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オットー・ネーベル展

2017年10月24日 | アート

渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで開催している「オットー・ネーベル展 シャガール、カンディンスキー、クレーの時代」(~12月17日まで)を見に行きました。

6月にBunkamuraに「ソール・ライター展」を見に行った時に、予告のポスターに惹かれ、楽しみにしていた展覧会です。パッチワークのような色彩と構成。オットー・ネーベルという名は知りませんでしたが、幾何学的な作風に、ピンとくるものを感じました。

オットー・ネーベル(1892-1973)はベルリン生まれ。建築と演劇を学び、スイスとドイツで画家として活動しました。日本初の回顧展となる本展では、同時代に活躍し、ネーベルに影響を与えたシャガール、カンディンスキー、クレーの作品とともに、彼の画業を紹介しています。

アスコーナ・ロンコ 1927年

初期の作品から。兵役中にフランツ・マルクの作品に出合い、画家になることを決意したネーベルは、ナチスの弾圧を逃れ、他の芸術家たちとともにスイスに移住します。この作品はスイスのアスコナで描かれましたが、当時憧れていたシャガールの影響が見て取れます。

また妻がバウハウス(ドイツの芸術・建築学校)でアシスタントとして働いていたことが縁で、バウハウスで教鞭をとっていたクレーやカンディンスキーとも交友を深め、彼らから多大な影響を受けました。

聖母の月とともに 1931年 

建築を学んでいたネーベルは、都市の景観を、単純化した形と色彩のコントラストで構成しました。私はこの都市の建築シリーズが特に気に入りました。大聖堂のステンドグラスや石積みの様子を幾何学的にとらえた一連の作品もすてきでした。

「イタリアのカラーアトラス(色彩地図帳)」より ナポリ 1931年

「イタリアのカラーアトラス(色彩地図帳)」より ポンペイ 1931年

ネーベルは1931年にイタリアを旅し、景観を自身の視覚感覚によって色や形で表現した色彩の実験帳を作ります。ネーベルにとって、ナポリは黄色、ポンペイはグレーの街なのですね。会場ではスケッチブックの各ページが液晶ディスプレイに表示され、めくるようにして見ることができたのが楽しかったです。

地中海から(南国) 1935年

イタリアの風景から。この頃のネーベルの作品はクレーの作風に似ていますが、よく見ると、方向をそろえた短い線や細かい点で何層にも重ねて描かれていて、織物のような風合いを感じました。

ムサルターヤの街 IV:景観B 1937年

近東の風景でしょうか。土を感じさせる、赤みがかった色彩の構成が美しい。

輝く黄色の出来事 1937年

後半生、スイスに移住してからは、敬愛するカンディンスキーと同じように、抽象絵画に取り組むようになります。自らを指揮者に例え、音楽の世界を絵画で表現したり、ルーン文字(ゲルマン諸語の古い文字体系)や近東のイメージを取り入れたり。ネーベルの関心が内なる世界へと向いていったことが、作品の変化から感じ取れました。

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