「猿の惑星」シリーズ最新作。ピエール・ブール原作のオリジナル「猿の惑星」(1968)へとつながる、プリクエル3部作の第3弾。監督は前作と同じマット・リーヴス。前2作と同様、猿のシーザーをアンディ・サーキスが主演し、敵対する人間のリーダーをウディ・ハレルソンが演じています。
猿の惑星:聖戦記 (War for the Planet of the Apes)
前作で人間との共生という道を絶たれたシーザー(アンディ・サーキス)をリーダーとする猿たちは、森の奥深くに砦を築き、人間が襲ってきた時に対処できるよう武装化していました。しかしある時、人間たちからの奇襲を受け、シーザーの妻と長男の命が奪われてしまいます。
冷酷非道な人間のリーダー、大佐(ウディ・ハレルソン)への復讐を誓ったシーザーは、仲間たちを安全な場所へと移動させ、自らは数人の仲間とともに、大佐のいる人間たちの基地へと向かいますが...。
「猿の惑星」(1968)の”地球はなぜ猿の惑星になったのか”という謎を解き明かす3部作の最終作。もともとピエール・ブールの原作が好きというのもありますが、本シリーズは猿と人間の深いヒューマンドラマが描かれていて、見るたびに心を揺さぶられます。それを支えているのが、パフォーマンス・キャプチャーという最新技術。
猿がもはや猿ではない! 猿たちの哀しみ、怒り、仲間を思いやる気持ちが表情豊かに伝わってきて、いつの間にか猿のひとりとして共感している自分がいます。今回も、シーザーを見るたびに猿を束ねるリーダーとしての苦悩が心に響き、何度も涙してしまいました。
カリスマ的リーダーであるシーザーですが、本作では個人的な恨みから復讐を企てるという、これまでにない行動に出ます。それではコパと同じだ、と彼の右腕であるモーリスに諫められますが、シーザーのそうした人間的な弱さも愛おしく感じられました。コパはすなわちもうひとりの私たちであり、単なる悪者として描かれていないことに、作り手の愛を感じました。
ストーリーは「出エジプト記」を想起させるものでしたが、大佐が君臨する人間たちの基地は「シンドラーのリスト」で描かれるナチの強制収容所を思い出しました。大佐は、レイフ・ファインズが演じたサディスティックな収容所長にそっくりだし、人間が猿を絶滅させようとする思想にも通じるものがあります。
猿たちが脱走するところは「大脱走」を思い出しました。全体的に重いストーリーが進行する中、ここだけはスリリングでコミカルで、ほんの少し救われる場面でもありました。コミカルといえば、かつて動物園にいたというバッド・エイプがいい味を出していました。人間の手先となっていたドンキーが、最後にとった行動には泣けました...。
人間がことばを失うという展開も衝撃的でした。映画では人間が開発したウィルスの副作用という設定でしたが、こうして戦争ばかりしていたら、子どもたちは学ぶ機会がないし、いつかは知的に退化していくことになるだろうな...と想像して怖ろしくなりました。
シーザーの生き残るもうひとりの息子の名はコーネリア。旅の途中で出会う人間の少女ノヴァも登場し、うまく「猿の惑星」へとつながっていました。
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渋谷の地下道にて。映画のプロモーションで、なぜか名画の中にシーザーが登場。ストーリーとは関係ないですが力作ですね。