30年前、阪神淡路大震災の当日、私はやはりランニングしていました。当時はWi-FiもBluetoothも普及しておらず、家に着いて家人が「神戸が大変なことになってる!」という言葉でこの災害を知りました。このニュースさえなければ、何も知らずシャワーを浴び朝食の準備をしていたはずです。
時を同じくして朝食を囲むことなく惨禍の中、家族の名を呼び続ける人々がいることのチグハグさに呆然としました。テレビの番組は軒並みこの映像で溢れ、まるで特撮映画のようなニュース画面に言葉もなかったことを思い出します。
この日、日常はいとも簡単に壊されるという事実に改めて日本中が驚愕していたと思います。同時に、防災、ボランティアという言葉が良くも悪くも市民権を得たのも事実です。
「安全であるからこその日常」という言葉、今も肝に銘じています。
この日亡くなられた方のご冥福を祈りつつ…。
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