つれづれ日記

~認知症に備えて~
(H26/11/21geocitiesから"goo"に引越)
(写真はクリックすると大きくなる)

黒部・立山の旅(初日)-#8OC4人会

2013-10-31 22:22:00 | OC4人会

 11月1日・2日で1泊2日の黒部・立山の旅が今回の旅だった。しかし、1日の朝9時前に名古屋を発って、2日の21時過ぎに名古屋へ戻る旅である。したがって、今日は前泊のための水戸から名古屋への移動のみであった。

13103101  昼過ぎに黄門主従に見送られて(写真左は水戸駅北口にある黄門主従像)水戸駅を出て、東京駅14:33発ひかり517号で名古屋駅に16:19に到着した。今日は残念ながら、雲にかかって新幹線から富士山は見ることができなかった。到着後はそのまま、今夜の前泊宿である東横イン名古屋駅新幹線口にチェックイン。
 本日はゴルフだということで遅れてきて前泊する川崎からの友人を除き、やはり前泊する同行の他の2人とともに、3人で夕食を摂った。


青森の旅(最終3日目)ー#7OC4人会

2013-05-17 23:50:00 | OC4人会

 本日は旅行3日目の最終日。7時起床、7時半から朝食、その後ロビーでコーヒ。今日は、昨日とうって変わって、雲一つない快晴。
 9:03、旅館「椿館」を出発。国道4号線を南下しているとき、道路前方に八甲田山とおぼしき雪を被った山が見えた。写真を撮ろうと手元のカメラを探したが、ない!! 旅館に電話すると、忘れている、と。そこで、レンタカーを引き返し、宿に戻った。再出発は9:23となり、20分のロスをしてしまった。
 9:57、「青森自然公園ねぶたの里」駐車場に到着。大型ねぶたが10台ほど展示されていた。また、ねぶた運行体験ショーも行われており、修学旅行中の中学生らしき男性が曳き手体験をしていた。敷地内の空き地にはつくしが沢山生えていた。
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 10:45、ねぶたの里を出て、11:07三内丸山遺跡・縄文時遊館の駐車場に到着。まず、時遊館で三内丸山遺跡などの資料を見て回る。立派な資料館に驚いた。その後、広大な敷地に想定復元された三内丸山遺跡を見て回った。小学生のグループが何組もいて、解説者から説明を聞きながら、一生懸命メモを取っていた。課外授業のことのようだった。
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 12:28、駐車場を発し、途中レンタカーにガソリンを満タンにして(燃費は12.8㎞/?だった)、12:55レンタカー屋に返却。
 新青森駅で昼食を摂りながら、次回、今年秋の旅行は黒部渓谷トロッコ列車の旅に決定。その後、小生を除く3人は土産物売り場で買い物をして、全員14:38発はやぶさ12号に乗って帰京。席はバラバラだったので、同じ車両の8号車の席だった新澤さんに挨拶して18:02上野駅で下車。18:30、上野駅発フレッシュひたち51号で帰水。水戸駅で食事をして、タクシーで20:12帰宅。楽しかった青森の旅も無事終わった。


青森の旅(2日目)-#7OC4人会

2013-05-16 23:35:00 | OC4人会

 旅行2日目。
 7:20から朝食を摂り、8:07ホテルを出発。霧雨のような雨があり道路は濡れていたが、傘を必要とするほどではなく、すぐに上がった。 大畑経由で8:58、大間崎駐車場に到着。岬の先まで歩き、本州最北端の地の碑や、勇壮なまぐろ一本釣りの石のモニュメントがあった。目の前の津軽海峡には弁天島という小島が横たわっていた。バスの団体旅行者が、今日は木曜日にも拘わらず、次から次とやってくる。どうやら彼らも我々同様、次は佐井港から仏ヶ浦を巡るもののようだった。
 9:31大間崎を出て、9:57佐井港アルサスに到着。本日は仏ヶ浦の見学客が多く、臨時便が出るようだった。出発までに少々時間があったので、土産物売り場を見て回り、ソフトクリームを食べて出発を待った。10:32、定員135人乗りの遊覧船「ニューしもきたⅤ」は出港。途中五百羅漢などを高速で走る船内から観察。出港して30分、仏ヶ浦船着き場に到着。団体さんの後をぞろぞろついて行って、説明者の話を聞くが、遠くてよくは聞こえない。奥まで行って引き返し30分間の上陸後、12時佐井港へ帰港。アルサス2階の「まんじゅや」で昼食。他3人はビールでのどを潤すが、小生は飲まないし、それにレンタカーの運転手だ。
 13時丁度、アルサスを出て国道338号線を南下。13:34、仏ヶ浦駐車帯に到着。 道路脇の展望台から眼下に仏ヶ浦がよく見える。我々の後から着いた2グループの方々と話もして13:57出発。
 途中道の駅「よこはま」で12分間のトイレ休憩をして、17:05、今夜の宿である浅虫温泉「椿館」に到着。この宿は棟方志功ゆかりの宿で、多くの棟方にまつわる作品や写真が展示してある。 部屋に通され、早速温泉に入湯。ここも小生にとっては熱く長くは入っては居られない。 それでも外で髭などのんびり剃って部屋に戻ると、すでにテーブルの上には夕食が準備されていた。 他3人は今夜もアルコールを楽しんだが、小生は嗜まないので夕食を腹いっぱい堪能した後は、インターネットが接続できるというフロントまで行って持参のパソコンを無線ランを通じてネットに接続調べ物をした。部屋に戻ると既に布団が敷かれていた。しばらく皆で話をしていたが、皆床に就いたので、小生は明日のことをおさらいして23:15消灯。

(どういう訳か、写真をアップすることができない。何回トライしても! プログラムのバグだと思われる)


青森の旅(初日)ー#7OC4人会

2013-05-15 23:50:00 | OC4人会

 今日から2泊3日の北青森の旅行である。会社勤めの時の同僚3人と計4人で、毎年春と秋の年2回の旅行を行ってきているが、その7回目の旅行である。
13051501bentou13051502gyutanbentou   新青森駅13:20集合なので、皆それぞれに「はやて29号」乗車。小生は車内で駅弁「牛タン」を求め食したが、期待外れだった。時間通り改札口出口で集合し、そのまま歩いて、レンタカー屋へ。手続きは比較的早く済んだが、慣れないGPSナビに行く先を入力するのに少々手間取り、13:51、勇躍出発。
 15:25、道の駅「よこはま」でトイレ休憩を取って、16:25、恐山霊場に到着。途中フロントガラスには霧雨のような水滴が付いたが、傘が必要なほどではなさそうだったし、到着時には上がっていた。我々は、総門を入ってすぐ左に曲がって逆路を歩いたので、極楽浜から血の池地獄へと回った。しかし、イカの写真は順路になるように調整してある。恐山では、硫黄の匂いを嗅ぎ、ボコボコと噴出する蒸気や荒涼とした風景をみながら、およそ一周。カルデラ火山の爆裂跡や温泉型金鉱床などジオサイトの勉強もできた。
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(写真は左から、山門、地蔵殿、恐山代表的風景

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写真は左から、血の池地獄、極楽浜に建てられた東日本大震災犠牲者追悼地蔵菩薩像で右の柱には鎮魂の鐘、左の柱には希望の鐘が設けられている、極楽浜

  17:42恐山を離れ、18:10、本日の宿である薬研温泉「ホテルニュー薬研」に到着。少し休んで、温泉に入湯。食事は19:20から食堂で摂る。13051509yuushoku 団体客は別の部屋での食事。我々は、他の個人客(夫婦連れが多い)と同じ部屋で、そのグループごとにテーブルが分かれていた。 他のグループはとっくに帰って、彼らのテーブル上が片付けられた後もまだ、我々は頑張って飲んで(小生のみは飲まない)、21時頃になって部屋に戻った。
 部屋に戻って、また3人は飲み直しながら、皆で色々尽きない半年ぶりの話をして就寝。 最後に、小生は明日の予定などをおさらいして、23:45、消灯。


京都旅行3日目

2012-11-01 23:26:00 | OC4人会

 今日は今回の4人京都の旅の最終日である。チェックアウト、荷物をデポして9時フロント前集合した。

 今回の旅行を計画した新澤さんによると、京都御所が丁度一般公開になっているとか。そこで急遽御所を訪れることにし、四条烏丸から地下鉄に乗り今出川まで上って京都御所に入った。

12110101shishinden  一般公開をすでに承知していたようで、多くの観光バスや多くの人出があった。今回のように春・秋の一般公開期間を除き、参観は事前申し込みが必要だが、今日のような一般公開日はそれが不要で、だれでも参観できる。
12110102chioninonnasaka  京都御所からはタクシで知恩院へ。三門をくぐり男坂を上る。現在、御影堂は大修理中で、すっぽりと全体が覆われていて立ち入ることはできない(平成31年まで8年間)。

12110103sanjyusangendou  知恩院からタクシで三十三間堂へ。修学旅行の小学生も多い。それにしても約750年前に120mも長大な建物を建てそれが地震などに耐えていることに驚く。通し矢も数え18歳の若者が一昼夜で13,053本(6.6秒に1本)の矢を射て、8,133本を通したというのも信じられないほどの凄さだ。
 そこから歩いて東大路通を南に下り、途中の軽食堂のようなところで昼食をとった。
12110104doujyuin  東福寺の交差点を左に曲がって南に下って同聚院に寄る。265㎝の不動明坐像(重文)がまつられている。

12110105toufukuji  さらに南に進んで臥雲橋を渡り東福寺に入る。この臥雲橋から東に通天橋を見通す紅葉の絶景は京都観光のテレビコマーシャルにもよく出てくるが、時期が早くて紅葉は未だし。現存する最古最大の三門(国宝)は見事である。
12110106toujigojyunotou  東福寺からはタクシで東寺に向かう。15時頃京都発予定の時間が近くなっていたので、国宝五重塔を見ただけで30分で切り上げた。

 そこからは、タクシでホテルまで戻り、デポしていた荷物を受け取って待たせていたタクシで京都駅まで行きそこで解散。京都駅から銘々に新幹線で帰宅。3日間に亘った老人の四人旅は無事終了した。


京都旅行2日目

2012-10-31 22:29:00 | OC4人会

 この旅行は春と秋の年2回、同じ職場で働いていたもの4人で行っている旅行で、今回は6回目となり京都を旅するものである。紅葉の時期は大混雑することが予想されているので、その時期の約1か月ほど前の計画となった。

 9時ホテルを出て、阪急烏丸駅で四条大宮駅まで一駅乗車。今朝はドアが閉まらない事故があって遅延。四条大宮駅で嵐電に乗って嵐山駅に到着。そこから嵯峨野トロッコ列車にのるためにトロッコ嵯峨駅まで歩く。丁度10:07発に間に合いそれに乗る。
12103101trokko_2  初めてだったこのトロッコ列車は、乗って往復の景色を愛でるようで、終点のトロッコ亀岡駅に着くと、もうその5分後に帰ってくる時間となっていた。トロッコ嵯峨駅に戻り、ジオラマを見、19世紀ホールで一休みして嵯峨野巡りに向かった。
12103102rakushisha  まず、落柿舎(写真左)を見て回った。投句箱があり、一句ひねろうかとも思ったが、出てこない。

12103103chushoku  祇王寺に向かう途中にあった食事処「あだし野」で昼食(写真左)。また、その店先に売り出されていた富有柿があまりにもおいしそうだったので、帰宅して食べようと購入した。
12103104giouji 12103105takiguchijinittayoshisadaku  食後、祇王寺(写真左)・滝口寺(写真右。但し、写真は入ってすぐ左にある新田義貞の首塚)を訪れた。祇王寺には学生時代(46・7年前)によく訪れたことがあるが、滝口寺には今回が初めてだった。
12103106takenomichi  来た道を引き返し、常寂光寺の前から南に向かい、小倉池の脇を通り、嵯峨野トロッコ列車の嵐山駅トンネルの上を通って大河内山荘の前から竹の道を少し通り天龍寺北門から天龍寺に入った。
12103107tenryuji  百花苑、書院、曹源池・大方丈の脇を巡り、庫裏の前から天龍寺を東に抜けて南に渡月橋に向かった。

12103108togetsukyou  学生時代、自動車部下級生の自動車運転練習に何度も嵐山には来たことがあるが、一度も渡月橋を渡ったことはなく、今回初めて渡った。中の島があることも初めて知った。
 帰路は、往路を逆に嵐電嵐山駅から四条大宮駅へそこで阪急に乗り換え四条烏丸駅でホテルに帰着。一休みして、近くの居酒屋店で夕食。


京都への旅行1日目

2012-10-30 22:17:00 | OC4人会

12103003koumonzou  水戸駅北口にある水戸黄門さん・助さん・格さん一行(写真左)に見送られて、8:06水戸駅発で上野駅へ。

12103004fujisan  10:10発のぞみ23号に乗って京都へ。富士山が見えるよう、山側・窓側のE席を予約して楽しみにしていた。しかし、残念ながら富士山はすっぽりと雲に隠れていて、瞬間的にてっぺんだけ(写真下左)が出るだけだった。

 12:28京都駅着。集合時間13時までには時間があるので、illyという店でコーヒーを飲みながら時間調整。
 3人が時間通り集合。4人でタクシーに乗って、今日から2日間連泊するホテルに荷物を預けて、歩いて京阪祇園四条駅へ行き電車に乗って出町柳まで行って、そこから叡山電鉄に乗り換え終点八瀬比叡山口に行った。
12103005jyakkouin  そこからはタクシーで大原「寂光院」にお参り。六万体地蔵菩薩立像、建礼門院坐像など拝観、庭園を見回った。

12103001sanzenin  待たせてあった乗ってきたタクシーに再び乗って、大原「三千院」に行き参詣。

 寂光院、三千院ともに紅葉には早く未だ色づいていない。その分、人出は少なく、静かであった。三千院でポツ雨があり早めに切り上げたが、すぐに止んだ。
 大原からはバスで戻って、ホテルで一休みした後、湯葉専門店で食事。


春の滝・ジオサイト見学旅行(2日目)

2012-04-19 23:23:00 | OC4人会

 新澤さんは少し早く起きたようだったが、小生は目覚まし通り6:50に起床。着替えて、早速一緒に朝食を摂りに階下へ行く。写真を撮り損ねたが、小生には昨夜のものより食べるものはあった。昨夜、今朝8時をホテル出発時間としたが、堀田さんは堀北真希ファンで朝ドラ「梅ちゃん先生」を見るとのことで、8:30頃出発。

 途中、道の駅「ばとう」に立ち寄りタバコを買わんとしたが売ってなく、その先のファミリイマートでタバコとポカリスウェットを購入。喜連川で国道293号を離れ、北西に県道74号を進み、矢板ICで東北道に載って、宇都宮で日光宇都宮道路に入り、いろは坂を上った。清滝ICを出て、いろは坂を登る頃から霧が深くなって、視界が一層悪くなった。10:40少し前に華厳の滝駐車場に車を入れた頃は数十m先もはっきり見えない。係員に聞くと、エレベータで降りても滝は見えない、という。しばらく待っていても無理だろう、とのことだった。よって、エレベータに載って下の展望台に行くことは止め、歩いてすぐ脇の展望台まで下がるも、全く見えず。轟く滝音のみを聞いて満足することにした。丁度名古屋からの団体さんもやって来たが、残念そうだった。売店で、孫用にメガネ石を買い求めた。

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写真は左から、切符売り場・エレベータ乗り場、階段を少し降りて展望台から望む、展望台に降りる道の傍で集合写真

 華厳の滝は、1,500万年前の岩石でできている袋田の滝よりも遥かに新しく、2.5万年前に活動を始めた男体山が溶岩流と火砕流の噴出を繰り返し成長し、約1.2万年前(更新世末期)の男体山の噴火で大量に流れ出た溶岩が東に流れる川を南方に押し出すように堰き止め、上流に中禅寺湖を形成、そしてその出口に華厳の滝を形成した。男体山と中禅寺湖のできる以前は、足尾山地全体に足尾帯のジュラ紀付加体の地層が分布していた。足尾山地北部の日光周辺では、白亜紀末から古第三紀にかけて珪長質の火星活動があり、流紋岩質のいろは坂溶結凝灰岩が華厳の滝から南方にかけて広く分布した。日光火山群はそれらの上に形成されている。

 時間的な余裕ができたので、少し先に延ばして湯元まで行った。不思議なことに、中宮祠を離れるにつれて霧が上がり、戦場ヶ原ではまったくなかった。このため、中禅寺湖、雪を被った男体山、大真名子山などははっきり見えた。この時期、国道120号線金精峠は積雪のため通行止めである(今年は4/27日に開通)。湯元に左に折れる分岐に通行止めの柵があった。辺りには硫黄の匂いがして、温泉地であることがはっきりわかった。道路は除雪がされていて走るのは何の問題もない。11nikkoyumoto 道の脇には身長を超す雪の壁が出来ているところもあって、嬉しくなった。全員珍しいので雪壁を背に記念に集合写真を撮った(左写真)。湯元をぐるっと回って、引き返した。これなら、華厳の滝が見えるかもしれないと期待を持って中宮祠に戻るが、途中から霧が出て、まったく変化なく深い霧の中だったので、そのままいろは坂を下りた。

 細尾大谷で国道122号線に右折して足尾に向かう。長い直線の日足トンネルを抜け、間もなくすると通洞に着き、12:20足尾銅山観光(足尾市民センター脇)に到着。丁度時間もころ合いだったのでレストランハウスでラーメンで腹ごしらえをして、13tsuudoukouiriguchi 13:30発のトロッコに載って坑道内に入った(左写真)。すぐに降車場で、そこからは歩く。手前から江戸時代、明治・大正時代、昭和時代展示と、奥に行くにつれて時代・掘削技術が新しくなっている。開運洞にお参りして、さらに進むと銅資料館となっていた。中のシアターで足尾の歴史を8分間のビデオに纏めた「源さんの探検」をみた。1550年に発見された、とされているが、本格的な採掘は江戸時代でありピーク時は年間1,200トンの銅を産出したという。1973年に閉山された。坑道は1,234㎞、高低差1,000mに及んでいるという。

 足尾周辺は、基盤岩として足尾帯の中生代ジュラ紀付加体を構成する砂岩、泥岩、チャートと白亜紀の珪長質火成岩類で、それらを中新世の流紋岩、火砕岩が貫入し、不整合に覆っている。鉱床はこの流紋岩の活動に伴って形成された高温熱水鉱脈鉱床と塊状交代鉱床である、という。産出鉱物は主に黄鉄鉱、黄銅鉱で、他には方鉛鉱、閃亜鉛鉱などを伴う。銅の品位は鉱脈で20~30%、鉱染部・交代鉱床で1~5%であった、という。

14sakugan 15koudoutenjyou 16tsuudoukou (左から削岩機を操作する人形の作業者、坑道天井部の鉱脈、通洞坑口:観光客の出入りはできない

 展示坑道を出ると、そこは、展示坑道入口の近くで広場になっている。そこには、17chusenza 「鋳銭座」(左写真)という建物があって、銭の造り方や古い日本の鋳銭などの展示があった。そこを出て階段を上ると、お土産物の中に入る。色々は岩石や化石、銅製品などが売られていたが、孫用にアンモナイトの化石を買った。そこからまた階段を上がると、ラーメンを食べたレストランハウスに出た。上手く観光客を誘導するルーティングがしてある。恐れいった。

 時間的には余裕があったので、少し北の山側にある足尾歴史館に立寄ることにした線路18saruを横切る手前で 数匹の野生の猿に遭った(左写真)。餌を探しにうろついていたのだろうか? 車の中から歴史館を眺めてそのまま、帰路に着いた。

 川崎と名古屋からの友人を、計画より1時間半ばかり早く、15:40頃東部日光駅に降ろし別れ、我々2人は一路水戸に向かい日光ICから高速に入った。途中、相棒がお土産物の薄皮まんじゅうを買うというので大谷PAに立寄り、後はノンストップで北関東道・茨城町東ICで降りて、17:20頃水戸駅南口到着。ここで友人と別れ、17:25無事帰宅した。


春の滝・ジオサイト見学旅行(1日目)

2012-04-18 23:23:00 | OC4人会

 晴。準備をして10時頃自宅を出る。いつものスタンドで車にガソリン満タン、洗浄機で車を洗い、空気圧などチェック・調整して、水戸駅南口に着く。幸に、駐車場が空いていたので入れ、改札口にて3人の来水を待つ。

 すぐに昼食に向かう。丁度、「ボニッシモ」の開店時間に到着。堀田・加藤両氏はステーキを、新澤さんと小生は鯛のパン粉揚・コラーゲンハンバーグを摂った。さくら通りのサクラは盛んに散っている。D51駐車場は満杯だったので、梅桜橋の麓の駐車場に停める。 3lunch 

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(写真は左から、レストラン「ボニッシモ」の前、日替わりランチ、デザート

 好文亭を見学し、偕楽園を散策す。3人は久しぶりで左近の桜の大きさ、その桜吹雪に感嘆。吐玉泉の絶えない湧水もみて、1時間40分ばかり楽しんで、国道118号線を北上し袋田の滝に向かった。時間の余裕があったので、途中、西金で右折して奥久慈男体山に寄り道する。1650万年前のゾウ類の足跡化石の発見場所を見て、険しい奥久慈岩稜を右上に見ながら大円地で奥久慈パノラマライン林道に出て停車。奥久慈男体山の南岩壁を背景に撮影。滝倉でパノラマ林道から離れ、滝倉川に沿って西に進み、国道118号線に出て、袋田の滝を目指し北上。奥久慈男体山は、下記に述べる袋田の滝と同様の形成過程を受けたものである。一見火山の噴火によるもののように見えるが、奥久慈男体山は火山ではない。海底火山の噴出物が隆起してできたものである。

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写真は左上から、左近の桜の前で右後ろに好文亭を背景に、左近の桜吹雪、好文亭3階から中央上に左近の桜と右奥に千波湖を望む、好文亭3階楽寿楼の丸窓。左下は大円地から見上げる奥久慈男体山

 満開の桜が咲く道を進んで、観瀑台に登って見た日本三大名瀑の一つ袋田の滝(幅73m、高120m)は見事だった。観瀑台が近過ぎてか、滝が大きいためか、一アングルではこの「四度の滝」の全貌は見渡せないのが残念だ。復路は吊り橋を渡って、間近に凝結角礫岩の岩壁や川にある大きな岩を見ながら車に帰る。

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写真左から、袋田の滝の1~3段目までを見る、下流に横たわる大岩直径は1mをゆうに超えている、吊り橋越しに袋田の滝3段目と最下段の4段目をみる

 袋田の滝は、1,500万年前(中新世)に堆積した地層が海底から噴出したハイアロクラスタイトで出来いる。それが、隆起して地上に姿を現し河川による浸食作用で形成されたものである。

 次は、裏見の滝十選して知られる月待ちの滝(幅12m、高17m)を訪れた。アクセスがよく見るにはやさしい。今回は滝の裏までには入らなかったが、次回来た時に入ってみよう。マイナスイオンが非常に多い、そうだ。岩を見る限り、袋田の滝と同様の組成で出来ているように見えた。10分ほど見て、今夜の宿である「ホテル奥久慈館」に17:36到着した。我々の到着を歓迎してくれるかのごとく、大きな虹が架かっていた。

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写真は左から、月待ちの滝で写真右機の後ろから滝の裏側に入ることができる、ホテル前の満開のツバキ越しに虹を見上げる)

11supper  今回は2人x2部屋を予約した。早速、部屋に荷物を置いて夕食。食事はビュフェスタイルであったが、ホテル代が安いだけに、小生には食べるものは少なかった。野菜サラダ、五目寿司とホウレンソウの味噌汁、鶏唐揚げ・海老フライ・さんまの塩焼き(左写真)を摂った。小生はアルコールを摂らないので何ということはないが、ビール・お酒などのアルコールも飲み放題なので、アルコール好きにはたまらないだろう。

 入浴は一人貸切状態でのんびりと浸かった。PH8.8とあったが、肌に感じるのはそれより少し低い値ではないかと思った。ぬるぬる度が低い。同室の新澤さんと色々な話をし携帯に起床時間を設定して23:30消灯。いつもの寝る時間よりだいぶ早いので中々眠れず、でもいつの間にか意識はなくなっていた。


晩秋の遠州の旅(その2)

2011-12-08 23:50:00 | OC4人会

 ホテル前で4人の集合写真のシャッターを押して貰った後、9時過ぎタクシーでホテル九重を発ち、「竜ヶ岩洞」(りゅうがしどう)に向かった。今日は昨日と違って朝から曇空で雨が予感される天候だった。

 2億5千万年前の秩父古生層の石灰岩地帯にある鍾乳洞らしく、東海地方最大規模で総延長約1,000m(うち公開は400m)。入場料650円を払って中に入る。鍾乳洞の多くは歩きにくいところがあるが、ここの洞は歩きやすい。1112081blog 1112082blog

写真左はヘチマフローストーン、右はマリア観音で時々後ろに虹色のような光が出た

 1時間足らずを過ごし、待って貰っていたタクシーで引佐町にある龍譚寺に立ち寄り、入場料を払って拝観した。禅宗臨済宗妙心寺派で御本尊は虚空蔵大菩薩で、井伊家の菩提寺だそうだ。その庭園は小堀遠州の作になる国指定文化財・名勝記念物だそうだ。30分ほど過ごした。1112083blog 1112084blog

左は庫裏入口、右は小堀遠州の作になる庭で長い心字池を前に配置した名園である)

 そのタクシーで東都筑駅まで行って、駅前の喫茶店でコーヒを飲みながら、これから訪問する有料老人ホーム「ウェルネス浜名湖」の社長の出迎えを待った。待ち合わせの時間通りに社長の車が来て、途中このあたりの別荘地を車から眺めて老人ホームに到着した。対岸に昨夜泊ったホテル脇にあった観覧車が遠望できた。

 入所の皆さんと同じ昼食を摂って、その後施設の説明の後3種類のタイプの居室を見せて戴いた。小生は有料老人ホームの見学は初めてだったが、ここの素晴らしい施設、環境、サービス内容がとても印象的だった。自立状態の人(夫婦の場合はどちらか)が入居するそうだが、それにしても、2千万円(独居は1千万円)程度以上の入居一時金と一人20万円程度以上の月額利用料はなかなか入居する人が限られそうだ。帰りは老人ホームの車で東都筑駅まで送って戴いた。この間3時間弱だった。

 天浜線で新所原駅まで戻り、そこで東海道線で浜松駅まで出て、16:10発ひかり476で東京駅17:40到着。東京は雨だった。上野駅で夕食の上野ナポリタンを食べ、18:30発水戸駅18:50着タクシで無事20時帰宅。水戸も雨だった。


晩秋の遠州の旅(その1)

2011-12-07 23:01:00 | OC4人会

1112071blog  今日から1泊2日の旅行だ。会社時代の元同僚との今回が4回目(年2回実施)の懇親旅行である。初日の今日はいつもより早く起きた。水戸駅で黄門さん一行に見送られ、電車の出発までに時間があったので、McDonald'sでコーヒとマフィンを摂って出発。

1112072blog  ひかり467で東京駅10:03発。座席をEと山・窓側に取ったので、雪を被った素晴らしい富士山を拝むことができた。富士山が見えるといつも得をした、嬉しい気分になる。

 集合場所の浜松駅で同行3人と落ちあい(ひたちなか、川崎、豊明市からの友人)、駅構内の食堂で昼食を済ませた。遠州鉄道で西鹿島駅まで行きそこで天竜浜松鉄道(天浜線)に乗り換え、2駅先の天竜二俣駅で下車した。ここで、転車台を見ようと出掛けたが、金土日月祝しか公開しておらず、見ることができなかった。扇形車庫は遠望できたが、・・・・・。

1112073blog 1112074blog  その足で予定していた二俣城まで歩き、二俣城址を見学した。 この城は南北に延びる連郭式の縄張りで、天守台のある本丸の北に堀切を隔て北曲輪(現在旭ヶ丘神社)、南には二の曲輪(二の丸)、その南に堀切を隔て蔵屋敷曲輪、さらに南曲輪と続く天嶮の中世の城である。武田と徳川の攻防の地であり、後に家康の嫡男信康が悲劇の切腹をした城でもある。紅葉が未だ残っており楽しい時間を過ごすことができた。地元の人やぐるさとガイドの人とも話ができたのは有益だった(写真は左:本丸北東の搦め手虎口を見る。右:本丸東から西に天守台を見る)。

 1時間半近く二俣城址でのんびり過ごし、二俣本町駅まで歩いてた。二俣本町駅には天竜杉から釘1本使わず造られた「天使の椅子」なるものがホームに設けられていた。座ると幸せになれるとか。そのまま天浜で気賀駅まで行き、そこでタクシに乗って舘山寺温泉九重ホテルに入った。

1112075blog_2 111207menu_4  17時半から夕食。「九重紀行天然とらふぐ膳」のフグ料理を堪能した。3人はそれぞれにアルコールを嗜むが、小生は不調法で飲まないので(その代わり一人だけタバコをのむ)、その分のカロリーはセイブできたことになる(左は最初に配膳されていたセット、右は今夜の献立書)。それぞれは少量ではあるが、種類が多くて満腹になった。

 部屋に戻って少しのんびりして、3人は風呂に出掛けた。小生は、部屋の電気をすべて消して、窓から見える夜景を撮影した。1112076blog 今回は荷物になるので、一眼レフカメラは持参してこなく、NIKON P500で撮影した。角部屋で広い部屋であったが、9階で窓が開けられなく、ガラス越しで撮ることからガラスの映り込みを避けるので構図は無理なものとなった。

 皆が風呂から帰ってきたので、それから風呂に入りに行った。大浴場ではなく、限られた客だけに解放された温泉らしく入室に暗証番号を入力する。皆が寝静まるまで本を枕元の灯りで読んで、24時頃就寝。


名古屋城と味噌煮込みうどん-#8悠々旅行最終日

2011-04-23 22:24:00 | OC4人会

 今朝も7:45にかけた目覚まし時計・ウェイクアップコールともに気付かなかった。8:15ロビー集合後、雨の中をモーニングを食べに行き、コーヒとトーストの朝食を摂った。

 タクシを拾って名古屋城正門前に着く。平成21.5.25&26に訪れてから2年ぶりだ。昨日の熱田神宮へのときのタクシの運転手と同じく、名古屋のタクシ運転手は愛想がいい。話しかけると色々なことを喋って和ませてくれる。名古屋城正門に着くと10人を超える人(ほとんど女性)が人待ち顔で雨の中を佇んでいた。聞くと、名古屋おもてなし武将隊を待っていると。我々もそれを待っていると、しばらくして4人がやってきた。信長、家康、立三、お里とそれに着ぐるみマスコットのはち丸だった。

Blog1104231 Blog1104232  正門から500円の観覧料を払い入城。金のシャチ、天然記念物榧(かや)の木の脇を通って本丸外側から剣塀(小天守から大天守への通路の塀の外側にある忍び返しがついている)を見ながら東に回って南に不明門から入る。小天守から大天守にエレベータで入り屋上までいって展示物を見ながら階段を下りた。東南隅櫓(辰巳櫓)の脇を通り、表二之門から出て二之丸から東に清正公石曳きの像の前を通って二之丸に入り真っすぐ東に進んで東門・二之丸東二之門跡を通って外に出た。

Blog1104233 Blog1104234  市役所・県庁舎を遠くから見て、道路を横断してタクシを拾って昼食を予定していた山本屋総本店で味噌煮込みうどんを食べた。今回の最後となる名古屋めしを堪能した。

 雨の中を歩いてホテルに戻り、朝デポジットしていた荷物を受け取り、ホテル前で皆と別れた。小生はスーツバッグを左手に持ち、PCやその他着替えの入ったオーバナイトバッグと書類入れのバッグを両肩にかけ、カメラを首にぶら下げ、傘を右手に持って駐車場に行った。3千円の駐車料を払って13:35出発。名古屋高速から東名に入った。強い雨と前を走る車の飛沫に目を凝らしながら順調に運転。富士川SAでガソリン補給でワン・ストップしたが、そのほかは停まることもなく首都高、常磐道、北関東道を経て、茨城町東ICで下りて、18:30無事自宅に到着(雨があったが、道路は比較的すいていて名古屋から水戸まで5時間かかった)。今回の6泊7日の旅を終えた。

 17日から21日は息子夫婦との夕食と城めぐりをし、21日夜から23日昼まで元勤務先同僚との懇親を楽しみ、有意義な1週間を過ごすことができた。関係の皆さんに感謝。


名古屋見物と名古屋めし体験

2011-04-22 23:27:00 | OC4人会

 7:45に枕元の目覚まし時計と電話ウェイクアップコールをセットしたのだが、鳴らなかった(と、思う)。今回の旅の出発前に耳掃除をしていて、右耳が少々聞こえなくなったので、そのせいかも知れない。

 8:15ロビーで待ち合わせた後、朝食はモーニングセットを喫茶店で摂った。どうやら、コーヒなど飲み物を頼むと、トーストがおまけで付いてくるシステムのようだった。昔名古屋の喫茶店でのモーニングセットは凄い量と品数だったようなテレビ放映を見たが、その時の印象と全く違っていた。厚切りトーストの半分がついているだけのようだった。あんことジャムは別料金のオプションだった。

Blog1104221  その後は本日見るプラネタリウムの入場券をとるために科学館へ行って並ぶ。9時過ぎに行った時はすでに130人ほどが並んでおり、9時半からの入場券売り開始を待っていた。15:00からの入場券を入手したので、タクシを拾って熱田神宮に向かった。

Blog1104222  熱田神宮の祭神は熱田大神で御神体は天叢雲剣(草薙剣)で113年(景行天皇43年)の創建といわれている。西門から入り、長い参道を通り第二をくぐり、弘法大師が植えたという大楠を見て第三鳥居をくぐって参拝した。多くの摂社・末社があった。拝殿は遠く奥にあり、このような神社は初めてだった。Blog1104223 本殿などがその後ろに続き神明造だった。神楽殿の前を通り、桶狭間の戦勝祈願のお礼として寄進したBlog1104224 信長塀を見て宝物館に入った。素晴らしい名品が沢山あって時間が足りない。帰り際Blog1104225名古屋コーチン?が境内を歩いていた。

 11時過ぎに熱田神宮を出て小雨の中を「あつた蓬莱軒」まで歩いた。国道1号線を跨ぐ歩道橋を渡ったが、学生時代自動車部のアルバイトで横浜から大阪まで車を輸送したがそのときも1号線を通った筈だが、こんなに広い記憶はなかった。Blog1104226 店の前では10人ほどが列を作っていたが、間もなく2階に案内されひつまぶしを堪能した。思った以上のボリュームであったが、ここでも小生を除く3人はビールを美味しそうにしていた。

 神宮西から伏見まで地下鉄で移動し、科学館に向かった。時間は14時前でプラネタリウムの時間までの間、科学館2階を見て回った。15時からプラネタリウムは始まったが、薄暗いのと、説明の声が小さい(耳が聞こえにくいせいもある)のとで、始まる前からいびきをかいて眠ったようだ。隣に座った堀田さんからつつかれて我に返ったが半分以上は寝ていたようだった。小生はプラネタリウムが初めてで、非常に楽しみにしていたのに、残念だった。夕食までに時間があったので、1時間半ばかり科学館の中を見た。現在、小生は「地学」の本を読んだりして勉強中で、上階に色々興味深いものがあったが、時間切れでこれも残念だった。

Blog1104227  夕食は「矢場とん」で味噌かつ料理を堪能した。小生はフィレかつ定食に盛合せサラダを注文、他の3人はビールのつまみとして色々のものを注文し、最後にごはんを頼んだ。歳の割にはみなよく食べ・飲むのには驚いた。元気な源を見たような気がした。ホテルまで歩いたが、テレビ塔が雨に煙って綺麗だった。20時前に部屋に戻り、風呂に入って写真をPCに取り込み、本日の時間行動を記録、Blog作成、Twitterを読んで、早めの23:40消灯。


伊賀上野城見学と名古屋鳥料理-#8悠々旅行5日目

2011-04-21 23:46:00 | OC4人会

 道の駅「いが」で車中で目を覚ました。今日は天気が良い。朝食を済ませたが、隣に停まった貨物車(4ナンバ)の70歳くらいの男性の様子がおかしい。車の回りをうろうろし、時に運転席を覗きこんでいる。聞くと鍵を差し込んだままドアをロックしてしまった、と。JAF呼んで待っているところ、と。本日は伊賀上野城をみて、友達との待ち合わせ時間17時まで十分時間があるので、お付き合いをすることにした。1時間いじょうばかり経って、JAFがやってきた。数分でドアを開けた。特殊工具であっという間だった。小生が昨年阿蘇で同じことをしたときと、開け方が異なっていた。各自独自の方法があるのかも知れない。

 8:35出発、昨日の道を引き返し、名阪国道(R25)中瀬ICで下りて8:42伊賀上野城・黒門前(愛間庵脇)駐車場に到着。まず城のある山の周囲を一周することにして、市役所に寄って資料を貰おうとしたが、特段のものはなかった。だんじり会館、観光センターを経て、上野歴史民俗資料館に入ったが、観るべきものはなかった。東から北に回り込み、Blog1104211 西側からは内堀の向こうに立つすばらしい高石垣を眺め、南に回って白鳳門(伊賀上野城の別名は白鳳城。これに因んで作った門と思われる。当時その位置にそのような門はなかった)をくぐって、黒門跡から本丸に入った。時計回りに本丸石垣の縁を回ったが、高所恐怖症の小生には足がザワザワして長らくは縁に立っていられない。

 筒井旧城の跡で、「筒井天守跡」を見て、本丸跡と旧筒井城(城代屋敷)跡の凹地にあるお城会館に入り歴史資料を見た後、いよいよ昭和10年に建設された模擬天守(伊賀文化産業城:入場料¥500)に入った。

Blog1104212 Blog1104213  説明アナウンスでは伊賀上野城は木造で建てられた最後の天守といっていたが、おかしい。元の天守は5層だったが完成前に倒壊、その後天守は建設されなかった。現模擬天守は3階建木造で建てられているが旧天守とは全く構造が違う(模擬天守という所以)。しかし、その後白川小峰城天守(平成3年)、掛川城(平成6年)などは木造で天守が再建されており、これらのほうが新しく木造で建てられており、木造最後の天守は掛川城となる。

 名阪国道を東に走り、東名阪自動車道にのって時間調整と昼食のため、御在所SAでに停車。名古屋高速5号万場線を通って2号東山線白川出口で下り、今日と明日の宿であるホテルに到着。付近は一方通行路が多く、目的地に着くのには苦労した。ホテルの駐車場は高さ1.6mまでとかで、小生の車は1.68mで留めることができず、2ブロックほど離れたコイン駐車場に入れた(24時間¥1500で2日間停めるので、3,000円)。

 時間どおり17時ロビーに全4人が集合して、「鳥栄」で鳥料をを食べた。アルコールを飲ま(め)ない小生は3人の飲むのがうらやましかったが、その代わり3人が飲まないタバコを飲んでいた。

 20時過ぎホテルに戻り、小生は写真のPCへの取り込み、行動-時間記録の整理、Blogの作成などして25:30消灯。


2回目の懇親会

2010-12-23 16:22:00 | OC4人会

 今年9月に元の勤め先の同僚3人との懇親会を東京・神田で行ったが、今日はその2回目を水戸で行った。

Blog1012231  水戸駅南口の駐車場が満杯だったため下で待っていて、11時過ぎ電車の3人を迎えそのまま小生の車で千波湖畔の「とう粋庵」へ移動。11時20分過ぎに店に入り桜膳の昼食を注文。3人はビールをも注文するも、小生はアルコールを飲まないので(それに運転もある)、食事だけにした。

Blog1012232  食事を待つ間、食事中も会話を楽しんだ。いい歳になった自分のことや家族の状況を含め、話は尽きなかった。次回を名古屋で春に行うことを決め、13時半頃茨城県近代美術館へ移った。

 さよなら滝平二郎~はるかなふるさとへ~の企画展と常設展示をおよそ1時間半ゆっくり見た。15時少し過ぎ、美術館入口を背に集合写真を一枚撮って水戸駅に3人を送った。

 会っていた時間は短かったが、いろんな話ができ楽しいひと時を過ごすことができた。また、明日から元気で有意義な時間を過ごそうと大きな元気を貰ったひと時であった。