つれづれ日記

~認知症に備えて~
(H26/11/21geocitiesから"goo"に引越)
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昼食会(第13回OC4人会)

2018-06-04 20:53:54 | OC4人会
 昨年はOC4人会は開催なかった。一昨年(1日目はこちら、2日目はこちら)以来の2年ぶりの開催となった。これまではほとんどが旅行だったが、今回は東京の会社施設「神田クラブ」での昼食会だった。

 12時から14時の間2時間、最近の出来事や気になる社会の風潮・動向などいろいろと積もる話をしてお開き。
本日の昼食:ごちそうでお腹一ぱいになった

 往路は個々に神田駅から徒歩で、帰りは4人一緒にタクシーで東京駅に出て、そこからは銘々に帰った。小生は特急で帰水。

秋の信濃路旅行(第12回OC4人会旅行)第二日目

2016-10-28 23:55:24 | OC4人会
 他の2人は7:30頃に起きたようだったが、小生は7:45頃に起床。8:20頃、朝食の準備された1階に降りて和食の朝食を摂る。
朝食はこの他に焼干物の魚とお味噌汁
 小生は酒を飲まないので、基本料金通りの宿泊料(1泊2食¥24,450)をカードで支払い、玄関先で3人の写真を撮って9:35旅館の車で中津川駅に送って貰った。空はどんより曇っていて、予報では昼前ごろから一日中雨となる、と。

 10:15中津川駅発北恵那交通バスで馬籠に10:40到着(バス代¥570)。バスには外国からの旅行者20人ほどが同乗。馬籠では既に雨が降っていた。馬籠宿を通る中山道の南西から石畳の坂道を上った。以前平成19年9月28日に水戸天狗党の跡を訪ねて妻籠・馬籠などに来たことがあり、今回は9年ぶりということになる。記憶は大分薄れているが、思い出すことも多々あった。馬籠宿本陣(藤村記念館)は今回は入らなかった。宿場の東北端の高札場と展望台まで上がった。生憎雨のため展望台からの雄大な百名山「恵那山」は雲の中で全く見えなかった。
   

 上った同じ坂道を今度は下った。雨に濡れているので、滑らないように神経を使った。予定より早く次の妻籠に行くべく、予定ではバス移動を考えていたのだが、タクシーで移動することにし、待っている間に馬籠館内の「茶房 籠」でコーヒ(¥430)と、五平餅(串に3個ささったものが2串で¥300、をれを2人で分けたので、¥150)を食べながら待った。

 雨が激しくなった中、12:15頃馬籠を出て12:35頃妻籠宿に到着(タクシ代¥3,600を3人で割って一人当たり¥1,200)。家の間の狭い路地を上って妻籠の町並の続く中山道にでる。桝形跡付近から北に進み、観光案内所の北側を右に旧妻籠小学校へ向かう坂道を登と、学校の手前に長野県天然記念物の「妻籠のギンモクセイ」を見て、また中山道に戻った。上町から北に進み、妻籠宿本陣、脇本陣奥谷など中町を通って、さらに北に進んで下町から高札場まで進んだ。そこで引き返し、下町から西に第1駐車場に向かう細い道への分岐にある手打そば屋の「吉村屋」で山菜そば(¥1,080)の昼食を摂った。ほかの二人はそばがきを食べた。
     
上の写真は左から、桝形、妻籠宿町並、妻籠宿本陣、脇本陣奥谷、正面奥に高札場、昼食として食べた山菜そば

 第1駐車場でタクシーを呼んで降りしきる雨の中14:15妻籠を出て、南木曽駅に14:20到着。時間を早めたので、予定では南木曽駅発15:56発しなの6号に乗ることにしていたが、14:42南木曽発普通電車に乗って15:14中津川駅到着。
 中津川駅ではしなの6号は16:08発となる。実は小生はいつも乗り継ぎ前の電車が遅れた時を想定して乗り継ぐ電車は1列車遅らせて予約することにしている。ジパングの切符では、1回しか変更ができないので、予定通りに着くとみどりの窓口で前倒し変更することにしている。そこで、この中津川で名古屋から東京の新幹線列車を1時間前倒しに変更した。それでも、まだ中津川で時間があったので、にぎわい特産館で娘へのお土産用に栗きんとん6個入り(¥1,500)を購入した。
 中津川駅にしなの6号は遅れて到着し8分遅れの16:16出発。同じだけの8分遅れの17:09名古屋駅に到着した。名古屋駅では駅弁「特撰名古屋」(¥1,100)と静岡茶(¥134)を買って、17:34発のひかり476号に乗り込んだ。

 19:40分東京駅着。やはり1時間遅く出る水戸駅への座席を取っていたのを19:53出発に変更しようとプラットフォームにある自動発券機で確認すると、その列車は満席となっていた。そこで、その電車で上野まで行って、上野駅の発券機変更したい座席指定券を入れて白べっると、当初から取っていた1時間後の列車しか画面に出なかった。東京駅発19:53発は上野駅では、20時発それは満席だった。そこで上野発20:15か20:30の列車が取れないかと見たが、これらの列車は画面に現れなかった。やむなく最初から購入していた上野駅発21:00ひたち29号にのるしかなく、駅構内の本屋で1時間ほどの立ち読みで時間を潰した。
 22:09水戸駅着。駅南からタクシー(¥1,180のとこお¥1,200渡した)に乗って22:25頃無事帰宅。水戸でも雨は降っていた。

秋の信濃路旅行(第12回OC4人会旅行)第一日目

2016-10-27 23:55:16 | OC4人会
 それまでの年2回と変わって、昨年から年1回の旅行となった。今年は、1人が体調不良で初めて3人の旅行となった。次回からいつもの通り4人での旅ができるように、早い回復を祈っている。

 今朝は雲一つない快晴。家から300mほどのバス停から6分遅れでやってきたバスに乗って(¥200)、11分後に水戸駅北口に9時15分に到着。いつものように、水戸黄門様一行に挨拶をして、この度の無事をお願いした。駅構内のマックでチキンクリスピーマッフィンとコーヒ(会わせて¥200)をのんびりと摂った。
  
 水戸駅9:53発の特急「ときわ70号」に乗車、11:13予定通り東京駅に到着。「深川めし」(¥980)の駅弁と「静岡茶」(¥134)を買って、11:33東京駅発の「ひかり511号」にの乗り込んだ。いつものように富士山が見えるようE席を取った。

 でも小田原辺りより雲が空に広がって、結局富士山は見えなかった。結局今年はまだ直接富士山を見ることができていない。

 名古屋駅に予定通り13:17到着。中央線のプラットフォームで電車を待っている間に、同行の2人に会った。別々の場所に住み別々に名古屋駅まできて、名古屋駅から同じ電車に乗るが別々に予約してきたのでここで、今回初めて会った。でも予約を各自でしているので、座席は別々だ。

 14:00名古屋駅発「しなの15号」、14:49中津川駅に到着。駅前に「栗きんとん発祥の地」なる石碑が建っていた。ここは、栗きんとんで有名な街らしい。歩いて中山道歴史資料館を見るため駅前の大きな通りを南東方向に向かい、新町の交差点を右に曲がり中山道に入った。すぐ左手には栗きんとんで有名な「すや」があり、そこで今回来られなかった友人のために栗きんとんを宅急便で送った。さらに真っ直ぐ進んで、四ツ目川を渡ってすぐのところの「中山道歴史資料館」に入った(入場料¥320)。内部展示物は撮影禁止。
 中で驚いたのは、市岡殷政(長右衛門)氏や間半兵衛(秀矩)氏などの資料があったことだった。小生は歴史が好きで、水戸天狗党のことも学んでいて、天狗党の西上の際、元治元年(1864)11月27日には中津川宿の本陣で逢っている。ここで、道中奉行の横田藤四郎(祈綱)が和田峠で戦死した三男藤三郎(元綱)の首を渋紙に包んで「見知らぬ土地に埋めるのは不憫」として持ち歩いていたのを藤田小四郎などが国学者の市岡に頼んでいる。市岡は同じ国学者の間、肥田九郎兵衛(通光)とともに市岡家の墓所に埋葬した、この市岡、間氏などの名前をこの資料館で発見して感激した(水戸天狗党の上記件などには特に記載はなかったが、このときの市岡、間などがこの中津川で資料館に展示されているのに驚いた)。資料館員のおすすめもあってすぐ脇に一部復元されている脇本陣をみて、中津川駅に戻った。


 16:00に迎えにきた今夜泊まる栗本温泉料理旅館「藤」のワンボックスカーに乗り込んで、16:20旅館に到着した。17時過ぎ頃から3人揃って風呂に入って、18時頃から別の部屋に準備されていた夕食を摂った。今夜のメニューは「吾亦紅」となっていて、目玉は松茸料理のようだった。
  

 21時過ぎ頃になって、お姉さんたちが片づけ始めたので部屋に戻った。部屋に戻ると、布団が敷いてあった。小生は、部屋の電気ポットでお湯を沸かし、持参してきたドリップ式のコーヒを淹れて飲んだ。その後も話に花がさいて、残りの2人は23時半ごろに布団に入ったが、小生は、本日のニュースをテレビで見て24時頃消灯した。

飛騨高山旅行(第11回OC4人会)第三日目(最終日)

2015-09-11 23:38:58 | OC4人会
 今日もホテル2階のレストランのバイキングの朝食を摂り、9:10ホテル発の送迎バスで高山駅へ。今日は帰宅するので、ホテルはチェックアウトし、荷物は初日と同じく駅のコインロッカーに預けた。
 駅から国分寺通りを歩いて鍛冶橋に出て、手長・足長の像を見ながら橋を渡って、鍛冶橋東袂から左に北へ折れて宮川沿いの宮川朝市を眺めながら往復した。
  (左:手長、中:足長、右:宮川朝市

 そこから歩いて「匠館」へ行って2階の家具や、1階のお土産物を見て(他は買ったが、小生は土産を買わず)、古い町並を通ってそこの酒屋「玉の井」で、酒を飲まない小生以外は有料の試飲酒を飲みながら、しばらく休み話をしたが、別の来客があったのを機に出た。

 高山市政記念館(旧高山町役場)を外からのみ見て過ぎて、本日の昼食として中華そばを食べるために、11:50「まさご」に入った。黒いスープの中に縮れ麺にチャシュー1枚とメンマに、刻みネギの薬味が載っているものだった(並サイズで\700。大盛は\900)。味の分からない小生には特段おいしいとは感じなかった。
 (左:高山市政記念館:入口に中国人の群れが大声でわめいていた、右:「まさご」の中華そば

 12:10「まさご」を出て、高山駅から名古屋駅に向かう列車の出発までに時間があったので、駅前にある喫茶店「Greenwich」に入った。狭い室内で、テーブルも小さく4人席に座った我々は窮屈だった。それでもおよそ40分を1杯のコーヒーとおしゃべりで過ごした。店内に飾ってあった外国詩を彫刻した内容が良く見えないこともあったが、分からなかった。

 計画通り、13:30高山駅発「ワイドビューひだ12号」に乗り、16:02名古屋駅着。途中列車の中から犬山城と岐阜城を撮った。
  (左:犬山城、右:岐阜城)

 名古屋駅で今回の旅行の解散をして、16:27名古屋駅発「ひかり526号」に乗り、18:10東京駅着。折角山側の席を取り名古屋駅を出るときはすっきりと晴れていて期待したが、富士山に差し掛かるころにはその部分のみ雲が掛かり全然見えなかった。残念!
 東京駅発18:53の「ひたち25号」までには時間があったので、山手線で上野駅まで行って、丸善で本の立ち読みをして時間を過ごして、上野駅から乗った。20:08水戸駅に到着。南口でタクシーに乗って20:18自宅到着し、心配した台風18号には影響されず、今回の楽しい旅行は無事に終了した。

飛騨高山旅行(第11回OC4人会)第二日目

2015-09-10 23:14:35 | OC4人会
 ホテル2階のレストランでバイキングの朝食を摂って、ホテル玄関前から9:10発の送迎バスで高山駅へ。今夜も同じホテルに連泊するので、荷物は部屋に置いて出かける。

 高山駅脇にある「高山濃飛バスセンター」で、往復の路線バス料金と「飛騨大鍾乳洞」とそれに併設の「大橋コレクション館」の入場料のセット券(それぞれを合計したものより350円安い)を購入し、9:40出発の路線バスに乗り込む。比較的狭い道を結構な速度で走るのには驚いた。

 30分後大鍾乳洞口のバス停に到着。そこからは、バス停舎の中のインターホンをとると、大鍾乳洞に直通されてその迎えのマイクロバスが迎えに来る。距離は約1kmだが、登り道となり、往は3~4分、復は2分ほどで往復できる距離である。
 まず、飛騨大鍾乳洞を発見した大橋外吉が集めた工芸品、装飾品など世界の美術品を展示した大橋コレクション館見て、その後大鍾乳洞へと向かう。大鍾乳洞はい全長800m(平面)ほどあり、途中で外に出られるバイパス出口が2か所設けられていて、幼・老齢者などに配慮されている。


 大鍾乳洞見学後、再び高山市街に戻り、肉の「丸明」で飛騨焼肉ミックス御膳を昼食として摂った。肉屋と焼肉屋をも経営しているようで、結構大きな店構えをしていた。12:30から約1時間半かけてのゆったりとした昼食だった。


 食後は、歩いて近くにある「山下清原画展」に入場。沢山の山下清(1922-1971)のちぎり絵、フェルトペンによる素描画、中には油絵などもあり、楽しむことができた。原画展の脇のコーナーにある「花火のカフェ」(山下清の特徴的な花火のちぎり絵に因んだものと思った)でコーヒーを飲んで(傍らでは雁の助主演の裸の大将のビデオがかかっていた)20分ほど休んだ。

そこから、山下清原画展と共通入場券(¥1100のところ\800)となっていた「高山昭和館」に入った。昭和30年から40年代ころの生活・文化などの店舗や商品などが展示されていて、当時を思い出しながら懐かしくおよそ40分ほど見て回った。

 そこから歩いて高山陣屋を目指して歩いたが、途中頭上に雨雲が広がり雨が降って来たので、アーケードの下でしばらく雨宿りをして古い町並を通り、また何回か目の赤い欄干の「中橋」を渡って「高山陣屋」に到着した。

 元禄7年(1692)7月、徳川幕府はそれまでこの地を治めていた6代高山城主金森頼旹(よりとき)を出羽上山へ移封し、飛騨国を幕府直轄領とした。以来、明治維新に至るまでの117年間25代の代官・郡代が政務を行った。
 ここを見学中に、御蔵の中の説明資料中に元水戸藩士梅村速水(本名:沼田準次郎:1842-1870)を知った。水戸藩士の家に生まれ、水戸学を学び決断力に優れ、学問・武術も人に抜きんでいたといわれている。後、脱藩し諸国を廻り、岩倉具視、三条実美たちに接しその影響を受け、1868(慶応4、のち明治元年に改元)年新政府から飛騨国出役を命ぜられ、27歳の若さで高山県の初代知事となった。知事となってから、旧習を退け、新しい施策を矢継ぎ早に打ち出したが、その急進的な改革は、飛騨の人たちに受け入れられず1869(明治2)年に騒動(梅村騒動)が起こった。これにより、梅村の理想政治はわずか1年で終わり、知事を解任され、捕らえられ明治3年10月26日無実を訴え続けながら牢死した。しかし、明治政府が目指した新しい国造りがようやく軌道に乗り世の中も次第に落ちついてくると、梅村知事の足跡を振り返り、遺徳をしのぶ鳥羽了英、江馬弥平らによって、梅村知事遺愛の碑を建立する話が持ち上がり高山の名勝城山三之丸跡の一画に竣工した。篆額:岩倉具視(右大臣・従一位・大勲位)、撰文:重野安繹(国立博物館編集副館長・従五位)、書:藤田 健(茨城県警部長・従六位)になる石碑の碑文の終わりには「飛騨の人々は、君が世を去ってから初めて本当の事を知った。君を死に追いやった事を大変くやみ、悲しみに堪えない」と哀惜の言葉で結んであるという。

 1時間ばかり見て高山陣屋を17:05出て高山駅まで歩いた。駅前からタクシーでホテルに戻った。その途中、「崇教真光」総本山を車中から見てホテルには17:40分頃に到着。
 夕食は、ホテル2階のレストランでバイキングの食事を摂ったが、とても支払った食事代は元が取れることはないと思った。

飛騨高山旅行(第11回OC4人会)第一日目

2015-09-09 23:46:08 | OC4人会
 年2回のOC4人会旅行は、今年の春は実施無く今回の秋のみとなった。
 自宅近くのバス停からバスに乗って(いつもは遅れてくるのだが、今日は時間通りにやって来た。やはり、早めについておかないと、万一早く来たときは乗れない恐れある)、水戸駅北口に到着。いつものように黄門さま一行の銅像に挨拶し、今回の旅の無事を祈った。

 今日は台風18号が愛知・知多半島辺りに上陸し、東海・北陸を縦断して日本海に抜けるとの予報があった。そのため、この台風が気がかりで、いつもより丁寧にお願いをした。駅構内マックでフィレオフィッシュとコーヒーを摂って30分ほどの時間を過ごした。

 水戸駅8:10発「ひたち4号」で東京駅着(今年から常磐線特急のほとんどが品川駅まで乗り入れた)。10:03東京駅発「ひかり467号」に乗車。在来線は3割とか5割の間引き運転をしているようだったが、新幹線は定刻通り運転して、浜松当たり手前で雨も止んだ様子で、12:09名古屋駅に到着した。

 4名全員集合し、それぞれ名古屋駅で駅弁を買って12:48発の「ワイドビューひだ11号」に乗車。高山駅に定刻通りの15:06に到着。
(「名古屋名物みそかつヒレ重」\950とお茶\140の昼食弁当。半熟玉子が入っていたが、箸では食べにくくてしょうがなかった)

 駅のコインロッカーに皆の荷物を纏めて入れて、まず歩いて飛騨国分寺に行った。天平年間に建造されたようで、本堂前の大イチョウは目通り約10m、樹高約28mで樹齢は推定1200年で、本堂は国指定重要文化財、三重塔は岐阜県指定重要文化財、表門や鐘楼門は高山市指定文化財となっている。
(奈良時代当時、七重塔、金堂、仁王門などを備えた壮大な伽藍があったと伝わる)

 そこからタクシーで桜山八幡宮へ向かい、そこで高山祭屋台会館に入った。女性のスタッフの説明を聞きながら展示されたいた神輿、屋台(山車)を見て回った。

その後は、屋台館の傍にある桜山日光館に入った。ここには日光東照宮の各種建造物を10分の1の縮尺で再現したもので、素晴らしい出来栄えであった。

 そこからは下二之町や三町伝統的建造物群保存地区(古い町並)を通って、天ぷら季節料理「はし膳」で17:30~20:00の間ゆっくりと夕食を摂った。その間安保関連法案など、今の問題などについて喧々諤々議論をした。
 そこからは、高山駅まで歩いて、コインロッカーに入れておいた荷物を銘々が取り出して、20:30発の今夜泊まるホテルの送迎バスに乗って20:40ホテルアソシア高山リゾートに着いた。

北陸旅行(第10回OC4人会)第三日目(最終日)

2014-11-27 23:37:27 | OC4人会
 計画ではホテルを9時に徒歩で出て、あわら湯のまち駅で越前鉄道に乗って三国港駅へ、そこでタクシを拾って9:40頃東尋坊へ着いて約1時間ほど過ごして、11:09三国港発の筑前鉄道で11:59福井駅へ到着、12:09発のサンダーバードに乗って12:57金沢駅に帰着する予定であった。
(左は朝食のお膳)
 ホテルの部屋で朝食を済ませ、8:45タクシで東尋坊へ行く。小生は東尋坊は初めてで、サスペンスドラマなどでよく殺人や犯人が自殺をしようとする場所によく使われる断崖絶壁が有名である。これは新生代中期中新世(約1,300万年前)に、安山岩質マグマの火山活動で堆積岩層(米ケ脇層)中に貫入し、冷え固まってできた火山岩が、波の浸食を受けて地表に現れたもので、この火山岩にはマグマが冷え固まるときにできた柱状節理がよく発達しており、それが美しい景観を呈している。
 最後に展望タワー(通常\500のところクーポンを使い\400)に上って海を眺めて(手前岩壁は視界が遮られてあまり見えない。金を払ってまで見る価値はない)、東尋坊到着時に乗って来たそのタクシに予約していた10:30に出発し、JR北陸線の芦原温泉駅に10:55到着した。ここで名古屋からの友人とは別れ、小生を含め残り3人は11:14発のしらさぎ3号の自由席に混んでいたので別々に席をとった(タクシーを利用したことにより、事前に指定席を買ってあった福井駅から金沢駅の特急列車よりおよそ1時間早い時間の列車だったので)。金沢駅に11:51到着。
 金沢駅で、金沢駅→越後湯沢駅→上野駅の特急列車と新幹線の指定席を約1時間前倒しのものに変更して、昼食用の駅弁とお茶を買い求め、12:07発のはくたか13号に乗った。
(弁当は2段重ねのおまつ御膳。容器と値段の割に中身は貧弱)
 以降は、当初計画より1時間ほど早く、越後湯沢駅14:51到着。15:00発Maxとき328号で上野駅に16:14到着。上野駅ではみどりの窓口が混んでいたので、指定変更は時間的に諦め、16:30発のフレッシュひたち41号の自由席に座った。17:47頃に水戸駅に到着。タクシで18時ちょうどに自宅に無事帰った。

北陸旅行(第10回OC4人会)第二日目

2014-11-26 23:09:21 | OC4人会
 8時に起床し準備をしてホテル出発の5分前の8:25にチェックアウト。タクシで金沢駅まで行き、駅で朝食用のサンドウィッチと牛乳を買って、9:03発のサンダーバード14号に乗車、福井駅へ向かう。本日は、福井駅からえちぜん鉄道に乗って、終点の勝山駅で行きそこからタクシで恐竜博物館を訪れその後そこで昼食をとる予定だった。しかし、えちぜん鉄道福井駅で確認すると、本日は恐竜博物館は休館日とのことだった。やむなく、恐竜博物館のあと行く予定だった永平寺に行くことに変更になった。
 えちぜん鉄道勝山永平寺線にて、9:56福井駅発で出発。10:20永平寺口駅に到着。同駅前発10:25のバスにて永平寺で下車。荷物をバス停にある「一休」に預け門前通りを歩いて永平寺に向かった。
 \400の拝観料を払って曹洞宗大本山永平寺参拝。永平寺は、正治2年(1200)京都に生まれ、14歳の時比叡山で出家し、24歳の春中国に渡り天道山の如浄禅師について厳しい修行を行い、お釈迦様から伝わった「坐禅」という正しい仏の教えを受け継いで日本に帰国した道元禅師により、寛元2年(1244)開かれた坐禅修行の道場である。現在、大小70余の建物が並んでいる。
(写真左は正面参道入口、右は僧堂への階段脇から中雀門を格子の間から覗き見る)
(写真左は僧堂脇の廊下で寒さ凌ぎに遮蔽板が設けてある。写真右は法堂横の廊下より下側に一文字廊その向こう仏殿の屋根を望む)
(写真左は庫院側の階段廊下から右手中側に仏殿と一文字廊の間を見る。写真右は右に仏殿、左に中雀門の間を見る)
(左写真は除夜の鐘で有名な鐘楼堂)
 歩いて、バス停のそばにある永平寺そば処「一休」に戻り、そこで昼食のおろしそばを食べ食後にコーヒを飲んだ。
そこで、東尋坊~永平寺の間で乗り降り自由の2日間お得なバスフリー券があることを紹介されたので、それを買った。恐竜博物館が休館で予定が大幅に余ったので、ちくぜん鉄道三国芦原線の三国駅まで行ってそこを散策することにし、13:45「一休」前のバス停「永平寺」発のバスに乗って、15:30三国駅に到着した。北前船の泊地だったという街を散策し登録有形文化財旧森田銀行本店は工事中ということで寄らず、代々材木商を営んでいたという旧岸名家を見学した(入場料\100)。案内の人が丁寧に説明をしてくれた。
 フリー切符で三国駅を16:30にバスで出発し、17:05頃えちぜん鉄道あわら湯のまち駅で下車し、徒歩で今夜のホテル「まつや千千」に17:17到着、チェックイン。部屋で夕食を準備中に小生だけは温泉に入った。30分ほどで出てくると、部屋では夕食がセットされており、夕食が始まった。小生だけはアルコール類は飲まないが、他の3人は地の酒などをおいしそうに飲んでいた。
(夕食はカニづくしで、このほかにカニ鍋があり、雑炊で閉めた)

北陸旅行(第10回OC4人会)第一日目

2014-11-25 23:53:16 | OC4人会
 水戸駅発7:26発、スーパーひたち14号で上野駅着8:59。上野駅発9:34発、Maxとき315号に乗車。車内ではコーヒーを求め飲む。10:38越後湯沢駅で下車、昼食用の駅弁「かにずし」とお茶を購入し、10:48発のはくたか6号に乗り換え金沢駅13:23に到着下車。ここで今回同行する計4名が合流。
 金沢駅に到着すると雨上がりの状況で、道路は濡れていたが雨は降っていなかった。タクシーに乗って、妙立寺門前に到着。この寺は忍者寺ともいわれれているようだが忍者には関係なく、初代加賀藩主である前田利家公が金沢に入封して間もないころに、政治の理念を日蓮宗・法華経の中道精神に求めて建立した祈願所だったものを、三代藩主利常公が知略をもって複雑な防御のための仕掛けを設け金沢城近くからこの地に移設したものである(拝観料\800)。
 そこからは徒歩で北に向かいR157の犀川大橋を渡り、香林坊の交差点を右に曲がって西に向かう。左手に旧四高跡を過ぎて旧県庁で現「石川憲政記念しいのき迎賓館」の前にやって来た入り口前には立派な2本のシイノキがあった)。
 次に道路を隔てた南側にある金沢21世紀美術館を訪れた。この美術館に入館し、鑑賞する予定であったが、運悪しく本日は閉館日であった(事前調査不足)。館の周りに配置されていたラッパ状のものは、どれかとどれかが通じているということで、4人で試したが3か所ほどは確認できた。
 道路を隔ててすぐ東にある兼六園に真弓坂口から入る。嬉しいことに、65歳以上は入園料はタダであった。3年前の2011(H23)年2月14日にも兼六園を訪れたが、その際には琴柱灯篭の写真を撮り忘れたので、今回数枚を撮ることができた。

奇観亭でJTBのクーポン利用による無料の草餅の団子を食べた後、また徒歩にてHOTEL TRUSTY香林坊へ戻り17時少し前にチェックインした。
 今夜の夕食は、近江町商店街まで歩いて出かけ、そこの回転寿司屋で済ませた。

第9回OC4人会旅行:伊勢志摩(3日目)

2014-04-25 22:33:00 | OC4人会

 昨夜の夕食と同じく932室に準備された朝食を、8時から4人揃って摂る。9:10送迎バスで3分の近鉄賢島駅に送ってもらい、そこからは、歩いてすぐの距離にある英虞湾遊覧の賢島エスパーニャクルーズの船着場に向かった。まわりゃんせのパスポートに含まれているこの遊覧船エスペランサ号での遊覧は約50分ほどで、途中で一旦10分ほど下船し、養殖真珠の核入れ作業見学もあった(目的は買物をして貰おうとのことだと思う)。
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14042503_3  10:20には近鉄賢島駅に戻り、10:30発の特急で鵜方駅まで戻った(約3分間の乗車) 。 鵜方駅10:50発御座行バスに乗って、11:25頃に大王埼灯台で下車。大王埼灯台までは途中両側に干物など魚介類の土産物などを売っている細い坂道を上る。灯台の中には200円の入場料が必要。灯台の傍には大王埼灯台ミュージアム(入場無料)がある。帰りは反対側にある階段があり、九鬼氏の墓がある仙遊寺の傍に下りた。(縦方向に撮った写真が縦にならず横になってしまう。以前はきちんと表示できたのに、最近縦写真も横向きに表示されてしまう。どうすれば、正しく表示できるのだろうか?
 12:05大王埼灯台のバス停を出て、12:28近鉄鵜方駅に到着。駅舎内のレストラン「まわりゃんせ」で昼食。他の3人はビールとつまみを頼んでその後軽いものを摂ったが、飲まない小生は名物セット(手こね寿司と伊勢うどんのセット)を摂った。
 13:35鵜方駅発特急で名古屋駅に15:17到着。ここで、解散となった。何か面白い本はないかと本屋で本を探したが買うものはなかった。駅内の土産物売り場で赤福を自分用に一つ買って、16:27名古屋駅発ひかり526号に乗車。家から持って出かけた本を読んでいたが、途中眠ってしまった。目が覚めたのは熱海駅通過ころだったので、富士山を見ることができなかった。残念!
 18:10東京駅に到着。上野駅でまた、本屋を覗いて少し立ち読みしたが、カウンター待ちに長い列があったので、買うのを止めた。19時上野駅発スーパーひたち53号で20:10水戸駅着。水戸駅内で夕食を摂って、タクシーで20:40帰宅。今年春のOC4人会の旅行は無事終わった。素晴らしいときだった。


第9回OC4人会旅行:伊勢志摩(2日目)

2014-04-24 22:09:00 | OC4人会

 朝食は、夕食と同じく、807室に準備され7:30から四人で一緒に摂った。その後はのんびりとし、9時ホテルの送迎バスで出発。9:36鳥羽駅発の特急に乗って9:47宇治山田駅に移動。そこからタクシーで伊勢神宮内宮(皇大神宮)に到着。近くの駐車場は満車のようで今日は人出が多いようだった。
 3年ぶりに宇治橋を渡り神苑に入る。綺麗に剪定された大正天皇御手植松を眺めながら砂利道を歩く。手水舎で清め、五十鈴川お手洗場で清流に手をつけまたリフレッシュす 1404240114042402る。正宮(写真左)に参拝、その後、荒祭宮(写真右)、 御稲御倉、外幣殿、橋を渡って風日祈宮、また戻って御厩などをお参りした。1時間半ほど内宮で過ごして、おはらい町通りへ向かった。
14042403_2 結構な賑わいのおはらい町通りを歩いて、 「ゑびや」という新しく改装されたような大食堂で昼食を摂った。この地の名物であるという「手こね寿司」と「伊勢うどん」のセット。シンプルな造りであったが、そこそこの味ではあった。食後はおかげ横丁を見て回った後、タクシーで五十鈴川駅へ向かった。
14042404  五十鈴川駅12:41発の特急で鳥羽駅(乗車時間約8分)に戻って、そこからは徒歩で、鳥羽水族館に向かった。この水族館は、いわゆる観覧順路というものがなく、12のテーマゾーンを自分の好みで観覧する。2時間足らず過ごした。(写真はセイウチショー)
14042405  再び歩いて鳥羽駅に戻り、15:31発の賢島行に乗車。16:10賢島駅に到着、送迎バスに乗って、5分後には今夜の宿である賢島宝生苑”華陽”に到着した。(写真は我々の部屋の窓から望んだ英虞湾)
 今夜も、昨夜と同じ部屋割りで、夕食も昨夜同様彼らの部屋932室に準備され、4人で18時から戴く。夕食は、さんざし酒の食前酒から始まり、酒肴盛り合わせの前菜、金目鯛徳利蒸しの座付、魚介五種盛りのお造り、牛ロース・野菜一式しゃぶしゃぶの温物、鮑踊り焼の焼き物、地魚の姿煮・姫皮博多煮・野菜炊き合わせの中皿、白身魚の柏蒸の蒸し物、伊賀米こしひかり・蟹ひじき・鯖ひじき添えの御飯、香の物盛り合わせ、しじみ・青さ汁の留め椀で、最後は嶺岡豆腐フルーツ添え・ヒアルロンゼリー掛けのデザートだった。おなか一杯になった。


第9回OC4人会旅行:伊勢志摩(1日目)

2014-04-23 22:09:00 | OC4人会

 毎年春と秋ごろの年に2回元同僚との今年の春の旅行は伊勢志摩方面になった。伊勢神宮と二見ヶ浦には3年前の6月に訪れた。その時、伊勢神宮では式年遷宮の工事が行われていたが、それが昨年完成した。それを確かめることができる。
14042301  水戸駅8:05発のスーパーひたち18号で上野駅9:25着。東京駅に移動し、そこで東海道線50周年記念弁当とお茶を買って、10:03東京駅発ひかり467号で待ち合わせの名古屋駅に向かう。天気は良かったものの、雲で隠れて富士山は見えなかった。残念!
 名古屋駅新幹線南口に集合後、12:50近鉄名古屋駅発特急で伊勢市駅に向かう。ここからは「まわりゃんせ」という近鉄電車・特急、バス、船が乗り放題で、28の観光施設に入場・入館が可能な特典のあるパスポート(4日間有効)で動いた。
 14:10伊勢市駅に到着、徒歩で伊勢神宮外宮(豊受大神宮)に向かい参拝。表参道日除橋を渡って参詣。正宮を参拝、その後土宮・風宮・多賀宮などの別宮に参拝した。1404230314042302

左の写真は奥に遷宮された 新正宮、手前がまだ建っている旧正宮で屋根はかなり傷んでいる。右の写真は正宮正面
 最後にせんぐう館に入館し、式年遷宮の関連の知識を得ることができた。正殿の実物大模型が見事な造りだった。
 16:39鳥羽市駅を出て、鳥羽駅に到着。ホテルの送迎バスに乗り込んで、今夜の宿である本浦温泉サン浦島悠季の里に17:27到着。小生は堀田さんと808号室に、加藤さんと新澤さんは807号室に入った。(左の写真は小生たちの808号室の窓から見た景色14042304 夕食は807室に準備してもらい、18:30から摂った。食前酒から始まり、季節の盛り合わせの酒肴、伊勢海老・桜鯛・初鰹の刺身盛り込み、煮物、小女子と春野菜の鍋、黒鯛ムニエル・鮑ソテー添えの強肴、和牛石版焼の一品、穴子あられ揚げ・東寺揚げなどの留肴、浅蜊の味噌汁の汁、季節の釜飯、香の物、季節のフルーツの水菓子でおわりの豪華な食事だった。
 20時から40分間貸切露天風呂が準備されていたので一人入ってきた。いったん外に出て200mほど坂を上り、階段を下りて行く一軒建の、110㎝四角ほどの湯船に洗い場が1つあるだけのものだったが、夫婦連れや恋人同士用のもののようで、我々男同士の老人仲間には不向きのようだった。23時過ぎに消灯。


黒部・立山の旅(4日目)-#8OC4人会

2013-11-03 17:44:00 | OC4人会

 今日は帰宅。ホテルの朝食を摂ってジパング予約の新幹線に乗車。10月31日の往路では残念ながら富士山は見ることができなかった。本日の復路では微かに望むことができた。
13110301 今年6月富士山は世界文化遺産になったが、それ以来初めて富士山を見ることができた。今年は10/19に初冠雪があったが、車窓から見た富士山は雲がかかっていて、雪を確認することはできなかった。やはり、富士山は雪を頂いている姿がいい。
 新幹線ひかり514号はほぼ定刻通りの12:11東京駅に到着。上野駅の本屋で文庫本を一冊買い、「八戸真鯖弁当」(4切¥650)とお茶(¥140)を買って、13時発スーパーひたち27号で帰水、水戸駅からタクシーで14:20帰宅。無事このたびの3泊4日(正味の旅行は1泊2日)の旅を終えた。早速、郵便受けに溜まっていた新聞、郵便物等を取り込んだ。


黒部・立山の旅(3日目)-#8OC4人会

2013-11-02 22:25:00 | OC4人会

 6時半のウェイクアップ・コールの後も少々布団の中にぐずぐずして起床。7時から、昨日の夕食と同じく、我々仲間のもう1組である隣の部屋で準備されていた朝食を摂る。13110201 8時に宿まで迎えにくるバスに乗るため10分前にロビーに降りる。バスの来る間、ホテル玄関先で4人の集合写真の記念写真を撮るためシャッターを押してもらう。
 ツアー参加者の泊まっているホテルを回って拾い、立山・室堂に向けて宇奈月を出発。北陸自動車道に黒部ICで乗って立山ICで降り、途中の「立山あるぺん村」という道の駅風の施設に寄って、トイレ休憩と今日のお昼の弁当を積み込んだ。
1311020213110203_3  称名道路の駐車場でバスを降り、歩いて約2.3㎞先にある称名滝に向かう(写真左は途中の道の脇の様子。右は称名滝。どうした訳か縦向きの写真が横になっている。以前はちゃんとした向きに掲載できたが、最近おかしくなった)。称名滝は日本一の落差を誇り350mというが、三大名瀑には入っていない。
 県道や添乗員が日本一高い通行料であるという有料道路からなる美女平天空ロードを上っていき11:52室堂バスターミナル到着。13110204 室堂では50~60歳位の女性ガイドによる案内が30分足らずあって、昼食。我々は、昼食弁当を予約していたので、みくりが池を眼下に、立山連峰を目の上に望む雪の室堂平のベンチでそれを摂った。
 13:45室堂から立山トロリーバスで大観峰へ。眼下に黒部湖を、眼前に後立山連山を眺め、14:30発立山ロープウェイで黒部平へ。15:10黒部平を発って、満員で座れなかった黒部ケーブルカーで黒部湖に到着。
13110205  ダム湖からの放流はすでに時期を過ぎていてやっていなかった。堰堤を通って向こう側に渡り、殉職者慰霊碑にお参りした。
 16:30扇沢駅に到着。待っていたバスに乗って大町温泉郷に17時頃到着。ほとんどはこの温泉でもう一泊宿泊する組であり、そこで下ろして我々4人組ともう1組の夫婦の6人を松本駅まで運んでくれた(松本駅到着18:13)。
 駅ビル内の「杵屋」で天ぷらうどん定食の夕食を摂り、19:06松本駅発しなの24号で21:21名古屋駅到着、そのまま東横イン名古屋駅新幹線口にチェックイン。11月1日出るとき、デポジットしていた、自宅と名古屋往復の時に必要な荷物を受け取った。
 


黒部・立山の旅(2日目)-#8OC4人会

2013-11-01 22:02:00 | OC4人会

 名古屋駅8:43発「ひだ3号」で富山に向け出発。木曽川沿いに走り、犬山城を遠望し北上する。飛騨川沿いとなり、高山辺りからは宮川沿いに北上、猪谷辺りからは富山湾に注ぐ神通川沿いとなって、予定より22分遅れて、12:48富山駅に到着した。富山駅からは宇奈月温泉まではバスで、それは13:20出発である。昼食を富山駅で摂るつもりだったが、時間がなく、コンビニでサンドウィッチと牛乳を買って、バスの中で食べた。我々4人組を含め、南は九州から北は関東から集まった40人足らずの旅行者だった。
 バスは北陸自動車道を黒部ICで降りて宇奈月駅に到着。集合写真を撮ったが、1枚1,500円とのことで、当然、頼まなかった。13110101 駅前から見上げた周りの山は少し色づいていた。
 14:56トロッコ電車は宇奈月駅を出発。赤い「新山彦橋」(写真なし)を渡り、宇奈月ダム(下写真左)とそれに続いて中世の西洋の城の外観をした「新柳河原発電所」(下写真右)を右に見ながら黒部川沿いにのぼっていく。

1311010213110103

猿専用吊り橋や仏石を右下に見、森石橋を渡って黒薙駅に到着。
  

13110104  後曳橋(左写真)を渡り、出し平ダム、出し六峰、ねずみ返しの岩壁、黒部川第二発電所などを右手に見て鐘釣駅に15:58到着。我々のツアーはここまでで、ここを引き返す時間は17:03。駅より歩いてすぐのところにある「万年雪展望台」行って黒部万年雪をみたが、パンフレットにある写真のような大きなものは全くなく、小さな塊だけだった(左写真)。13110105 出発を待つ1時間強の時間を過ごすにやることもなくコーヒーを飲みながらうろうろした。17:03宇奈月へ向かい帰路に着く。気温12.3℃。
 17:58宇奈月駅に到着。本日の宿である「延楽」のマイクロバスに乗って18:00ホテルに到着。4人は泊まれる部屋に2人で宿泊。したがって、4人で二部屋に分かれた。温泉の風呂に入って、19時から一部屋に準備された夕食を4人で摂った。13110106 小生は飲まないが、他の3人はビール、日本酒をおいしそうに飲んでいた。(左写真はメニュー。食事は次から次へと出されるので写真省略)夕食は21時半ごろ終了した。