つれづれ日記

~認知症に備えて~
(H26/11/21geocitiesから"goo"に引越)
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悠々旅行(8・9日目):徳島・津田港からフェリー帰宅

2009-05-31 13:13:00 | 旅行記

 5月28日携帯から予約した東九フェリーの津田港に向かう。11時30分発でその1時間前に行けばよいので、朝はゆっくりとでき10時にチェックアウトした。

 津田港では乗船者は少なく、今日は土曜日で高速一律1000円が聞いているようにも思った。その中で、小生の車(写真一番手前。雨にぬれたザックを車の後で日干し中。待っている車はせいぜい10台ほど)の他に水戸ナンバーの車2台(いずれも小生と同じ単独)を見つけたので話しかけると、1人は北茨城の人で、1ヶ月ほど掛けて西日本の百名山を登って帰るところという。中国・四国・九州の全百名山、屋久島で宮之浦岳にも登った由。うらやましい! もう1人の方は鹿嶋の人で高知に帰省した帰りとか、だった。 00mycar

 11時30分霞んでいたが太陽の降り注ぐ中を予定通り出航、予定通りの翌31日朝5時40分東京有明着で、18時間もの長いじかんだった。夕食に食べた冷凍にぎり寿司のせいか気持ちが悪くなって吐いた。早目にベッドに入り就寝した。早朝起き、富士山が見えるかと思ったが真っ暗闇でおまけに雨のため煙っていて全く視界はなかった。東京湾に入っても暗く視界はほとんどなく、到着間際に若干空が白んできた。

 6時前には下船、そのまま小雨の中、高速に載って常磐道、友部JCTから北関東道に載って茨城東ICで降り、自宅に着いたのが丁度7時だった。本日は日曜日なので高速は空いているかと思ったが、1000円高速代のせいか、結構な車が走っていた。

 帰りはフェリーを利用したので、トータル走行距離は1,490.5kmだった。


悠々旅行(7日目):西日本第2位の高峰剣山

2009-05-29 23:31:00 | ウォーキング

 9時から運転されるリフトにあわせ8時50分民宿駐車場を歩いて出る。15分のリフトからはシャクナゲが綺麗に咲いているのが見えた。遊歩道コースから御神水・大剣神社を経由して大剣コースに合流して剣山(1955)山頂に立つ。ガスに覆われ眺望はまったくなく、おまけに強風があって身体はすぐに濡れ、眼鏡も水滴が着いて見えなくなる。強風でガスが切れるのを40分待って瞬間ガスが切れた間から南西にある次郎笈の尾根を見ることが出来た(写真)。14jirougyu

 剣山頂上ヒュッテに戻り昼食をとって経塚森、二の森、殉難碑、一の森などを縦走して花畑、穴内川源流の谷、古剣神社、刀掛の松を周回してリフトに載って見の越に降り、民宿の駐車場に戻った。この間、ガスの中、山中を歩いただけの印象で残念だった。昨年は墓参のついでに四国一周をして城めぐりをし、途中石鎚山に登ったが、そのときの快晴を思うと、一層残念に思った。

 16時丁度に民宿を出発、昨日来た道を美馬まで引き返し、美馬ICから徳島道に載って徳島IC下りた。市内は渋滞で時間を要したが、18時10分ネット予約していたビジネスホテルアヴァンティにチェックインした。


悠々旅行(6日目):墓参と徳島・剣山麓へ移動

2009-05-28 22:57:00 | 帰省

 今朝、大阪にいる息子が墓参にくるので、最寄の笠岡駅まで迎えに行く。これで、今回の墓参者が揃い亡妻の両親、小生、その長男と二女(どちらも独身)の5人で、エクストレイルに載って出かける。途中でいつもの店でお花を買う。お墓は高台にあり見晴らしがよい。昨年の墓参りのときよりは墓が増えているような気がした。

 亡妻の実家に帰り一休みして、娘が水戸に帰るので笠岡駅まで送り、そのまま小生はお世話になったいとこ(小生の父の姉の息子)の家に行き、その人の亡妻にお線香をあげ、近くのすし屋でお昼をよばれ、自家菜園で作ったたまねぎを貰って13時頃出発した。途中コンビニでタバコを買い、ガソリンを満タン(42.76?)にして笠岡ICより山陽道に載る。

00setooohashi  瀬戸大橋の途中にある与島SAで景色を眺めようと休憩したが、小雨が降り続いているため見晴らしは利かない。

 坂出ICで高速を下り、国道438を南下美馬を経由して貞光から一宇に入ると、国道と言うものの道は狭く曲がりくねってきた。おまけに雨と一面のガスで視界が数10mと全く悪い。平家伝説のある地方らしく、どうしてこんなところに住むのだろうかとさえ思った。途中ガスが薄くなったとき鳴滝や周りの山を撮影しながら、美馬から1時間20分ほどで、ネット予約していた見の越にある民宿「まつうら」に着いた。早速チェックインするが、未だストーブには火がついていた。


悠々旅行(5日目):安土城と観音寺城

2009-05-27 22:41:00 | 

00aduchijyo  滋賀県立安土城考古博物館とその近くに立つ安土町立安土城天主信長の館をじっくり見て廻った後安土城址駐車場に車を入れた。予想より広い城址に天下統一の拠点とした織田信長の思いが伝わる。標高約197mの安土山に築いた山城は現在石垣・曲輪跡しか残っていないが、近世城の始まりともいわれ、天守(安土城の場合は天主という)が始めて造られたともいう。入口正面から伸び上がる石段(写真)は両脇の側溝を含め10m近くになる。二の丸跡には、秀吉が建てた信長公本廟がある。

00kannonjijyo  13時30分に安土城址を出て、有料道路を通り観音正寺駐車場に駐車。手摺に西国33番札所(観音寺は32番札所)に因み33のことわざを書いた短冊がぶら下がった石段を登る。そこに現在観音正寺が建つ。この標高約433mの繖(きぬがさ)山の南腹に曲輪を配し、家臣や国人領主の居館を配置した。観音寺城は六角氏の居城であったが、永禄11年(1568)信長が足利義昭を擁して上洛の大軍を起こしたとき六角氏は敵対した。このため信長は支城の箕作城を猛攻、そのすさまじさに六角氏は観音寺城を捨てて逃げ、城は無血開城さた。以後廃城となった。現在は、石垣・曲輪が残っているだけである。

 15時過ぎ観音正寺を出、途中コンビニでパンと牛乳でお昼を済ませ、八日市ICで名神に載り吹田JCTで中国道、神戸JCTで山陽道に載って、途中吉備SAでお土産を買って笠岡ICで下り、妻の自宅に18時30分に到着した。本日朝水戸を発って、新幹線「のぞみ」で1人で来る予定だった娘は既に着いていた。


悠々旅行(4日目):名古屋城と岐阜城

2009-05-26 22:26:00 | 

00nagoyajyo_2  予定通り朝昨日と同じ二の丸東駐車場に車を入れ、城内に入る。9時開場に合わせ入ったので、まだ早いせいか人出はなかった。時間が経つにつれ人出は多くなり、韓国語・中国語もよく聞こえるようになった。名古屋城は、慶長15年(1610)、家康第9子の義直の居城として天下普請で築城開始、同19年(1614)に完成した。大坂城への備えとして造られた名古屋城は江戸城、大坂城に次いだ城の大きさであった。明治の廃城令にも拘わらず旧国宝24棟はじめ多くの建造物が残存していたが、先の大戦により昭和20年(1945)5月14日のB-29 の焼夷弾により天守を含むほとんどの建物を焼失した。現在、本丸辰巳櫓・未申櫓・南二之門、旧二の丸東鉄門(現在本丸東二の丸門跡に移築)・西鉄門二之門、御深井丸戌亥隅櫓の6棟のみが現存、天守・小天守は昭和34年(1959)鉄筋コンクリートで再建された。名古屋城天守(5重7階地下1階)は現存天守で最大の姫路城天守の3倍以上の容積を持つ。

00gifujyo  4時間を掛かって見回ったが、本日はこれから岐阜城に行き、夜は琵琶湖東岸近江八幡で泊まる予約をしているので、高速に載り岐阜に向かった。岐阜市内吉野家で牛焼肉定食の昼食を摂って岐阜公園駐車場に入れた。麓の居館跡辺りを見て廻った後、ロープウェイで山上に上がり、そこから山道を登って天守を訪れた。

 永禄10年(1567)斉藤龍興から奪取した織田信長は、稲葉山城の縄張りを破却し新たに岐阜城とし造営。信長は安土城に移るまで、金華山山麓の居館に住んだ。織田信長の孫秀信が入っていたが、慶長5年(1600)関ヶ原の戦い直前に東軍に攻められ落城。戦後家康の娘婿松平信昌が入るが、直ぐに居城を加納城に移し廃城。現在は石垣・堀・曲輪などが残る。昭和31年(1956)7月25日鉄筋コンクリート3重4階建ての天守が復興された。

 岐阜市内でガソリン満タン(56.96?)して、岐阜各務原ICで東海北陸道に載り、名神道に入って八日市ICで下り、事前にネット予約していた近江八幡市内のビジネスホテル西ノ庄に泊まった。


悠々旅行(3日目):長篠城と名古屋城

2009-05-25 22:32:00 | 

00nagashinojyo_5  浜松のホテルを発って国道257を北上し新城市へ向かい長篠城跡を観察した。寒狭川と宇連川の合流する三角地点の断崖上に本丸跡があり、それを囲む曲輪や空堀跡が残る。しかし、城内をJR飯田線が分断している。天正3年(1573)長篠の戦の際、家康家臣奥平貞昌(信昌)城主のとき武田勝頼軍が城を包囲したが、落城寸前で織田・徳川連合軍が救援に駆けつけこの城を死守した。そのときの鳥居強右衛門の話でも有名な城である。

00nagoyajyo  長篠城からは国道151を通り、途中設楽原歴史資料館に寄って見学後、豊川ICで東名に載って名古屋に出た。名古屋城二の丸東駐車場に入ったのは15時30分だった。城内に入って見るには時間が足りないので、本日は、外堀を一周し観察するだけにし、城内へは明日入ることにした。

 夜は、ネット予約していた名古屋笠寺ワシントンプラザホテル宿泊。


悠々旅行(2日目):掛川城と浜松城見学

2009-05-24 22:26:00 | 

00kakegawajyo  静岡ICから掛川ICまで東名を通り、掛川城に到着。総構えの城でその堅固さと美しさから「東海の名城」と謳われた。現在は、嘉永7年(1854)の大地震で倒壊後、安政2年(1855)から文久元年(1861)にかけて再建された二の丸御殿と太鼓櫓が残る。平成6年(1994)に木造復元された3重4階の天守が聳える。

00hamamatsujyo  再び、東名に載り、浜松ICで下り浜松城に向かった。浜松城は、家康の飛躍の城でもあり、江戸幕府の重職に就く登竜門となったことから「出世城」といわれた。家康は29歳から45歳で駿府城に移るまでの17年間在城した。現在は石垣・曲輪の一部しか残っていないが、昭和33年(1958)に鉄筋コンクリートで3重の天守が模擬復元されている。

 夜は、ネット予約していた浜松市内のホテル明治屋で宿泊。


墓参兼悠々旅行(1日目):富士山と駿府城

2009-05-23 22:59:00 | 

 毎年この時期は亡妻の墓参りに岡山に帰る。今年もこれを利用して、悠々旅行をすることにし、城めぐりと山登りをすることにした。

00fujisan  今日は、初日で茨城町東ICで高速に載り、常磐道、首都高、東名道を通り富士川SAで富士山を見、昼食をとって静岡ICで下り、駿府城に向かった。

00sunpujyo  家康が今川の人質となっていた城であり、将軍を秀忠に譲った後隠居城としここで亡くなった城でもある。現在は、堀・石垣・曲輪しか残っていないが、平成になって二の丸東御門と巽櫓が木造復元されている。

 夜は、ネット予約していた市内の静岡キャッスルホテル佐乃春に宿泊。


植木剪定

2009-05-19 20:16:00 | 

H21519  今日は、山仲間の知人に、西側にある和室の庭の剪定をして貰った。そのうち自分でしようと思いつつ年月が経って、屋根を超すほど背が伸び過ぎて自分ではとても出来なくなった。

 知人1人で、小生が手伝いをしながら、1日で剪定が終わった。さすが高所作業のプロで、とても高所恐怖症の小生には無理だった。最後には、折角だからと屋根上にまで上がって貰い、長年の樋の掃除までして貰った。植木も屋根もさっぱりして、いい雰囲気になった。


鼻曲山トレッキング

2009-05-17 23:36:00 | ウォーキング

 05hanamagariyama_2 アウトドアーショップWILD-1主催のイベントで出かけた。バスの出発時間の連絡手違いで15分ばかり遅れて出発。9時45分登山口である二度上峠に到着。生憎の小雨が降る中を早速準備の上出発。氷妻山(1467.4)を10時50分に通過、途中何回か休止を取りながら12時8分鼻曲山(1655)到着。雨のため小生は腰をおろさず、立ったままで昼食を取った。数百m先の大天狗まで行くが、ガスで展望は全くない。

 30分ほど過し、南西の軽井沢ふれあいの郷に下山。千ヶ滝温泉を1時間強楽しんだ後、帰水。


生瀬富士ハイキング

2009-05-14 22:04:00 | ウォーキング

09fukurodanotaki  本日は山仲間の月例会で仲間20人の大部隊で生瀬富士に行った。新緑も濃くなっており目を楽しませてくれた。袋田の滝を、高所恐怖症の小生は足がすくみながら、上から眺めることができた。水量もほどほどにあり、周りの緑に映えた白い筋が印象的だった。キンラン・ギンランやフタリシズカの花にも遭えた。

 帰りには関所の湯に浸かり、すっかり寛いで帰宅した。


5ヶ月半振りの映画:Red CliffⅡ

2009-05-07 18:15:09 | 日記・エッセイ・コラム

 昨年11月にRed CliffⅠを見てから5ヶ月振りに、本日その続編であるRed CliffⅡを見てきた。

 前回同様に大音響に圧倒された。もう少し、音量を落としてくれたらと思うほどだった。この映画の核心部である赤壁の戦いが主なシーンは、VFXの見事さもあって、すごい迫力だった。昔読んだ三国志を久しぶりに思い起こし、また読み返してみようと思った。


高鈴山山行

2009-05-01 23:21:00 | ウォーキング

 腰の痛みが改善して、いつもある痛み程度にまでなった。

 今日は1日で、毎月1日の日はよく行っている温泉宿の岩盤浴・温泉入浴料が半額になる日である。そこでこれを楽しむことにしたが、これだけでは勿体無いので、ついでに山へも登りたいと思った。いつもなら鍋足山だが、今回は高鈴山を選び、今まで通ったことのない西からのルートとし、周回することにした。途中では、地形図と実際の地形との比較をしながら、読図訓練も行いながら、10kmの爽やかなコースを楽しんできた。

 帰路には、もちろん「中野屋」で岩盤浴と温泉入湯、それに里美のジェラートを楽しんだ。