして15:25帰宅。
(写真左は5番ホールのディーグラウンドから、右は昼食に摂ったけんちんうどん)
夕食後、ケーズデンキに出掛け無線ルータ(ロジテックLAN-WH300AN/DGR)を買った。明日午後からセッティングしよう。昨年末にはプリンタ複合機も新調したので、これも接続できるようにしよう。
6:45起床。車内を片付け外に出ると、空は快晴で空には19夜ほどの月が残っていた。 朝食 にモーニングセット(コーヒはお代り自由)。8時過ぎに吉備SAを発ち、8:29笠岡ICを降りた。ここまでの高速代は0円だった(ETC割引を使わない場合では19,500円ほど)。
今日は亡妻の父の三回忌と祖母の三十三回忌であり、今回の旅行の主目的である。亡妻の実家に8:37到着。しばらく休んで、大阪から息子夫婦が10:20頃やってくるので、笠岡駅まで出迎えた。
法事は11時から自宅で始まり、墓参りの後葬儀場に場所を変えて食事を摂った。宴も終わり、再び亡妻の実家に戻りひと休憩。
明日水戸に帰る二女を残して、小生は悠々旅行に出立した。今日は大阪で定宿にしているホテルに宿泊するので、息子夫婦を載せて出た。
宝塚トンネル手前12㎞で渋滞し時間を要したが、18時ホテルに到着。息子夫婦と別れ車を立体駐車場に入れチェックイン。夕食をどうするか息子に連絡、一緒に摂ることにし19:30頃車で出掛け夕食を摂って21時ホテルに戻る。
今日までの記録とデジカメから写真をパソコンに取り込み、0:30消灯眠りに着いた。
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今日は新婚の息子夫婦と、嫁さんのご両親・妹家族が午後便で帰国される日であり、午前中はアドベンチャーリバークルーズのツアーを楽しむそうだ。
二女と長女一家とは一緒に買い物に出掛けるという。小生は、買物には全く興味はなく、グアム島内観光ツアーに参加した。各ホテルで乗客を拾いおよそ20名ほどの参加者であった。
スペイン広場(Plaza de Espana)は1736年(日本では、天文元年)から1898年(同、明治31年)にかけてのスペイン統治時代にあったスペイン総督邸の跡地を利用した広場で、その中庭には総督夫人が総督の客人をもてなしたというチョコレートハウスもある。
次は、アデラップ・ラッテストーン展望台だ。知事の執務室のある場所で、岬に幌がる緑のエリアからはアガニャ湾から恋人岬以北をも見渡せる。新しくできたラッテストーン型の展望台からの眺めも良い。今日は陽射しも強く、蒸し暑さも尋常ではない。$3を支払って入った建物(元の執務室?)内では冷房が効いていて、一息付けた。
次に静かなビティ湾に約300mほど突き出た桟橋の先にある海中展望塔。塔の中の螺旋階段をおよそ10mほど降り、円筒の展望塔の円周上に開いている観察窓から海中を観察できる。魚も色々泳いでいたが、写真写りは映えなかった。この塔のそばにはスキンダイビングの講習が行われていた。
次はマイクロネシアモールでのショッピング。小生はショッピングには興味がない。先着80名にキーホルダーが貰えると案内のあったBIRKENSTOCKへのみ行って、キーホルダーを手に入れて、少しの間その履き物の特徴や効能を聞いた。その後は、Denny'sでコーヒーを飲んで時間を過ごした。$1.85でコーヒーを4杯飲んだ。
次は恋人岬(Two Lovers' Point:Puntan dos Amantes)。スペイン統治時代にチャモロの美しい娘が結婚を迫るスペイン人総督から逃れ、チャモロ人の恋人と永遠の愛を誓い、髪を結びあってこの岬から身を投じた、という悲恋伝説からこの名がつけられた。海抜123mの断崖になっており、展望台からはタモンの美しい海岸線をはじめ、イパオ岬、オロテ岬までを一望のもとに見渡せる。$3を払い入場。展望台に立って下を見ると、高所恐怖症の小生は脚がすくむ。ロックで固い愛を誓ったものや、言葉を書いた札が掛っていて、また幸せの銀の鐘(伊豆の恋人岬から送られたものという)もあり、賑わっていた。
最後に立ち寄ったのはDFSギャラリアで、ホテルOutrigger Guam Resortの傍にある高級店のショッピングセンターである。高価な買い物にはもちろん興味はないし、13時にホテルを発つことになっている新婚夫婦とお嫁さんご家族を送るためもあって、急ぎホテルに歩き戻った。少々迎えのバスが遅れたが、13:25無事ホテル前で見送った。
夜は、一緒にきた二女と長女家族とディナーに招待。CORE BBQ GARDEN & BARで美味しいディナーを楽しんだ。小生は、TASI SETを注文し、サラダとニューヨークステーキとロブスターでお腹を満たした。オープンテラスで薄暗い中での食事は雰囲気があり美味しかったが、料理を美味しく撮るのには無理だった。
今日は日曜日、夏休みなどの時期を除いてほぼ月一回の子ども会資源ごみの回収日である。新聞3、雑誌3、チラシ5、ダンボール1包と1000m?飲料パック20枚を整理、梱包して玄関先に出した。
新聞を読んで、洗濯をして干して、ブランチを食べた。このブランチの内容を今日は紹介しよう:
①フライパンを熱し、「JAS上級あらびきウィンナー」3本と「匠の逸品野菜入りさつまあげ」1枚を焼く、
②焼いている間、トマト1個とレタス(サニーレタス)を洗って、20㎝の皿に盛る
、
③8枚切り食パン2枚にそれぞれとろけるチーズを載せ、両面焼きオーブンに載せて焼く、
④フライパンにほぼ焼けたウィンナーとさつま揚げを隅に寄せ、卵1個を伸ばし、中央付近にシラス干し(小女子)を載せ、四角に隅を折り曲げ、ひっくり返し裏面をも焼く
、
⑤1枚のチーズ載せ焼きパンの上に卵焼きを載せ、その上にトマトケチャップをつける
、
⑦その上にもう1枚のチーズ載せ焼きパンを載せてサンドイッチにして完成。
これに、マグカップ1杯のコーヒーが通常のブランチである。野菜入りさつま揚げが少々焼き過ぎだが、いつもウィンナと同時にに焼き始めるのでどうしても焦げ目がつき過ぎる。これからはウィンナを焼いている途中から入れて焼くことにしよう。
ブランチは10時から12時の間で、夕食は17時半から18時半の間で食べることが多い。
ホテルのモーニングサービスを食べ、国道42、県道37・60、国道23などを通り伊勢神宮内宮のP1駐車場に到着。約1時間半で内宮を見た。学生時代自動車部で来たような気がする伊勢路への24年ぶり、2度目の旅である。
五十鈴川に架かる1年半前に架け替えられた宇治橋を渡って神域に入る。綺麗に掃き清められた表参道は特段気持ちがいい。楠の若芽の匂いも好きだ。
手水舎で清め、さらに進むと右手に御手洗場がある。 五十鈴川の清らかな流れに手を浸し、さらに心身を清めた。
大きな木々や苔むした木々の間をさらに進み、御神楽殿の脇を通り、御正宮の石段の下に到達。天照大神が祀られている唯一の神明造の社である。この石段から先は撮影禁止となっている聖域である。石段を上がり参拝した。そのとき、一陣の風が吹いて白い絹の御幌が靡いて中が見えた。
さらに別宮などを見回った。次の式年遷宮は第62回目で平成25年だそうだ。
本日は金曜日であったが、多くの人出がありそのほとんどが2人連れ以上で、夫婦、恋人、親子、友人、それに団体旅行者だった。それにしても今日はすばらしい天気だった。
11:20頃駐車場を発し、外宮に向かった。
こちらの宮は内宮に比し小振りである。堀川に架かる火除橋を渡り北御門口(左写真)から参道に入った。御正宮に参拝し、別宮の土宮、多賀宮、風宮に参拝して辞した。
12:30頃外宮の駐車場を出て、二見浦に向かった。15分ほどで到着、海沿いで参道入口部にある駐車場に1つだけ空いていた駐車場に停めることができた。
やはり、二人連れの参拝客ばかりだった。15分ほどぶらっとして13時少し過ぎに出発。二見鳥羽ラインの有料道路経由で伊勢自動車道に載った。
13:50、安濃SAに到着し遅い昼食を摂った(家にいるときはいつも1日2食。ブランチと夕食)。カツカレーとコーヒ¥970。今日はこれから恵那峡SAで車中泊とすることを考えていたのでのんびりと50分ほど過ごし、コンシェルジェでどのルートを辿ると一番高速料金が安いかを調べて貰った。その通りに、東名阪→伊勢湾岸→東海環状経由で土岐JCTから中央道に載った。
16:15、恵那峡SAに到着。まだ時間が早かったので、少しのんびり一服などして少し先まで進もうと道路地図を眺め、駒ケ岳SAにまで行くことにし、17:09駒ケ岳SAに着いた。ここでは、1台おいて隣に駐車した京都からこられたという御夫婦に遭い旦那さんからいろいろ面白い話を聞くことができた。今日はここに泊り、明日は美ヶ原へ行くとのこと。どうやら全国をまわっておられるようだった。
道の駅「いが」で7:00起床、朝食を摂って7:50出発R25を次の上柘植まで大阪方面に走り、そこで降りて名古屋方面に載り返しR25を東に走る。関JCTで伊勢自動車道に載って津ICで降りる。
8:30、津市営お城東駐車場に車を停め見学。一部の石垣・堀は現存しているが、城域はかなり変わっているようだった。外堀は全て埋め立てられ東の丸は今はなく、内堀も埋め立てられて西の丸と本丸回りの北側のみに残っている。西の丸は現在日本庭園となっているが、造りっぱなしで手入れはほとんどなされていない、文政3年(1820)に二の丸に設けられた藩校「有造館」の入徳門が移築されている。天守台への登り口が見当たらない。石段(石坂)のようなものがあったが、途中で無くなっていて天守台には上がれない。本丸には南側に籐堂高虎公馬上姿の銅像があり、中央には噴水を設けた西洋風庭園となっている。
(津城跡:左上から右に、黒鉄門跡と模擬三重櫓、本丸、乾櫓跡石垣、入徳門。左下は籐堂高虎公銅像)
300円の駐車料を払って11時少し前に出て、R23で松阪に向かった。途中、ガソリンを満タンにして11:40松阪市営駐車場に車を停めた。松阪城北側の食堂で親子丼・うどんセットの昼食 を済ませ、表門跡から二の丸へ入った。
松坂城は蒲生氏郷の築城になる梯郭式平山城である。未完とはいえ、立派な縄張りで攻めるに難い城である。三の丸は残っていないが、内郭部はよく残っている。本丸(上下2段)には多くの櫓を配置している。石垣も素晴らしい。歴史民俗資料館を見て、御城番屋敷で話を聞いて駐車場に戻った。
(写真は左から、上段:表門跡、二の丸から隠居丸入口を見る、中門跡、本丸(下段)で正面奥石段は多聞櫓・その右月見櫓へ上がる段。下段:天守台、きたい丸から手前に敵見櫓石垣と奥に天守台石垣、二ノ丸石垣、御城番屋敷)
そこから10分足らずのところにある今夜の宿である東横イン松坂駅前にチェックイン。
今日はNHKテレビ放送の国会中継「参議院予算委員会質疑」を視聴した。お粗末な大臣やいい加減な答弁など、聞くに堪えない。多くの視聴者はテレビ画面を目の当たりにしてこの内閣に大失望した、と思う。
この内閣には当事者意識も当事者能力もそして責任感も全くない。質疑においては質問にまともに答えない、他の所為にする、事実と異なる嘘をつく。全く誠実さが感じられない。途中でTVを切ろうかと思ったが、自民・西田委員(自民・小坂委員関連)から次から次へと政治資金に関わる違法な新事実が出てきて、切るに切れなくなって17時のTV放送終了まで観てしまった。しかし、最後に立った1名の民主党・新緑風会の委員による質問は将によいしょ質問や詰まらない質問で、全く必要性を感じない。このようなものは政府党内でしっかり議論しておればいいもので、予算委員会で事前通告して質問する内容ではない。しかも質問のテンポも悪く、時間潰しにしかなっていない。
本日も一日中寒かったが、それ以上に寒々しく暗澹たる気分になった。