つれづれ日記

~認知症に備えて~
(H26/11/21geocitiesから"goo"に引越)
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地震20日目

2011-03-30 23:21:00 | 日記・エッセイ・コラム

 福島第1原発のタービン建屋地下の放射能汚染漏水の排水が進まず中々本格的な復旧作業にかかれないでいる。体調不良で入院した東電清水社長に代わって勝俣会長が記者会見し、#1~#4は廃炉にする考えを示した。廃炉するにしても、冷却を行い、放射能を閉じ込める必要がある。元の状態に戻るのは20年を要するだろうと思う。

 地震・津波の被害状況もまだまだ全容が分かり切っていない。まだ救援が入っていない地区があるようで、それほどアクセスが壊滅状態にある。警察庁纏めによると、本日18時現在の被害状況は、死者11,258人、行方不明16,344人、負傷2,777人、建屋152,695戸。

 誕生日が今月なので、免許証更新は先月と今月中に終えなければならない。ついつい面倒くさがって後2日しか無くなったので、本日試験センターに出掛けた。相変わらず大勢でごった返っていた。9時過ぎから11時半まで掛って新しい免許証を受領した。


地震19日目

2011-03-29 23:14:00 | 日記・エッセイ・コラム

 福島第1原発はタービン建屋内に溜まった高濃度に汚染された漏水を移し替える作業が始まった。復水貯蔵タンクへ、またそこから圧力抑制室用水タンクへとところてん式に移送する。最後にはこの水を加熱して蒸留し、残留物を別に保管する。しかし、タンクの容量が限定的なので、どこまで成功するかは未知数である。4号機の中央制御室に照明も点った。これで、#1~#6までの全制御室に照明が復活した。

 また、同発電所敷地内から、この事故に起因するプルトニウムが微量だが検出された。最後の砦を破られていることになる。幸い微量で、プルトニウムは揮発しにくく、かつ重いので遠くまでは拡散しない、といわれている。環境放射線量は斬次減少しており、水戸では本日20時現在0.215μSv/hで健康に影響はない。

 地震・津波による被害は、本日15時現在、死者11,082人(前日より+181)、行方不明16,717人(同-904)、負傷2,778人(同+1)、建屋150,399戸(同+2,660)。まだまだ全容把握までには時間がかかる。仮設住宅も著に着いたばかりであり、必要数のわずかで着工したばかりという。

 今朝は、10時からファミリーレストランでドリンクバーを利用しながら、自治会会計の締めとなる会計監査をして貰った。今年度の会計は小生で、監査員は前年度会長と会計である。最初に説明をして、後は、出納簿、収支報告書、領収書、銀行預金通帳を精査して貰い無事終了した。


地震18日目

2011-03-28 23:17:00 | 日記・エッセイ・コラム

 快晴。地震・津波被害状況の全容が分かりかけた、と思っていたら、どうやらまだまだのようだ。18じ現在警察庁の纏めによると、死者10,901人(前日に対し+233)、行方不明17,621人(同+1,047。昨日・一昨日はそれぞれ前日より減少したが、本日は一挙に増大した)、負傷2,777人(同±0)、建物147,739戸(同+3,511)。まだまだ全容がはっきりしない。大変な中での懸命な捜索活動がまだまだ続く。

 福島第1原発は膠着状態が続いている。炉内放射線がタービン建屋内に漏れてその処理に手こずっている状態にある。原発対応日米チームが新設されたが、一刻も早い見通しを得たい。

 TVニュースによると、本日東京(靖国神社標本木)では桜が開花した。東京の開花は平年並みで、昨年よりは6日遅いという。


地震17日目

2011-03-27 23:58:00 | 日記・エッセイ・コラム

 地震・津波被害状況は、ほぼ全貌が見えだした。本日18時現在の状況は、警察庁纏めで、死者10,668人(前日より+250)、行方不明者16、574人(同-498)、負傷2,777人(同±0)、建屋144,228戸(同+357)で、死者+行方不明者は27,242人(同-248)であった。避難所によっては支援の濃淡があるが、復興への動きも着実に出てきた。

 福島第1原発は膠着状態が続く。#1~#3タービン建屋地下に溜まっている高濃度放射線に汚染された水が溜まっている。これを排出することが、当面の課題となっている。

 こんな時期に不謹慎だが、タバコがない! あちこちコンビニを探したが、ほとんどで売り切れている。来週には大量入荷するという店があったり、JTが発送を中止していていつ入荷するか分からないという店もあった。どうやらJTが被害を受けているそうだ。製造所が全部被災したとは思えないのだが、どうなっているのだろうか。健全な製造所から輸送するのを、このガソリン不足の時、慮っているのだろうか? いつも吸っている銘柄はなかったが、やっと6箱を手に入れることができた。これが、無くなった後はどうなるのだろうか、想像できない。

 午前中に自治会の役員会を会長宅で行った。市民センターで予定していた総会は、建物が損傷したということで使えない。総会資料は各戸配布することで総会に代えることにした。小生は会計担当なので、収支報告書を作成して、前年度会長・会計に監査をして貰う必要がある。


地震16日目

2011-03-26 23:19:00 | 日記・エッセイ・コラム

 今早朝から4:20まで朝までテレビを観たので、今朝の起床は10時ころになってしまった。いつものことだが、議論が錯綜して食い散らかし議論状態であった。司会者の無知さもいつものようで議論をリードできていなかった。

 今日は一日中晴だった。警察庁纏めによると、本日は初めて行方不明者の数が減った。その分、死者が増えたが、死者+行方不明者の数は減少した。死者10,418人(前日より+352)、行方不明者17,072人(同-380)、負傷2,777人(同±0)、建物143,871戸(同+2,603)となった。

 福島第1原発の周辺への影響は、水道水、環境放射線量は減少している。しかし、タービン建屋内漏水の放射線レベルは電源復旧活動を中断させている。炉内の水が漏れたためであろう、一気に放射線量は増大した。この汚染水が海にも流れだしている。まだまだ、一進一退の状況から脱していない。

 3月16日から帰って来ていた一番下の娘が今夕10日ぶりに戻っていった。いまだに体感震動は毎日続いている。頑張ってもらいたい。


地震14日目

2011-03-24 23:53:00 | 日記・エッセイ・コラム

 18時警察庁纏めによると、この地震による被害状況は、死者9737人(前日に対し+285)、行方不明16,423人(同+1,752)、負傷2,777人(同+31)、建物139,708戸(同+8,089)と、ますます拡大している。道路・橋、通信手段、交通などの毀損によって未だ調べがついていないからである。陸前高田市では今も1万人以上の安否不明者がいるとも言われており、今後、死者・行方不明者が劇的に増えることも予想されている。何ともやるせない。

 福島第1原発で、3号機の原子炉に真水を注入するための電源ケーブルを接続する作業のためタービン建屋に入った3人が地下1階で約15cm深に溜まった水(原子炉内の水の1万倍の390万Bq/ccの濃度)に足を踏み入れてしまい、うち2人が(1人は長靴着用していたため水には触れず)被曝、173~180mSvを浴びた。これは、このたび引き上げられた緊急作業時の上限年間250mSv(従来100mSv)に近いもので、β線熱傷を負った。高濃度の線量は原子炉本体から出ているものと思われ、早期回復への対応が一層困難になった。

 しかし、将来とも原子力発電所は必要であり、一層の安全やリスク制限に対する強化を図っていく必要がある。


地震13日目

2011-03-23 23:46:00 | 日記・エッセイ・コラム

 警察庁の3月23日纏めによると被害状況は、死者9,452人(前日に対し+372)、行方不明14,671人(同+1,110)、負傷2,746人(同+71)、建屋131,619戸(同+3,523)と、依然増加の一途で全貌が掴めていない。被害範囲が広範囲に亘っていることが、困難さを増している。これからも広範囲に広がっている避難所・自宅避難の人々へのきめ細かな対応、特に衛生面と精神面の対応が求められる。

 福島第1原発の方も”3歩進んで2歩下がる”状態だが、少しずつ前進している、ように見える。懸命に闘っている対応者の奮闘に頭が下がる。

 しかし、放射性物質の拡散により被害が広がっている。本日先のホウレンソウ、カキナ、原乳に加え、福島県では大幅に出荷制限品目が増え(カブ、茎立菜、信夫冬菜、山東菜、小松菜、アブラナ、ちじれ菜、紅菜苔、キャベツ、ブロッコリー、カリフラワー)、同時に、摂取制限が課せられた。茨城県でも先のものに加え、原乳とパセリが出荷制限された。東京では金町浄水場から乳児(1歳以下)に対する規制値を超える放射性ヨウ素が検出され、乳児への摂取自粛措置がとられた。店頭から早くもミネラルウォータが無くなったという。これに対して都によるミネラルウォータの配布が始まった。原発から北西40km地点(福島県飯舘村)の土壌から高い濃度の放射性ヨウ素131、放射性セシウム137が検出された。冷静な対応が求められるが、これでまた一般市民は浮足立って買占めに走る。水戸では3月23日採取分析結果では放射性ヨウ素39.6Bq/kg、放射性セシウム5.57Bq/kgで、それぞれ規制値の300(乳児に対しては100)Bq/kg、200Bq/kgに比し低い。

Blog1103234  今朝、庭に出ると未だにサザンカが咲いている。次から次へと蕾が咲くので、中々花は終わらない。後の掃き掃除が大変。いっぽう、椿は一カ月より以上前から先端のみが赤くなっていたが、やっと膨らんできた。来月になったら開き始めるかも。

Blog1103232 Blog1103011  ドウダンツツジも蕾が膨らんできた。3月1日に撮影したもの(右)と比較するとそれがはっきり分かる。こちらも来月には先端がバラバラに割れて釣鐘状の白い花が5個以上出てくるだろう。

Blog1103233 Blog1103012 スイセンも大分大きくなり背丈はほぼ30cmくらいに伸びた。3月1日に撮影した時はまだ10cmほどだった(右:背景と比べるとよくわかる)。茎の途中を観ると気持ち膨らんでいる部分があるようだが、まだ花が咲くまでには時間がかかりそうだ。

 


地震12日目

2011-03-22 23:40:00 | 日記・エッセイ・コラム

 朝小雨が降っていたが、昼過ぎになって止んだ。一時薄日があったが、すぐにくもり夕刻以降はまた小雨となった。

 夜になって、福島第1原発3号機の中央制御室に事故後初めて外部電源による照明が点った。復帰に向けての大きなマイルストーンとなった。今後は、冷却ポンプモータの動作テストを経て、装備されている炉内と使用済み核燃料保管プール冷却水循環ポンプとコンデンサの冷却水ポンプを動かすことになる。明るいニュースだ。

 また、予想されたことだが、放水口付近の海水から安全基準を大きく超える放射性物質(放射性ヨウ素131、放射性セシウム134・137)が検出された。海水により拡散され濃度は低くなるが、魚貝・海藻などに摂りこまれ生物濃縮が懸念され、長期的な監視が必要。

 出荷制限となった費目のほかにも当該県の産品というだけで返品などが起こっているという。予想された通りだ。政府は長期に亘って食べ続けなければ大丈夫というが、ならば軽々に制限などしない方がよい。情報だけは正確に、迅速に出して、消費者に任せたらどうか。それとも”カイワレダイコン”のように大丈夫をパフォーマンスするか。まさか、後で何だかんだと訴えが起きたら困るので、”制限”すると言って予防線を張ったのか、制限すれば、その補償責任は東電になるので、それを狙っているのか? 変な考え過ぎの自分がいる。

 地震・津波の被害全貌が未だ掴めない。22日18時警察庁まとめによると、死者9,080人(前日より+431)、行方不明13,561人(同+300)、負傷2,675人(同+31)、建屋128,096戸(+454)と増えている。まだ行方不明者は多いだろうといい、支援を求める数も全貌が分からない。したがって、支援物資も避難場所により濃淡が激しい。物流システムに倣った拠点化・システム化の早期確立が必要だ。


地震11日目

2011-03-21 22:55:00 | 日記・エッセイ・コラム

 今日は一日中久しぶりの小雨だった。

 福島第1原発の状況は、一進一退はあるものの、小康状態を保っている。一進は、5・6号機(定検中)の核燃料保管プール水がほぼ規定温度にあり、1・2号機の仮設ケーブル敷設が進んでいて、機器の点検に入っている、敷地内の放射線量が風向き、雨などの状況に寄り一時増大したが低下しているなどである。一退は、3号機で灰色の煙が発生した(2時間ほどで止む)、2号機建屋から白煙(水蒸気)が出た、などである。厳しい環境下での作業が続けられており、このまま改善の方向に向かっていくことを期待している。

 この影響がじわじわと及んで、福島・栃木・群馬・茨城で生産されたホウレンソウ・カキナ(初めて聞いた野菜で調べると、アブラナ科で菜の花のようなものらしい)と福島県産の原乳について、当分の間、出荷停止が指示された。暫定基準値を数倍超えた措置であるが、一方で、普通に洗って食べれば特に問題はないともいう。これが、他の食物にも風評が出ないように、各自節度をもって対応したい。

 地震・津波もなかなか被害の全容が分からない。昨21日18時現在の警察庁纏めによると、死者8,649人(前日より+372)、行方不明13,261人(同+539)、負傷2,644人(同+25)、建物被害127,642戸(同+8,348)となっていて、増加の一途である。

 避難所では、徐々に改善してきているが、場所によって支援物資の充足度に濃淡が極端にあり、観ていてやるせない。ガソリン・灯油なども改善方向だが、まだまだ末端までは時間がかかっている。そのようななかで、子供たちの明るい手伝いや多くの人々の協力がすばらしい。


地震10日目

2011-03-20 23:28:00 | 日記・エッセイ・コラム

 夕方から曇りがちになったが、今日も晴れた。

 9日(217時間)ぶりに16歳の男性と、その祖母(80歳)が救出された。自宅にいるとき津波で自宅が潰れて閉じ込められた。身動きできない状態だったが、そばに倒れた冷蔵庫があり、扉を開けることができてヨーグルトと水で忍んだという。やっとがれきの隙間から自力で脱出、屋根に上がった孫の助けを警察署員が聞き救助。祖母もがれきの下から無事救出した。奇跡的な救出に感動した。

 それにしても、本日18時現在の警察庁纏めによると、死者8,277人、行方不明12,722人、負傷2,619人、っ建物被害119,294戸に上っている。家族や親族が被災し、警察に届けが出されていないケースも多数あり、行方不明数はこれより多く、死者数も増える、とみている。また、避難所で亡くなる方も出てきている。

 福島第1原発では、3号機の原子炉格納容器内の圧力が一時上昇したが、圧力が安定したため容器内の蒸気を外部に放出することは見合わせた。冷却のための海水注入を増やしたためだったらしい。電源作業も進み、使用済み燃料棒保管プールへの注水も順調にできるようになって、山はひとまず越えたようだ。今朝未明の東京消防庁ハイパーレスキュー隊の3号機への連続注水に活躍した3人の隊長の記者会見の模様をTV中継で観ていて、アメリカ映画などの派手なシーンはないが、一つの仕事をやり終えた”男”たちの献身と気概と家族愛を感じた。また、現場で眠ることも食べることもままならない状況下で、命懸けで働いている人々の姿が目に浮かび涙が出て止まらなかった。


地震9日目

2011-03-19 23:50:00 | 日記・エッセイ・コラム

 朝は薄曇りだったが、昼前から快晴となった。

 今日は大きな転換があった。福島第1原発3号機には東京消防庁による注水が行われ、予定7時間を10時間ほどしおよそ1800トンが放水された。どの程度が使用済み核燃料プールに注水されたかは不明だが、その後の放射能は500μSvほど低下した。5号機も非常用電源を回復しそこから5号機のポンプを動かした結果、プール温度は20℃ほど低下した。1・2号機用の仮設電源ケーブル(約1.5km)も敷設されたようだ。この結果、1・2・3号機と5・6号機は鎮静化の方向に向かった。これにより明日は4号機への注水がされる予定だ。

 一方、福島県の原乳と茨城県のホウレンソウから食品衛生法の暫定規制値を超える放射性物質が検出された。政府発表によると、規制値はそれを年間平均消費量を一生食べ続けたときに健康に害を起こす量を計算し、それを下回る値(裕度をもって)を採用したものらしい。また、今回検出された量は原乳は年平均消費量を1年間食べ続けてもCTスキャン1回分程度、ホウレンソウに至っては同じく1年間食べ続けてもCTスキャン1回分の1/5程度という。厚労省は、「通常の日本人が飲食する量であれば、健康に影響は出ない」としている。でも、これで、風評が広がり大変なことになりそうだ。


地震8日目(地震後1週間目)

2011-03-18 22:42:00 | 日記・エッセイ・コラム

 今日も快晴の朝を迎え、またTVに釘付けだった。

 昨日いつも買っているスーパに電話で確認したら、今日から店舗内で販売を開始するとのことだったので、9:40頃地震後初めて出掛けた。ドアの前には100m近い行列ができていたが、10時ころに開店と同時にスムーズに店の中に入ることができた。しかし、品数は少なく、肉は全くなく魚も冷凍物や干物と切り身の塩鮭くらいだった。食パンと卵、トマトとレタスとともに、お供え用の菓子を買った。肉などの販売は月曜日(21日)からとのことのようだった。

 TVを観ていると、地震後1週間目の今日は14:46に黙祷が捧げられた。やっと、物流も動き始めだしたようだ。でも本当に必要な先まで届くのは時間がかかりそうだ。

 計画停電は(被災地の茨城のほぼ全域では除外されている)は、昨日は寒くて、暖房需要が多く予定時間帯ですべて行われた。首都圏の電車はかなり混乱したようだ。信号停電のために交通事故も起きている。

 福島第1原発では、3号機に地上からの給水が行われ、自衛隊の特殊消防車と米軍から借りた1台で、7回計50トンが注水された。少しは、冷却に寄与しているようだが、継続的な注水が必要だ。東京消防庁の遠距離大量送水車・屈折放水塔車など特殊消防車を使った連続的な海水注水方法も準備されているが、海水を汲み上げるポンプ車を設置する予定だった場所の崖が崩壊していて再検討している。一方では仮設電源を引き回して本チャンの冷却ポンプを使用した冷却システムを生かそうとしているが、高放射能環境下での作業は難攻している。厳しい作業にまさに”命を賭けて”いる人々の頑張りに頭が下がる。


地震7日目

2011-03-17 23:50:00 | 日記・エッセイ・コラム

 7日目も快晴の朝を迎えた。晴は空だけで、心は暗い。

 ブランチで食べている食パンとトマトは今日で最後となった。ピラフ・リゾットなどアルファ米で作られた山用の食べ物や缶詰などはまだあるので問題はない。が、いつも行っているスーパに電話して確認すると、今までは店頭で販売していたが、明日から店舗内で販売するとのことだった。店舗内の諸設備が復帰したのだろう。明日地震後初めての買い物で外出してみよう。

 山形市とひたちなか市に住む娘が心配しているので、環境放射能の測定結果をネットで調べ、それをExcelに纏め、その時系列推移をグラフ化した。データは文科省が都道府県別のものを取り纏めたものを使用した。

 本日も一日中TVで地震情報、福島第一原発情報を観て過ごした。地震は相変わらず道路事情・ガソリン不足で輸送に問題があり、避難所では、雪も降って真冬並みの寒さで、灯油も不足して大変のようだ。あらゆるものが不足している。原発は、3号機に自衛隊ヘリコプタによる空からの給水、また地上からは自衛隊特殊消防車による給水が行われた。前者は4回に亘って行われたが、NHKのTV中継で観る限り、使用済核燃料保管プールに効果的に給水するのは大変なようだった。後者は、警視庁の高圧放水車で試みたが建屋に届かず、自衛隊の特殊消防車による5回(台)に亘る給水が行われた。これらによって30トンほどの給水がされたようだ。よい結果が得られることを期待したい。


地震6日目

2011-03-16 23:48:12 | 日記・エッセイ・コラム

 夜中に小雨があったような痕跡が今朝あったが、今日も快晴だった。

 今日もどこにも出掛けず、一日中TVの前で心から被災者やその支援者に応援をした。ガソリンを使わず、食料なども買いに出掛けず、もちろん暖房なども使わない消極的な支援をしている、積りである。地震発生以来外出していない。

 被災地は雪が降り、真冬に戻った。支援物資がこのような被災地に届かないのは悲しい。主原因は道路不通とガソリン不足による輸送に問題があるとか。今日、陸前高田市の避難所にいた82歳女性が亡くなった。急性心筋梗塞だった。この地震で避難所で亡くなった初めての人となった。もともと心臓の病気だったが、集団生活でトイレもままならず、そのため水をもあまり摂らなかったこともあったようだ。一方、寒さのためにインフルエンザも発生しているようだし、感染症の心配もある。

 ガソリンの買いあさり、食料・生活用品の買いあさりで長い行列を作っているらしい。気持ちは分からないでもないが、”自分さえよければ”の根性がいやらしい。貧しい・乏しい中でも分け合い・助け合った我々の美徳を発揮したい。もちろん、それぞれに理由はあるだろうが、多くの人は流言飛語に踊って不必要なものや必要以上のものを求めているのではないか、と思う。

 福島第一原発の事故は、本日も有効な手だてが打てず1日を過ごした。現場で対応している人々の懸命な努力には頭が下がるが、何といっても決断が遅く、後手後手になっている。定検中の4号機で起きた事故(官房長官説明では”事象”だが)が、5・6号機にも起こらないよう今すぐにでも手を打つべきである。使用済み核燃料保管プールの温度が60℃に上昇しているとのTV報道があった。それにしても、放射性物質漏れについて、恐怖からか群集心理か、避難指示や屋内退避の人々の対応にもいろいろ混乱がある。この地域に向かった支援物資を積んだ車が途中で引き返したとか、この地域の住民がどんどん逃げているとのこととか。行政もそれをきちんと把握できていない。政府は、このような指示を出したのだから、出すだけではなくそれがきちんと適正で冷静な対応が守られるような手も打たねばならない。


地震5日目

2011-03-15 22:22:27 | 日記・エッセイ・コラム

 朝一で洗濯をして、干した。その後は一日中家の中にいて、一人暮らしの閉じこもり老人となった。

 一日中TVを観ていた。予想を超える事態が続々と展開している。東北地方の津波による被害も3千人を越える死者と1万を超える不明者が出ていて、避難所での人々も45万人に上る。これらの人々の中には食料も水も衣料も何もかも不足している。TVで観ていると、救助品の充足程度、すなわち支援の濃淡は避難所でかなり異なっているようだ。やはり、情報の悪さとガソリン不足、道路事情などによる違いなのだろうか? 心が痛む。

 福島第一原発1号機~6号機での問題も大きい。未だ”under conrol”に置かれている状況にはなく、当事者たちの懸命な努力がなされている。近隣の人々はもちろん、日本中・世界中の人々が心配している。この結果は今後の経済・環境問題にも影響が大きい。よい結末で終わることを祈るのみだ。

 その中で、75歳の女性が92時間後に20歳代の男性が96時間後に無事救助された。二人の頑張りと救助隊の懸命な働きに感激した。避難者やその家族・友人などの関係者や救助・介護などに携わる人々にとって長い5日目が終わる。