(写真:加藤秀一教授の新著、すっごくわかりやすい!お勧めです)
21日(土)、ハシゴ勉強会の第一弾は、「“人間と性”教育研究協議会」主催の講演会「性教育のこれまでとこれから」でした。
第一部は、明治学院大学教授の
加藤秀一氏による講演「〈ジェンダー〉概念の射程を再検討する」。
昨年12月13日の活動日誌「最近読んだ本、読もうと思っている本」でもご紹介していますが、加藤秀一教授は『〈恋愛結婚〉は何をもたらしたかー性道徳と優生思想の百年間』の著者。(実はこの本は今まだ読んでいる最中)
「ジェンダー・フリーとは、“固定的な性役割からの解放”という概念であって、“性差の解消(人間の中性化を目指すもの)”ではない」。当たり前のことなのですが、まだまだ「生まれながらの男女を否定する思想だ!」と誤解している人が多いんですよねぇ・・・。
ちなみに、“ジェンダー”の和訳が“社会的性別”となったことは、『田中優子レポートNO.7』でもご紹介したとおりです。
「オスかメスかで人間の生きざまを決めてしまうことはできない。男(はこうあるべき)、女(はこうあるべき)と、二極化して個性を否定するのは間違い。“性役割”がいかに人間ひとり一人の個性に制約を与え傷つけているかを認識すべき」とのお話は心に響くものでした。(拍手!!)
生物学的に言うと、実は、男性、女性というのは、ヒトの発生過程からすると完全に二つに分けられるものではなく、元々区別がなかったものが“連続的に変異して”男性、女性の身体ができあがるのであり、中間(インター・セックス=半陰陽)も一定の割合でできる・・・ということで、
その辺を学ぶと、さらに、ジェンダーへの理解が深まりそうですが、いずれにしても、「男性も女性も(その中間の人も)性別に関わらず、誰もが個性と可能性を十分に発揮できる男女平等社会」を創りたいと私は考えます。
男性でこういうことをよく理解し、しかも教鞭をとっている人がいるというのは本当に心強く、頼もしく感じます。加藤先生、これからもぜひ頑張ってくださ~い!!
あ、よく「女性だからって誰でもいいということではない。それでは逆差別だ!」という声を聴くのですが、それはもちろんそのとおりだと思います。女なら誰でもいい、はずはありません。
“ポジティヴ・アクション”と言って、審議会などの女性の登用率を一定割合以上にする、とか、韓国のように国会議員の候補者に一定割合以上女性を立てなければならないと決めて“女性を増やす”という手法はありますが、「劣っている人でも女性だったら優遇すべき」ということではありません。それなりの能力を持ち備えていても、女性にチャンスが少ない社会だから、それを変えよう、機会を平等にしよう、という手法のことです。
日本はまだまだそういう政策が足りないですね。政策決定の場にもっともっと女性が必要だ!と感じます。
雪の中、大変だったけど、サボらず行ってよかったなぁ~!元気の出る講演会でした。