日中は33℃を超える酷暑が続いているが、夜外に出てみると虫の鳴き声が喧しい。それに、空気が少し涼しげで気持ちがいい。まだ、日中の暑さは続くらしいが、確実に秋は近づいているようだ。
明日からは9月。早く涼しくなってほしいものだ。そうすれば、せっせと車中泊旅行と山行に出掛けたい。
日中は33℃を超える酷暑が続いているが、夜外に出てみると虫の鳴き声が喧しい。それに、空気が少し涼しげで気持ちがいい。まだ、日中の暑さは続くらしいが、確実に秋は近づいているようだ。
明日からは9月。早く涼しくなってほしいものだ。そうすれば、せっせと車中泊旅行と山行に出掛けたい。
BSHiで世界の名峰への招待「グレートサミッツ」を見ている。この放送は以前あったものを再編集してスタジオに色々なゲストを招いてのもので、登山の面白さ、大変さ、登山の歴史、撮影の工夫、山と文学などをも解説しながらのものだ。
低山が主で、たまに日本の高い山に登るくらいで、とてもグレートサミッツなどお呼びでない小生にとっても、綺麗な映像が楽しめるし、困難さ・苦しさ・そして達成感などが伝わってきて、何度見ても感動する。
山はいいものだ。この3ヶ月間、山行はおろか何の運動もしていないで、毎日机の前に座って過ごしている。暑さも和らいだら、また低山へせっせと出かけようと思った。
いつもは8時頃に起き、雨戸を開け、仏様にコーヒとお饅頭をお供えする。そのとき、同時に自分にもコーヒを淹れて前日お供えした饅頭を下げて戴く。これが朝食と言えばいえる、かも。その後は新聞を読んで、前日の株価・為替・投資信託の情報をチェックして一部を記録する。
その後、ブランチを食べるが、それを造って食べ終わるまで約1時間掛かる。メニューは毎日同じでトーストサンドとサラダにコーヒである。左の写真は、いつもと同じ本日のブランチである。
8つ切り食パンを2枚にそれぞれの片面にとろけるチーズを載せて両面を同時にオーブンで焼いて、それにフライパンで焼いた燻製ウィンナ3本・野菜入り薩摩揚・といた卵をフライパンに広げその中央にシラス干あるいはカチリ干(そのとき手に入る方)を載せて、卵でとじるように食パンの大きさに四角にしたものを食パンに挟んでサンドウィッチにする。サラダは、皿に大盛りのサニーレタスとトマト1個。コーヒは通常のコーヒカップの倍以上はあるマグカップ1杯。
このブランチは、ボリュームもあり、栄養価も高いブランチと自負しており、しかも美味しい。毎日食べても飽きない。ブランチを食べ終わる頃、ほぼ12時になる。大抵はこれが小生の午前中の生活パターンである。楽しいといえば楽しいし、寂しいといえば、寂しいものだ。テレビは朝起きて点けたままで一日中流れている。
愛宕塾の仲間と10時県庁11階に集合し、そこで開かれている第2回茨城県写真愛好家協会の写真展に出かけた。吹き抜けのアトリウムなのか、それともエコのため温度を上げているのか、中は冷房の効きが悪く暑かった。
45作品を鑑賞したが、愛宕塾のメンバーはこの中から一つについて感想文を書かなければならない。次回愛宕塾でその感想文を提出することが今日の宿題となった。
それぞれが、あおちこちに出かけての撮影のようで、小生の知らない場所・お祭りなどバラエティがあって、写真展はおもしろかった。この中から、どれか一つを決めて感想文を書くとなると、もう一度写真を見に出かけなければならない。きょうは、ざっと見ただけで感想文が書けるほどには見ていない。
終了後は2階の食堂でカフェテリア形式の昼食(小生にとってはブランチ)を摂って帰宅。
今日も朝から暑い。今日のブランチはファミレスで摂ることにした。10時少し過ぎに家を出て、直行。いつものメニューを頼んだ。ここは涼しくて、ドリンクバーでコーヒは飲み放題だし、おまけにウィークデーはスープもあるので、気に入っている。今日は、前回きたときに貰ったアイスクリームの無料券を使うことができた。この快適な環境で、山本一力著「江戸は心意気」を読み終えた。この本は気軽に読めて、今の世に失くしたものを掘り起こし、日本人の心を取り戻させてくれる。
店が混みあう12時前に出て、久しぶりに本屋に寄った。今日は旅の雑誌1冊と、城の雑誌1冊、それに江戸城関係の本2冊買った。旅の雑誌は、今年10月に亡妻の父親の三回忌に岡山に帰るとき、ついでに1週間-10日間ほどかけて山陰を廻ってくるつもりなので、その計画検討のために買った。鳥取城・津和野城・萩城をめぐりたいし、大山にも登ってきたい。
この3日間ばかり暑さも少し和らいだ(西日本は相変わらず暑い)と思ったが、今日はまた暑さが戻り35℃ほどだった。これから、今日ほどでないが、またしばらく30℃超えが続くそうだ。
3週間ほど前からお風呂のお湯用の蛇口から漏れて、糸を引く程度になった。本来はその蛇口の手前に元栓があって、それを閉めて分解する。その元栓は風呂の凹みの中に入っているが、それの目隠し用蓋のねじ頭のプラス溝がむしれてねじ回しが利かず、あけることができない。 今回も已む無く前回同様、外にある水道メータの先にある元栓を締めて作業をした。
この栓のコマを替えるのは、記憶では、3,4回目だが、今回の損傷程度は一番ひどい。ゴムがむしれてしまっている。糸を引くように流れるの当たり前だ。ポタポタと漏れると、一層きつく閉めるのでますますゴム部がむしれて損傷し、ひどくなる。写真を撮っておこうと気付いたのが取り替えた後だったので、新品の方の写真を撮ることができなかった。新旧を並べて撮るとその違いがよく分かるのに、残念だった。
8月17日から始まった公開講座が本日終了し、各自修了書が手渡された。
と、いっても受講が終了しただけで、これを活用するも・これで終わりとするも、各人のこれからの努力しだいと言うことになる。色々と勉強になったが、やはり使いこなせるまでには相当の時間が必要であろう。すぐに忘れる年頃なので、”しこしこ”まずは面倒くさがらずに使うしかあるまい、と思う。
本日は、Twitterの勉強をした。やってみると、おもしろそうだが、フォローする人・トピックなどをどうするかなど考えてしまう。そんなにはこれに時間を掛けられないので・・・・・・
講座終了後、キャンパスにある、手入れの行き届いた枝振りのよい百日紅の木の前で、講師の先生方と受講生の集合写真を撮って解散した(帰宅後、全員にメールに添付して送付)。
Good Luck!
本日はWikiの講義と演習。
講師の先生作成のグループ内に設けた@Wiki(atwiki)にページを作成。個々のページと、きょうどうのページ内にそれぞれのページを作成。それに、色々なプラグインを組み込んで演習した。
しかし、これはWikiだけあって誰でもが勝手に編集できるので、今のところ使うつもりはない。気心のしれた仲間のうちでの中では使用できるかもしれない(例:論文、企画書などの作成・校正など?)。それでもメールやBBSが勝手に編集されないし、その経緯が残るのでいいように思う。とにかく、小生のやっている作業の中では、今のところ使い道の見当がつかない。
講座を受けているのは教育学部附属教育実践総合センター・情報演習室で、Windows7 Professional搭載のHP機20台が並ぶ部屋で、6人が受講している。PCのためのエアコンも効いていてこの暑さでも快適に受講させて貰っている。この建物はさほど新しくないが、周りの文学部A/B/C棟は4階建てで立派なものだ。耐震構造にもなっている。ここで数日前から教員更新講習が行われているようで、多くの教員が参加していて、駐車場はいつも満杯である。
帰りにいつものガソリンスタンドで58.99?を満タンにして帰宅。今日は、昨日よりさらに暑さ和らぎ、過ごしやすかった。
明日は最終日でtwitter。
今日は僅かだが、今まで続いた暑さが少し和らいだ。土用もとうに過ぎたのでこれで少しは涼しくなって欲しい。
講座の方は中日となり佳境に入ったと言うべきか?!今日はmixiを勉強した。gmailアドレスを使用して会員登録をした。受講生のメールアドレスを交換してメールの送信をして友人登録。最期に日記に入ったが、小生はすでに使用している本Blogをリンクして日記に代えた。自分のmixiを見ると、このBlogの更新(追記)記録が一覧表になっていた。(左は熱心に取り組む受講生:クリックすると大きくなります。本文にもどるときは、ブラウザの戻る(←)ボタンをクリックして下さい)
明日は、wikiの勉強だそうだ。
今日はBlogの作成がテーマだった。小生はすでに本Blogを持っているが、課題はAmebloを用いて行うものだった。
作成したBlogはこちらである。やはり、初めて使用するためにメニュー(ファンクション)が異なるので、少々戸惑ったが使っているうちに慣れるであろう。でも、これは、課題をこなすためのもので、今後利用することはない、・・・・と思う。
受講者各人も銘々のBlogを作成することができた。
明日はMixiの勉強となる。
本日から21日(土)までの5日間、13:00~16:00の間行われる「新しいインターネットの利用法」(講師:本田教授)という一般公開講座である。”新しい”という言葉に引かれて受講を決めた。楽しみである。
本日は初日で、アンケートに回答した後、新しいインターネット(Web2.0)の説明とGメール登録、BBSの演習まで行った
明日はアメーバブログ(アメブロ)だ。
平成22年度(第27回)水戸学講座の1日目を受講した。10:00~11:40、常磐神社で講師は水戸市文化財保護審議会会長の宮田正彦氏。演題は「家臣への手紙から」で、烈公が出した家臣への17通の手紙を紹介しながら、烈公の人となりを解説するものであった。テレビなどで出てくるそれとは異なる烈公の姿がよく分かる。本日は烈公薨去後150年に当る(旧暦だが、万延元年(1860)8月15日享年61)。
最初に、諡である烈の由来の説明があった。烈は厳しいという意味ではない。手紙を読んで感じることは、大藩の藩主にも関わらず、生活のこと、健康のこと、仕事むきのこと、人情などのことなどもよく知っており、具体的細やかな心遣いをしていることに驚いた。