朝、7時過ぎ安来駅近くの宿で、起床。宿の朝食を食べ、8:02発のバスに乗り込み、広瀬町の安来市民病院に8時30分頃到着、下車。飯梨川(旧富田川)に架かる新宮橋を渡り、約10分強歩いて安来市歴史資料館に到着。脇の道の駅は10時から、資料館は9時30分から開館ということで、時間が早すぎたので入れず、先に月山富田城に向かった。小雨が降り続いている。
歴史資料間の前の道を南に進みと直ぐに月山への登山口が左にある。この御子守口から舗装道を左に入り進む。しばらくして左に鋭角に北に向きを替え山道に分け登ると千畳平に出る。隅には尼子神社があり、その脇を進む登ると太鼓壇に出る。ここには、山中幸盛(鹿介)公祈月像の大きな像が建つ(昭和53年7月17日)。さらに進むと奥書院平があり、ここには、広瀬町戦没者慰霊塔(昭和43年10月)の大きな塔が建っている。
さらに進むと花ノ壇に出る。現在は南の端に2棟の建物が建っており、主屋と侍所を復元したもの。ここは、監視所であり、防御の兵士が待機する場所と考えられる。さらに進むと、御殿平というところに出る。ここは、山中御殿跡で、富田城の御殿があったところと伝えられる。周囲を石垣や土塁で囲まれた広い曲輪で、南北には虎口が存在し、石垣の櫓台も残っている。菅谷口・塩谷口・大手口と3方からの通路の終点となっていて、これから先(上)の三ノ丸から本丸に続く要の曲輪である。
ここから、七曲坂と呼ばれる九十九折の山道を登ると、三ノ丸に着く。途中、親子観音がる。これは、慶長12年(1607)に富田城内で起こった堀尾家御家騒動の張本人、堀尾河内守とその一子掃部の霊を祀った宝筐印塔である。さらに登ると、山吹井戸を経て尾根に取り付き、そこが三ノ丸である。段状に石垣が積まれ、その段の上は武者走りの役目があったのではないかと思われる。何故か石の鳥居があり、標高およそ186mであった。その南には約4mほど高い位置に二ノ丸が続き、休所が1棟設けてある。ここは、戦時に飲み水や食物を貯蔵するための建物だったと考えられており、それを復元したものらしい。ここから南は、深さ10mほどの空堀(堀切)を隔て本丸がある。
本丸はニノ丸と三ノ丸をあわせたくらいの広さがあり、北西から南東に細長い。本丸のほぼ中央東北部には山中幸盛の記念碑(明治44年12月建立)がある。さらに、奥の少し高くなった場所には城の守護神社である勝日高守神社が建っている。本丸からは東北に京羅木山、北方向に中海が見える。
本丸から山中御殿まで往路を引返し、そこからは、西北部の大手門口を抜け、谷筋に舗装道路を北に歩いた。途中には田んぼの向う尾根麓には曲輪跡とも見える土塁が点在している。間もなく、往路で千畳平に分け入った道の分岐に出る。ここからは、また往路を戻り、安来市立歴史資料館に11時50分少し前に戻った。
資料館の前のバス停の時間を見ると、この月山バス停発12時41分だったので、早速200円の入館料を払って観覧。係りの男性と色々話を聞かせて貰い、山陰の城館跡を纏めた資料をも戴いた。2階の展示場は時間が来てしまったので途中までで全部は見ることができなかった。担当の男性の方には色々お世話になったが、名前を聞き忘れてしまった。
13時15分安来駅に到着、今年4月に出来たばかりの駅舎の中にあるレストランで、おいしいビーフシチューカレーとコーヒーをゆっくり戴いて、色々お世話になった駅舎内の案内所にお礼を言って14:17やくも20号で岡山駅へ、同駅16:49発のぞみ38号、上野駅発21:00スーパーひたち63号で水戸駅着、タクシーで帰宅。長い、充実した1日が終わった。